追悼の陰に隠れる歴史2021年09月12日 19:15

ちょうど20年前ということで、インターネットでもアメリカ同時多発テロ事件に関する話題が繰り返し流れてくる。特に、その跡地が「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになる国際貿易センターへ旅客機が激突する衝撃的な映像は、当時の強い印象を思い起こすことに繫がっている。
 その後、アメリカは「アルカイダ」による犯行として、20年近くに渉るアフガニスタンへの侵攻を始め、さらなる多大な犠牲者を生み出し続けたが、結局、当初追い出しに成功したタリバンの復権も許すことになった。
 事件直後から欧米を中心に拡がったイスラムフォビアが、その後のイラク戦争やシリアにおけるISの台頭にもつながった可能性は高いが、何より他国への“軍事的な干渉”が問題を泥沼化した典型とも言える。もちろん、そこには軍産複合体の要請も多分にあっただろうが…。
 WTCで働いていた日本人に犠牲者が出たこともあり、追悼行事が今も繰り返し報道される陰で、南西アジア全体に及ぶ膨大な空爆による死者の姿はなかなか見えない。「国境なき医師団」が開くイベントやSSFF&ASIAに参加する赤十字国際委員会(ICRC)提供の短編映画など、よほど意識しないかぎりは具体的に見えてこない戦災被害の実態は、報道や情報の著しい“非対称性”によって隠されている。いわば、メディアの不作為による黙殺とも言えるのではないか。
 それは、映画などを始めとして「ホロコースト」という圧倒的な“悪行”を元にした創作作品が繰り返し作られる一方で、デイル・ヤシーンの虐殺事件が忘れ去られていくことと似ている。テレビに始まり、いまやそれをはるかに超えるインターネット上の情報“非対称性”によって、過去の歴史が塗りつぶされていく。9.11はそのことをこそ考える日ではないだろうか。

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