説経節全段の語り2021年09月14日 19:17

以前簡単に紹介した玉川奈々福さん編著の『語り芸パースペクティブ』。現代まで日本に連綿と伝わる「語り芸」の数々について、“繋ぐ”という切り口を含め実演と講義で仕立てたライブ企画を書籍化したものである。その中には、国立劇場から常打ち小屋まで数多くの観客が集まる芸能がある一方で、ほとんど知られることなく、不定期に少人数相手の口演を続けているものもある。
 その一つ、説経節の主要な演目『三庄太夫』の全段を連続で口演するという快挙(暴挙?)が大阪で続いている。7月から始まった企画は、先日第三夜が開かれ「宇和竹恨み」の段まで進み、その様子がYoutubeでも確認できる。演者は説経祭文(衰退した説経節が山伏の祭文と重なり寄席芸として再生されたもの)の渡部八太夫師。古浄瑠璃の語り手でもある。
 森鴎外が換骨奪胎してしまった『山椒大夫』の元々の姿は、放浪・漂泊によって様々な“話”が付け足されながら、聴くものの感情を揺さぶるような啖呵と節付けによって、人々の根深い念いを“歌”にした。そこには、単純な勧善懲悪に囚われない多くの因果応報的な要素も入っていて、こうした芸能がなじみ深かった時代には、その場に多くの“歓声”や“囃す声”が飛び交っていたにちがいない。不条理な社会の仕組みの中で、日々の暮らしの先行きへの不安も抱えながら、人々は“語り”の中に癒しを求め続けた。もちろん、芸能そのものが生き続けてこられたのには、それを引き継いてきた人間がいてこそではあるが、同時にそれを観る客があってこそだとも言える。その一つの典型を、ここに観ることができる。