善因善果の響き2023年12月27日 22:25

昨日、暮れも押し詰まって寒さが一段と増す中、ダウンのコートを引っ張り出して少しだけ遠出しました。訪ねたのは藤沢市片瀬にある本蓮寺。本堂で開催されたのは、笙とバンドネオンという少し変わった楽器の演奏会です。最寄りの駅は江ノ島なのでJRで藤沢へ出て江ノ電に乗り換えました。鎌倉からは何度も使っていますが、観光客のいない夜の江ノ電は何やらJR鶴見線を思わせました。ただ、駅構内は観光地らしい広告に満ちています。
 さて肝心の演奏会ですが、笙の奏者はカニササレアヤコさんという芸人です。藝大で邦楽を学ぶ演奏家でもあり、ロボットエンジニアでもあるという多彩な顔を持っている方ですが、そもそも知ったきっかけが能楽師の安田登さんで、今回も“Twitter”で知りました。今までにも「ノボルーザ」の公演やWeb配信で聴いたことはありますし、楽器としてなら生の雅楽演奏なども聴いてきましたが、笙のソロは初めて、ましてこの楽器の為に書き下ろされた新曲を聴くことになるとは思いませんでした。もちろん、タンゴで有名なバンドネオンも生で聴くのは初めてです。
 笙という多数本の竹管で構成される楽器の構造は、バンドネオンにも共通しているところがあり、より複雑化しています。楽器の中に空間は一つで、蛇腹の伸び縮みで生み出す異なる方向の気流を多数のリードで振り分けて鳴らす不思議な構造は、この楽器がドイツで作られたと言われると納得できます。一方で、その演奏の難しさから「悪魔が発明した」とも呼ばれていますが、アルゼンチンで広く演奏されることになったのはダンス音楽であるタンゴのキレのあるリズムに最適だったからもしれません。 
 楽器はその構造が複雑になればなるほど、演者によって作られる音の範囲が狭められる気もしますが、そうした“逆境”に置かれるほど却って夢中になって超絶技巧へと向かう人も出るのでしょうか。それぞれのソロ演奏を生で聴いていると、人と楽器が一体となるというよりも、たえまない葛藤が生み出す魅力を感じてしまいます。これは仏教のいう「善因善果」なのでしょうか。

運河のライブ2023年11月13日 22:11

11月の夏日が過ぎて連日の雨模様の中、隙間を縫うように横浜の日の出桟橋に出かけました。東京の日の出桟橋は東京湾に面していて、隅田川沿いに浅草へ向かったり、お台場・ビッグサイトなどを回る乗船人数100名前後のクルーズ船の発着地ですが、横浜のそれは大岡川から中村川周辺を回る30名定員の小型船の係留地です。京急日ノ出町駅に近い運河の脇に造られた小さな桟橋から出発し、昔は入海(いりうみ)だった広大な埋め立て部分の(吉田新田)の外周にあたる二本の川を巡るクルーズに搭乗しました。航行する「ベネチア号」は春には大岡川の桜見物で連日混み合うようですが、今回の企画は「サウンドクルーズ」という開催日限定のプログラムで、過日鑑賞した横浜ボートシアターの劇伴を今度はボートに乗りながら目の前で聴くという体験です。
 横浜日の出桟橋から出た船は大岡川を西へ上り、蒔田公園の角で、左折して中村川を下ります。途中、堀割川への分岐を右に眺めながら、横浜港方面へ向かい、石川町駅の直下を過ぎて元町と中華街を結ぶ前田橋で折り返します。この前田橋の一つ手前、小さな“市場通り橋”の南詰めが昔ボートシアターの艀(はしけ)が係留されていた場所です。40年近く前のことで記憶も薄れていますが、言われてみれば、確かにそのあたりだったように覚えています。
 演奏は竹マリンバ・フライパンという民族音楽に出てくるような劇団オリジナルの楽器のほか、ギター・シンセサイザーから様々な小物も交え、演目「新版 小栗判官・照手姫」を中心に、石原吉郎の詩に作曲した物や、旗揚げ公演「やし酒のみ」の一曲まで、1時間を超えるクルーズの間で8曲ほども聴くことができました。元は入海だった二つの運河は潮の満ち引きがあって、時に橋の下で頭をぶつけそうにもなるようですが、その狭い空間に反響する音楽は特別なものに聞こえます。短い航行時間の間に、陽が差したり寒くなってきたりと変化に富んだ航路で、ベテラン船長の見事な操舵と飽きない解説もまた見事でした。
 運河の通り道は、その昔高校時代に通学に使った市電76系統の経路にも近く、ところどころで往時を思い浮かべることができるのも魅力の一つです。また、きっと訪ねる機会があるでしょう。
*ちなみに、過日遊行寺で観た横浜ボートシアターの『新版 小栗判官・照手姫』は、11月23~25日にシアター代官山でも上演されます。おすすめです。

仮面の踊り念仏2023年11月04日 22:09

小夏日和の三連休初日に東海道線で藤沢まで出かけました。訪ねたのは旧街道に面した時宗総本山遊行寺です。「踊り念仏」で有名な一遍上人ゆかりの寺はその奥に長生院という支院があり、有名な説経節「小栗判官」に出てくる照手が草庵を結んだと言われています。
 今回、その縁もあってのことなのでしょう。敷地の中央にある木造建築の本堂で、横浜ボートシアターによる仮面劇『新版小栗判官・照手姫』が上演されました。劇団の前代表で三年前に亡くなった遠藤啄郎氏による脚本はこの劇団の代表作でもあり、新たな演出を加えた追悼公演となっています。実は、41年前の1982年5月、ボートシアターの名の通り横浜の中村川に浮かぶ船劇場で上演されたこの演目の初演を私は観ています。その前年川崎で開かれたAALA文化会議の関連イベントとして上演された劇団の旗揚げ公演『やし酒のみ』に続く第2回は、船上という新たな空間で開かれたのです。その頃、伝統芸能のことはほとんど知らなかったのですが、たまたま出会ってしまった仮面劇の世界によって古典演劇への関心を拡げる機会になりました。
 “新版”に特徴的だったのは身体全体を使った表現が増えているように見えたことです。元々舞踏会の仮面のように口元しか出ないので、目が隠れて顔の表情による演技は半減します。それだけに手足を使った踊りの要素を全面に出しながら、民族楽器の演奏とも相俟った躍動的な舞台になるのですが、それが一段と強調されていたように思います。もちろん、寺の本堂は客席も平場なので、同じ平面上で動きが無いと表現が平板に見えてしまうのかもしれません。芝居の内容は“説経節”だけに地獄の閻魔様から藤沢の上人、関寺、熊野権現まで仏教説話の要素が強くありますが、中でも餓鬼阿弥の車を引くために集まった“善男善女”のイメージは踊り念仏に連なる人々のようにも見えました。その意味で、遊行寺本堂という舞台は最も適しているのでしょう。

まつろわない語り2023年10月30日 22:02

祭文語りを聴くため、4年ぶりに国立(くにたち)のギャラリービブリオを訪ねました。近代に失われた豊穣な「語り芸」の記憶を今に伝える貴重な“声”の復活に取り組む「旅するカタリ」の公演です。20人弱しか入れない小さな民家の一室は、東北の瞽女(ごぜ)宿を思わせます。
 演目は『熊野之御本地』。熊野権現の本地(ほんじ)にあたる天竺(てんじく)のマガダ国「善財王」とその千人目の后「五衰殿」の物語。千人目にして王の子を受胎した后に向けられた嫉妬(しっと)は、后の首を刎(は)ねよという偽の宣旨に化け、五衰殿は山奥の岩窟で首を切られますが、その乳首からは母乳が絶えることなく溢れ出し、王子は聖人に見つけられるまで生き延びます。その後、王子と対面した善財王は自らの王国を去って熊野へ垂迹するという話につながります。
 “迦陵頻伽”(かりょうびんが)の声と一緒に、はるか遠く天竺からやってきた善財王一行の姿には、『かぐや姫の物語』で姫を迎えに来た月の使者のイメージが浮かびます。古代の“歌”の豊穣な世界をしばし妄想するのです。
 後半は「百年芸能祭」と称して全国に展開している鎮魂と予祝の祭りの一環でした。1923年の関東大震災から100年。当時、警察の一部も含め「朝鮮人が放火している」などの流言飛語が拡がり、それを盲信し暴徒化した自警団などにより多数の朝鮮人(中国人・日本人も含まれます)が殺害されました。一方で殺人犯のほとんどは“情状酌量”や皇太子結婚の恩赦などで罪に問われないまま釈放されます。殺された人々への慰霊はこの10年のうちに段々と無視されるようになり、政府内にはその記録が無いとする官房長官の発言も出るようになりました。そうした中で始まった100年目の慰霊から次の100年を予祝する祈りの取り組みが行われています。
 今回は、沖縄で歌われた『標準語行進曲(?)』から始まり、金時鐘の「打ってやる」、竹内浩三の「骨のうたう」、中川五郎の「腰まで泥まみれ」。そしてボブ・マーリーの名曲「No Woman, No Cry」に準じた芸能祭の主題歌「ノーヒューマン・ノークライ」。
 半世紀前なら、路上はもちろん、唄声喫茶や労働組合の集会などでさえ聞くことができたかもしれない“地べた”の歌たちも、今やこうして細かく点在する小さな集まりでしか触れることができないほどに関心が失われつつあるのが現状で、細々とであれ誰かが続けなければ朽ち果ててしまうという危機感が強くあります。J-POPに代表されるような“商品価値”を背負った歌たちに深く飼い馴らされてしまった私たちが、世に“抗う”声を取り戻すことははたしてできるのでしょうか。その試金石のようなライブでした。
 関連した記事を4年前の11月に書きました。11月5日付けが西荻忘日舎、同29日付け(右上の次>>ボタンで表示)が国立ビブリオです。以下のURLからたどれます。
 http://amiyaki.asablo.jp/blog/2019/11/

追善の狂言2023年10月10日 21:36

昨日は千駄ヶ谷の国立能楽堂で狂言「やるまい会」を鑑賞。先代野村又三郎の追善公演ということで、孫の信朗氏の東京初演となる『釣狐』、息子の当代又三郎師の『川上』、野村萬師を迎えての『鉢叩』に加え、信朗氏が東京藝大邦楽科で指導を受けた二名の先達がそれぞれ『融』・『玉の段』を舞いました。狂言の演目はいずれも初めて観るもので、笑いの部分が少なく全体として能にも近いと感じました。ただ、キツネが化けた老人にはその仕草のところどころにふと出てしまうといった“けもの”的な動きがうまく採り入れられていたり、小道具のワナが凝っていて、キツネの装束で餌欲しさに身もだえするところは大変面白かったです。『川上』では盲目の主人公が橋掛かりから杖を突いて舞台に登場し最初は一人語りで進みますが、霊験で開いた目が、夫婦の絆で再び閉じ、愛情深い同行二人で退場することになるのは、非合理という狂言の一世界だと思いました。最後の「鉢叩」は空也上人の踊り念仏を髣髴とさせる演目、9人の僧が手に持った楽器(瓢箪や鉦、竹竿など)を打ち鳴らしユニゾンで謡いながら、リズムに乗って身体を捻り次々と念仏を唱えて踊るという、追善の名にふさわしいもので、野村二家が揃って故人を偲ぶ場に立ち会ったようなものです。野村萬師のお元気な姿を拝見し、面を付けたふくべの神の登場など面白いところも見ることができました。