折り紙の年始2023年01月02日 18:35

あけましておめでとうございます。恒例の干支折り紙(うさぎ)に手間取り、年またぎで作ることになった年賀状の原稿ファイルを印刷していたら、プリンタの購入時に付属していた黒インクが資料印刷で減っていたようで、残量が尽きそうになりました。さいわい予定枚数を何とかクリアできたのですが、宛名だけは全部手書きです。日本語学習の支援でも漢字の書き方には決して触れない悪筆なので、久しぶりに少し緊張しました。その間、留学生や外国人学習者から次々とLINEで新年の挨拶が届きますが、こちらはスマホですから何の心配もありません。何とか仕上げて、本日郵便窓口が開いている港北郵便局へ午前中に届けることができました。
 正月らしい静かな雰囲気の街をそぞろ歩いていると、おだやかな陽射しのせいか、防寒着の下に少し汗が出るぐらいの陽気です。何となくお腹が空いたので、早めに家へ帰って“昼麺”を作ってみることにしました。少しだけ残っていた海鮮ポッサムキムチをペペロンチーノのパスタソースと一緒に和えてみたのですが、これがなかなか美味しい。朝のお節とは正反対のこってり系の昼食になりました。
 今年もよろしくお願いします。

新年の横浜は2023年01月03日 18:39

年末年始で3週間が空く地元の日本語教室の学習者とオンラインで新年会を開きました。元旦にLINEで年始の挨拶を交わしましたが、顔を合わすのは久しぶりです。十二支と還暦、冬の花火、ゆず湯と湯治場・銭湯、カウントダウンなど、年末年始のあれこれを話し合いながら楽しい一時を過ごしました。学習者に共通していたのが横浜港の大桟橋。“ミナトミライ”を含む360度の眺めとはいえ、露天の吹きさらしはさぞ寒かったのではないかと思います。二人が行ったのは元旦と二日の夜で、大晦日はそれぞれ別用で外出していたため、年明け直後の汽笛は聞き損ねたようです。
 横浜港に係留した船が一斉に鳴らす新年の汽笛ですが、磯子区出身の私には子供の頃から聴いてきた記憶があります。小型船の高い音は聞こえませんが、大型船の低い音は大倉山にも届きます。近年、この汽笛を「除夜の汽笛」と呼ぶそうですが、その言語感覚には到底付いていけません。イベントの時間的な重なりから生まれた俗称なのでしょうが、きれいさっぱり昨年の煩悩を落とす為ではなく、新しい年に祈る希望の音色こそをそこに聞き取りたいからだと思います。
 私にとっての「横浜」は、この汽笛の可聴範囲かもしれません。

Web版年賀状20232023年01月08日 18:42

松の内が明けたので、昨年同様に年賀状の画像をアップします。ご笑覧下さい。

語彙の劣化2023年01月14日 18:47

昨年暮れ、大倉山に引っ越して以来長く通い続けた歯科医院から電話連絡がありました。二代目の若先生が急逝され、予約を含め当面診療ができないとのことで突然の訃報に驚きました。その時、無意識に「ご愁傷様です」という型通りの言葉が口を衝いて出たことを覚えています。
 このような言葉は、おそらく親と一緒に葬儀へ出たりしながら、社会生活での一般的な挨拶として習慣的に獲得するのでしょうが、大量消費社会や少子化などによる暮らしの大きな変化が、そうした言葉の習得機会を少しずつ奪ってきました。今回のコロナ禍はその方向を決定づけたような気がします。
 一方で圧倒的に増えたのは、匿名による揶揄や悪口雑言のたぐいです。SNSを中心にネット環境に現れる決まり文句は、本を読まないという生活習慣と一体となって、若い世代から豊富なボキャブラリーを奪い、語彙を貧弱化させています。たとえば、何でも縮約してしまうスラングまがいの日本語を多くみかけるようになりました。
 習合文化のこの国で正書法のない日本語は今も様々に変容しています。外国人学習者が新しく聞き覚えた日本語をどう使って良いのか悩むことが年々増えているようで、学習支援者としても一番困るところです。さらに、近年そこへ政治家の空語が重なってきました。雄弁がいいわけではありませんが、目を覆うばかりの惨状とも言える昨今です。

浪曲の名演を聴く2023年01月16日 18:48

韓国語の勉強を始めた頃、韓国の伝統音楽を良く聴きに行きました。四谷の韓国文化院などで開かれる大掛かりな公演だけでなく、ホールや喫茶店などで行われる小さな演奏会にも足を延ばし、サムルノリや農楽、チャンゴ・カヤグム・テグムなど多くの伝統楽器の音に触れましたが、元々興味を持ったきっかけがドラマの中で交わされる言葉の響きだったこともあり、パンソリにも大いに興味が湧きました。遅まきながらイム・グォンテク監督の名作『風の丘を越えて/西便制』を鑑賞したりするうちに、後述する会で、浪曲とパンソリの共演があることを知りました。「列島と半島でそれぞれに成長した、双子みたいな二つの語り芸」を畳敷きの和室で立て続けに聴き比べたことを良く覚えています。浪曲は玉川奈々福さん、パンソリは安聖民さんでした。
 以来、少しずつ伝統芸能の公演を聴いてきましたが、大きな劇場にはほとんど足が向かず、もっぱら少人数に向けた公演を探すことが多いのです。それは、一番最初に聴いた奈々福さんの口演が20名しか入らない喫茶店での一人会だったことが影響しています。気の置けない場所の小さな会だったせいかも知れませんが、この芸能の特徴から歴史の説明に始まり、古典と新作の実演の間には本棚に並ぶ書籍名を連ねて語るアドリブまで披露してくれました。明治維新以後、様々な地方の大道芸が集まって生まれた浪曲・浪花節は、その発生時点から類まれな多様性を持っていたという点でパンソリに良く似ていたのです。
 その多様性の一端を、映像に残された記録で案内するという講座が、先日、国立劇場の伝統芸能情報館で開かれました。ようやく本題です。^^; 「国立演芸場の公演記録映像から…浪曲の魅力をたっぷり紹介」する企画で、解説は映像を選んだ奈々福さんと木ノ下裕一さんのお二人。実は、同日に本館である演芸場の資料室では「浪曲展」が開催されていて、その部屋に設置されたモニターに流れたのも浪曲の名演だったのですが、少しだけ違うのは「浪曲展」の方が「節」を中心に編まれていたのに対し、「講座」で選ばれた口演は「啖呵」の多様さを紹介するものだったことです。
 三味線との二人芸でもある浪曲で注目されるのは、主に、関東節や関西節など歌い上げる部分のバリエーションが圧倒的ですが、実は、物語を運ぶ「啖呵」にも様々な違いがあるということが、実際の映像で良くわかりました。人気絶頂期の記録映像には、名人たちが工夫して作り上げた「啖呵」のバリエーションが見事に残っています。同じ語り芸と言っても、近代化以降の新しい芸能としての浪曲は、先行する多くの寄席芸なども吸収しながら、時代や地域に応じて柔軟な変遷を繰り返してきたのでしょう。ですから、その口演の中には、講談・落語を始めとして河内音頭や多くの大道芸からも吸収した市井の言葉の遣り取りが多彩に繰り広げられます。わずか2時間で「外題付け」5本を含む14本の短い動画を観ただけでもそれは十分に感じられました。おそらく二回目が開かれることでしょう。それほど、素人目にも語り芸のすごさを感じさせる貴重な機会だったと言えます。