変化への感応が鈍くなっているのでは?2022年03月14日 22:04

初夏を思わせるような暖かい陽射しとは無関係に、定期的に髪の毛を短くするため、日吉のカットサロンへ出向きました。かれこれ5年以上は続けて担当してもらっている美容師さんとの会話の中で、電車内での服装に話が及びました。それは、急に暖かくなったにしても、皆あまり上着を脱がないんですねという共通認識です。つまり美容師さんも私も、今日は二人とも上着を持たずに出かけていたのです。季節を感じるのであれば、ファッションセンスはともかくとして、重ね着を少し減らして風を感じてみたかったということでしょうか。このところ、和歌に関する本を読んでいたせいか、日本人が季節の変化に感応する感覚を重くみていた歴史を考えています。
 その“歴史”がらみで以前から気になっている言葉があります。「負の遺産」という表現です。元々は、過去の誤った歴史を記憶にとどめるための言葉だったような気がするのですが、最近では国民の意向もかまわずに無理筋で通した政策・立法などを後の政権が引き継ぐときにも使われるようになりました。具体的に言えば、現政権が、元・前首相の強引に推し進めた数々の政策・立法を見直す気配が無いという実情を表しています。私がFacebookの写真を変えられないのはそのせいで、現在もその影響は様々に拡がり、この国の精神的な劣化を加速させています。だから「負の遺産」などというものではなく、実態に合わせて「悪政の負債」と呼ぶべきでしょう。もちろん“負債”ですから、黙っていても、それは少しずつ増えていきます。
 福島原発の燃料デブリを遠い未来までどのように管理するのかさえ難問だというのに、ロシアのウクライナ侵攻に言寄せて原発“再稼働”を言い出す人士らの放言をメディアは流し続けます。「負債」は確実に次世代にとって宿痾となるはずです。少しずつでも“返さねば”…。