辞める前の御用聞き?2021年09月23日 19:21

逃げ出すように辞めた前首相の後を追うように退任を決めた現首相だが、コロナ対策に専念すると言いつつ訪米している。アメリカの僕(しもべ)としての最後の勤めかどうかは知らないが、アフガニスタンから手を引いたバイデン政権が次に画策する中国包囲網の一角としての立ち位置を確認させられているのだろう。
 幕末に“亜国”の砲艦外交によって開国を余儀なくさせられた後、南北戦争で対外政策が頓挫した“亜”に代わり本格的な通商を求めてきた英仏蘭三ヵ国を相手に厄介な外交交渉を繰り広げたのは、江戸幕府の外国奉行である。開国当初の老中首座だった阿部正弘は“聴く耳”を持った政治家で、新しく設置したこの役職に岩瀬忠震・井上清直・永井尚志・水野忠徳・堀利煕らの俊英たちを登用した。上から下まで尊皇攘夷に罹病した時代にあって開国の舵取りをした彼らの中で維新後に生き残ったのは永井ただ一人だが、彼らの下で働いた幕吏たちの中から新政府の外交を補佐したものがいた。その一人田辺太一は後に『幕末外交談』を執筆し、この時代の記録を綿密に残している。
 彼を主人公にした小説『万波を翔る』(木内昇・日本経済新聞出版社)の最後では、江戸城開城の直前、それまでの外交交渉経緯をまとめた文書を勝海舟を通じて新政府へ委ねる姿が描かれている。そこにある言葉は次のようなものだ。
 「私は外交方として勤める中で、まことに多くのものを得てございます。その多くが、『すべきこと』ではなく『してはならぬこと』でございました。どうあってもそれを、伝えたいのでございます」