心は急いても足が出ないという表現2022年03月23日 22:07

寝付けない夜を過ごすには、人それぞれに工夫があると思いますが、私は温めた牛乳を飲みながら活字に目を通すことが多いです。積ん読になっている山から一冊取り出して序章だけ読んでみたり、唯一定期購読しているジブリの『熱風』をめくってみたりもします。
 昨晩もそのつもりで蒲団から起き出したのですが、ふと録画してあった「古典芸能への招待」を思い出してビデオデッキの電源を入れました。内容は『関寺小町 古式』。一子相伝とも言われていた秘曲を後世に伝えようと、宗家ではない金春流シテ方による演能を横浜能楽堂で収録したものです。
 老女ものらしく舞台上での動きが少なく、編集のカット割りもあまり気にならない程度で、これならすぐに眠くなるかと考えていましたが、思いのほか引き込まれて最後まで観てしまいました。
 近江関寺の僧が稚児(子方)や従僧を引き連れ、山裾の庵に住む歌道に明るい老女へ教えを請いに行くという筋書きで、歌の心を稚児に説き聞かせる老女が、小野小町の歌を自らが詠んだと懐かしむことで年老いた本人であることが明らかとなります。
 冒頭から舞台中央の庵には覆いが掛けられていて、ワキの一行が訪ね来るまでシテは出てきません。覆いが外れても歌道の教えの遣り取りの間は入ったままですが、老いに向かう季節を表す立秋の七夕祭りに誘われ、ようやく庵から足を踏み出します。そして、稚児に触発された老身の舞を披露するのです。公演録画の後に小町を演じた本田光洋さんの話があって、舞の途中で足を止める“休足”の場面は、心は急いても足が出ない“急足”でもあると表現していました。
 アニメ平家物語を観続けているせいもあるのでしょうか。諸行無常を感じさせる老境の世界が見事に創造されていて、未だに不熟の我が身を振り返る良い機会になりました。^^;

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