捨てられないパンフレット ― 2025年09月14日 17:41
自分で料金を払って映画館で映画を観始めたのは高校時代です。東横線の白楽駅に「紅座」という小さな街の映画館がありました。料金は200円ぐらいだったと思うのですが、行くたびに「紅座ファン」(?)なる50円相当の金券をもらったように記憶しています。残念ながら、当時観た映画は全く覚えていません。
通勤で渋谷で出るようになってからは、スクランブル交差点に面した全線座と文化会館の東急名画座で良く観ました。その後、二十歳になる前に東京中野区で独り住いを始めてからは、新宿を中心に雑誌『ぴあ』を片手に都内の名画座を巡りました。乱読ならぬ“乱観”で、宿泊勤務の前後と休日の多くの時間を映画鑑賞に費やしました。その頃に書いて残した鑑賞記録(どこで何を観たか)がまだ残っていて、ピークには年間200本ぐらい観ていました。
勤め始めてからも親への仕送りがあって、内容の割に高額なパンフレットを買うことはあまりありませんでしたが、その頃に買った古いパンフレットが今でも我が家に残っています。『フェリーニのアマルコルド』。数えきれないほど観た映画の中で、なぜこの一冊が残っているのか。理由は簡単に推測できます。それは“良くわからないままに”とても惹かれたからです。
描かれているのは、監督自身の幼少期のイタリアを舞台にした群像劇のようなもので、特別難しい話が展開するわけでもありません。ただ、ムッソリーニ率いるファシスト党が勢力を伸ばす様子が、映画全体ののどかで明るい世界に不気味な影を少しだけ落としています。
暗い時代が訪れる前の明るくて愉快な一時期を、監督が好奇心の赴くままに過ごした記憶のようなもので活写した映画は、まだ”乱観”の前で映画の面白さを十分に知らなかった19歳の私に強烈な印象を残してくれました。
ですから、先述した鑑賞記録にはどこで観たかは残っていません。そしてもう一本。同じように記録する前に見たのが『フォロー・ミー』でした。それで、捨てられずに古びたパンフレットはもう一冊あるのです。
通勤で渋谷で出るようになってからは、スクランブル交差点に面した全線座と文化会館の東急名画座で良く観ました。その後、二十歳になる前に東京中野区で独り住いを始めてからは、新宿を中心に雑誌『ぴあ』を片手に都内の名画座を巡りました。乱読ならぬ“乱観”で、宿泊勤務の前後と休日の多くの時間を映画鑑賞に費やしました。その頃に書いて残した鑑賞記録(どこで何を観たか)がまだ残っていて、ピークには年間200本ぐらい観ていました。
勤め始めてからも親への仕送りがあって、内容の割に高額なパンフレットを買うことはあまりありませんでしたが、その頃に買った古いパンフレットが今でも我が家に残っています。『フェリーニのアマルコルド』。数えきれないほど観た映画の中で、なぜこの一冊が残っているのか。理由は簡単に推測できます。それは“良くわからないままに”とても惹かれたからです。
描かれているのは、監督自身の幼少期のイタリアを舞台にした群像劇のようなもので、特別難しい話が展開するわけでもありません。ただ、ムッソリーニ率いるファシスト党が勢力を伸ばす様子が、映画全体ののどかで明るい世界に不気味な影を少しだけ落としています。
暗い時代が訪れる前の明るくて愉快な一時期を、監督が好奇心の赴くままに過ごした記憶のようなもので活写した映画は、まだ”乱観”の前で映画の面白さを十分に知らなかった19歳の私に強烈な印象を残してくれました。
ですから、先述した鑑賞記録にはどこで観たかは残っていません。そしてもう一本。同じように記録する前に見たのが『フォロー・ミー』でした。それで、捨てられずに古びたパンフレットはもう一冊あるのです。
やさしい記憶と記録 ― 2024年05月11日 13:37
新横浜駅に東急・相鉄が乗り入れてから1年。なかなか使う機会がありませんでしたが、今日初めて、泉区に行く必要があり、新横浜まで歩き、相鉄いずみ野線のいずみ中央駅まで往復してきました。
用事は、新作のドキュメンタリー映画を観るためです。先日の鑑賞で火が付いたわけではなく、前から予定していたもので、伊勢真一監督の最新作『大好き』の完成上映会が泉公会堂で開催されたのです。
伊勢さんが自分の姪である奈緒ちゃんを撮り始めたのは、命に関わる重い病気の娘を取り巻く家族の記録を残したいという一念でしたが、天の助けか奈緒ちゃんは無事に成長し、二十歳になるまでの12年間が映画『奈緒ちゃん』に結実します。その後、お母さんとその仲間が作った作業所の日々を描く『ぴぐれっと』、グループホームでの自立を描いた『ありがとう』、家族の紐帯となっている奈緒ちゃんの『やさしくなあに』が続き、昨年50歳を迎えた奈緒ちゃんと家族の“記憶”をまとめた新作につながりました。
膨大な映像記録には、多くの人の“記憶”が入っていて、それはこの映画を初めて観る人にも伝わるようです。地元泉区での公開とあって、会場には奈緒ちゃんとその家族に関係する人々も多くいたようで、その想いが集まったせいなのか、私には、舞台上のスクリーンから何かとても暖かい風が吹いてくるような気がしてなりませんでした。
企画して撮り始めたものではなかったにも関わらず、42年間にわたる定点観測のような撮影は、日常の細部まで描き出すことにもなりました。そこは、ありふれているようで、しかしどこにもない“言葉”が生まれる場所にもなっています。「やさしくなあに」や「人生まだまだ」に込められた想いは、何にもしばられない真っ直ぐな感情が表れていて、疑わしい文句に溢れている世の中との対照の妙を示しているようです。
一方、映像技術者であった私は、永い撮影期間によってしか生まれない記録媒体の変遷を強く感じていました。フィルムからテープ・ディスクへと変わったいった録画方法、そのことによって画質や画角が混在する映像の中に、過ぎてきた時代の“記憶”が甦ります。奈緒ちゃんシリーズが撮られた42年間にはそうした歴史もまたありました。映画に出てくるアルバムの写真にも確かにそれは反映しています。
冒頭のタイトルバックに出てきた“桜”は、青空をバックに満開に咲いているものではなく少しうす暗いほどの画調でした。繰り返し出てくる“月”も同様で、さりげなく挿入される自然が、声高なものではなく、観る人に「やさしくなあに」と問いかけてくるように感じるのは、それもおぼろげな“記憶”から生まれたものだからでしょうか。
用事は、新作のドキュメンタリー映画を観るためです。先日の鑑賞で火が付いたわけではなく、前から予定していたもので、伊勢真一監督の最新作『大好き』の完成上映会が泉公会堂で開催されたのです。
伊勢さんが自分の姪である奈緒ちゃんを撮り始めたのは、命に関わる重い病気の娘を取り巻く家族の記録を残したいという一念でしたが、天の助けか奈緒ちゃんは無事に成長し、二十歳になるまでの12年間が映画『奈緒ちゃん』に結実します。その後、お母さんとその仲間が作った作業所の日々を描く『ぴぐれっと』、グループホームでの自立を描いた『ありがとう』、家族の紐帯となっている奈緒ちゃんの『やさしくなあに』が続き、昨年50歳を迎えた奈緒ちゃんと家族の“記憶”をまとめた新作につながりました。
膨大な映像記録には、多くの人の“記憶”が入っていて、それはこの映画を初めて観る人にも伝わるようです。地元泉区での公開とあって、会場には奈緒ちゃんとその家族に関係する人々も多くいたようで、その想いが集まったせいなのか、私には、舞台上のスクリーンから何かとても暖かい風が吹いてくるような気がしてなりませんでした。
企画して撮り始めたものではなかったにも関わらず、42年間にわたる定点観測のような撮影は、日常の細部まで描き出すことにもなりました。そこは、ありふれているようで、しかしどこにもない“言葉”が生まれる場所にもなっています。「やさしくなあに」や「人生まだまだ」に込められた想いは、何にもしばられない真っ直ぐな感情が表れていて、疑わしい文句に溢れている世の中との対照の妙を示しているようです。
一方、映像技術者であった私は、永い撮影期間によってしか生まれない記録媒体の変遷を強く感じていました。フィルムからテープ・ディスクへと変わったいった録画方法、そのことによって画質や画角が混在する映像の中に、過ぎてきた時代の“記憶”が甦ります。奈緒ちゃんシリーズが撮られた42年間にはそうした歴史もまたありました。映画に出てくるアルバムの写真にも確かにそれは反映しています。
冒頭のタイトルバックに出てきた“桜”は、青空をバックに満開に咲いているものではなく少しうす暗いほどの画調でした。繰り返し出てくる“月”も同様で、さりげなく挿入される自然が、声高なものではなく、観る人に「やさしくなあに」と問いかけてくるように感じるのは、それもおぼろげな“記憶”から生まれたものだからでしょうか。
聞き書きのニッポン ― 2024年05月07日 13:36
連休の最後はドキュメンタリー映画の鑑賞、しかも3時間半を超える大長編です。横浜キネマ倶楽部主催の映画会で小川プロの『ニッポン国古屋敷村』を観てきました。会場は阪東橋駅に近い南公会堂。当初、行く予定は無かったのですが、山形出身の古い友人から誘いがあったので、久しぶりの再会を兼ねて赴くことになりました。
題名だけは何度か聞いたことがある作品ですが、内容は全く知りませんでした。冒頭の老婆の語りから一転して、小川伸介監督の出身岩波映画の作品風に、稲の開花が気温変化とどのような関係にあるかの解説が続きます。この作品に先行して、舞台となる山形県上山で米作りの傍ら二本の映像作品を撮り、その延長線上に古屋敷村での冷害状況を新たに記録したものでした。「シロミナミ」と呼ばれる冷気が流れ込む蔵王周辺の地形をジオラマに仕立てて再現するところは科学映画としても出色です。
その後、映画はこの山奥の古屋敷村の人々の暮らしと歴史を追います。炭焼きや養蚕、昭和の戦間期の従軍体験も交え、ごく小さな集落がこの国の様々な側面を象徴しているかのような聞き書きが続きました。今はあまり顧みられること少なくなった山深い国土に生きる日本人の“暮らし”を克明に記録したことで、表題にある“ニッポン国”の一面が見事に表されています。
久しぶりに阪東橋まで出かけたので、帰り際に、横浜橋商店街のキムチ屋さんに寄って、韓国大根(チョンガク:총각무)・キュウリ(オイ:오이)・ネギ(パ:파)を購入。夕飯の開化丼に合わせ、美味しくいただきました。^^;
題名だけは何度か聞いたことがある作品ですが、内容は全く知りませんでした。冒頭の老婆の語りから一転して、小川伸介監督の出身岩波映画の作品風に、稲の開花が気温変化とどのような関係にあるかの解説が続きます。この作品に先行して、舞台となる山形県上山で米作りの傍ら二本の映像作品を撮り、その延長線上に古屋敷村での冷害状況を新たに記録したものでした。「シロミナミ」と呼ばれる冷気が流れ込む蔵王周辺の地形をジオラマに仕立てて再現するところは科学映画としても出色です。
その後、映画はこの山奥の古屋敷村の人々の暮らしと歴史を追います。炭焼きや養蚕、昭和の戦間期の従軍体験も交え、ごく小さな集落がこの国の様々な側面を象徴しているかのような聞き書きが続きました。今はあまり顧みられること少なくなった山深い国土に生きる日本人の“暮らし”を克明に記録したことで、表題にある“ニッポン国”の一面が見事に表されています。
久しぶりに阪東橋まで出かけたので、帰り際に、横浜橋商店街のキムチ屋さんに寄って、韓国大根(チョンガク:총각무)・キュウリ(オイ:오이)・ネギ(パ:파)を購入。夕飯の開化丼に合わせ、美味しくいただきました。^^;
ソン・ランの響き ― 2023年09月17日 21:18
先週、久しぶりに関内の横浜シネマリンを訪ね、ベトナム映画祭と題した1週間の特集上映のうちの一本『ソン・ランの響き』を観てきました。ベトナム南部に今も残る大衆芸能「カイルン」(伝統劇トゥオンに西洋音楽などの要素を加えたことで「改良」という漢字語が名付けられた)の一座を舞台に、主演男優リン・フンと借金取りユンの間に繰り広げられる物語です。「ソン・ラン」とは木製の打楽器。中空の木の胴と木の玉を、折り曲げた金属片の両端に取りつけ、足で打ち付けて鳴らすカスタネットのような楽器です。
原題の「Song Lang」が“二人の男”という掛詞になっているので、象徴的な意味を込めて取り上げられていますが、この楽器の響きそのものは作品内であまり目立ちません。どちらかと言えば二弦月琴「ダン・グェット」の方がベトナム語の独特な撥音と相まって強く印象に残りました。演目の一つ『ミー・チャウとチョン・トゥイー』はベトナム古代王朝滅亡時の悲恋を描いたものですが、衣装や化粧、立ち居振る舞いなど、中国の京劇を舞台にしたチェン・カイコーの『覇王別姫』を彷彿とさせます。楚漢戦争とほぼ同時代ということも関係しているのでしょう。
二つの映画で、男二人の出会いや関係は異なりますが、芸能の継承という特殊な状況は共通します。そして、それぞれに残酷な結末が用意されているところに、その異世界が持つ厳しさの一面を感じます。“ジャニーズ”騒動で性加害の問題がクローズアップされている現代ですが、芸能が持つ人と人の結びつきの微妙な関係は優れた批評性をもって語られてこそ意味があるものなのでしょう。そうでなければ、テレビのワイドショーのような茶番劇ばかりに堕してしまいます。
原題の「Song Lang」が“二人の男”という掛詞になっているので、象徴的な意味を込めて取り上げられていますが、この楽器の響きそのものは作品内であまり目立ちません。どちらかと言えば二弦月琴「ダン・グェット」の方がベトナム語の独特な撥音と相まって強く印象に残りました。演目の一つ『ミー・チャウとチョン・トゥイー』はベトナム古代王朝滅亡時の悲恋を描いたものですが、衣装や化粧、立ち居振る舞いなど、中国の京劇を舞台にしたチェン・カイコーの『覇王別姫』を彷彿とさせます。楚漢戦争とほぼ同時代ということも関係しているのでしょう。
二つの映画で、男二人の出会いや関係は異なりますが、芸能の継承という特殊な状況は共通します。そして、それぞれに残酷な結末が用意されているところに、その異世界が持つ厳しさの一面を感じます。“ジャニーズ”騒動で性加害の問題がクローズアップされている現代ですが、芸能が持つ人と人の結びつきの微妙な関係は優れた批評性をもって語られてこそ意味があるものなのでしょう。そうでなければ、テレビのワイドショーのような茶番劇ばかりに堕してしまいます。
君たちはどうするのか? ― 2023年07月29日 20:50
一昨日、先々週末に公開されたスタジオジブリの『君たちはどう生きるか』を横浜ムービルへ観に行きました。公開前から関連情報が一切出なかったことで、二の足を踏んでいる人も多いのでしょうが、チラシ一枚さえ読まずに観るのが当たり前だった二十代の映画体験者としては何も特別なことではありません。ただ、ムービルという古い映画館の初回上映ということを差し引いても、観客数の少なさには少し驚きました。大手マスコミが触れることはないのでしょうが、従来の宣伝・広報を行わないこととあの“電通”がどのような関わり方をしたのか、していないのか。少し気になるところではありますが、そのあたりクレジットを見落としてしまったのでわかりません。
劇場へ行って観て欲しいわけでしょうから、細かな内容には触れません。あのポスターにあるアオサギが狂言回しのような役で、“とりとめ”のない、それでいて壮大な物語が展開されます。ところどころに過去の作品やキャラクターを彷彿とさせる描写がジブリならではの細密な表現で次々に現れますが、なかにはアニメーションや映画へのオマージュを感じさせる設定もありました。
先の戦争前後とおぼしき時代設定ではありますが、それは冒頭と最後にしか現れません。司馬遼太郎が“奇胎”と呼んだ時代とは関係なく、それが仮にどんな社会であったとしても何かを探して生き抜くためには、様々な苦難に立ち向かう強い気持ちが必要だろうということでしょうか。
良くも悪くも世の中は続きます…。その為の処方箋はずっと描いてきたはずなので、後は自分で考えなさいという声がスクリーンから聞こえてくるようでした。
劇場へ行って観て欲しいわけでしょうから、細かな内容には触れません。あのポスターにあるアオサギが狂言回しのような役で、“とりとめ”のない、それでいて壮大な物語が展開されます。ところどころに過去の作品やキャラクターを彷彿とさせる描写がジブリならではの細密な表現で次々に現れますが、なかにはアニメーションや映画へのオマージュを感じさせる設定もありました。
先の戦争前後とおぼしき時代設定ではありますが、それは冒頭と最後にしか現れません。司馬遼太郎が“奇胎”と呼んだ時代とは関係なく、それが仮にどんな社会であったとしても何かを探して生き抜くためには、様々な苦難に立ち向かう強い気持ちが必要だろうということでしょうか。
良くも悪くも世の中は続きます…。その為の処方箋はずっと描いてきたはずなので、後は自分で考えなさいという声がスクリーンから聞こえてくるようでした。