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    <title>タレスケの独り言</title>
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    <language>ja</language>
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    <pubDate>Sun, 28 Dec 2025 18:17:43 +0900</pubDate>
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      <title>広がる文化交流</title>
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      <pubDate>Thu, 25 Dec 2025 18:11:28 +0900</pubDate>
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      <description>留学生との交流をきっかけに関心が生まれた日本の伝統文化の一つに和歌がありました。駒込の六義園に象徴されるような歌枕の存在から、想像の世界を広げる見立ての妙へと興味が広がり、小さなWeb講座を受講したり、関連書籍の読書を通じて知識を深め、外国人の日本語学習支援のボランティア活動の中に数年前から少しずつ採り入れてきたものです。それが、ここにきて、世相がだんだん危なくなってきたこともあり、日本を離れるかもしれない学習者に向け、帰国後も日本語の面白さを覚えておいてもらおうと考えて、和歌を知る小さな集まりをZoomで始めました。&#13;&lt;br&gt;
　地元の日本語教室で担当している学習者は、現時点であまり関心がないようなのですが、同じ曜日に通って来る留学生や、昨年度皆勤で中級からN1合格まで進んだ努力家などに加え、以前NPOで学習支援後に帰国した留学生らが聴いてくれて、これまでの3回、いずれもメンバー構成が異なる3名ずつ参加しています。&#13;&lt;br&gt;
　実は、このミニ講座を初めた直後の10月に国内で発足した新政権の首相が、無分別な答弁で日中の文化交流に悪影響を与えたものですから、今後どうなるかと少し心配していたのですが、VPN等を利用して引き続きアクセスしてくれる参加者もあり、来年以降も続けてみることにしました。&#13;&lt;br&gt;
　採り上げる和歌の背景など、素人なりにいろいろ調べてみると、渡来の文化から大きな影響を受けていることが今まで以上に良くわかります。流入してきた文物を習合しながら、四季を巡る様々な情景を巧みな言葉の表現に移し替えるという営為そのものが、精神的な高みを目指していたようにも感じます。それだけに、著しく劣化した情報受容の中で、ほんの一時だけ、世の喧騒を忘れる時間を共有できたらという思いがあるのです。&#13;&lt;br&gt;
　そして、外国人の日本語学習者が好む「一期一会」の機会を少しでも充実したものにしていくことが、ひいてはこの国が戦後目指してきた国際協調の精神にわずかでも与するものになればと考えるからです。ちなみに、参加者には中国人も“台湾”人も入っています。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>日本語</dc:subject>
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      <title>諧謔が表す精神性</title>
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      <pubDate>Thu, 18 Dec 2025 18:09:43 +0900</pubDate>
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      <description>　大河ドラマ「べらぼう」が終わりました。江戸の出版文化を牽引した一市井人の生涯と、それを取り巻く創作者たち、陰で支えた職人の世界や、吉原遊廓との関わりなどが、一年を通して描かれ続けたことに大いなる賛意を覚えます。今朝の東京新聞芸能欄によれば、大河ドラマの歴代視聴率で二番目に低かったとのことですが、たとえば、唐来参和などという人名に触れることができたのは、小沢昭一さんの一人芝居以来のことです。数々の狂歌の紹介も大変面白く聴くことができましたし、社会批評的な黄表紙の隆盛は江戸庶民の精神性の高さを感じさせるものでもあります。一方で、そうした魅力あふれた題材に多くの関心が集まらないことこそが、なんともつまらない現在を象徴しているのかもしれません。ちなみに、私個人のことで言えば、三番目に低かった「光る君へ」を通じて和歌への関心がさらに高まったことも事実です。&#13;&lt;br&gt;
　「日本人ファースト」などという愚劣なメッセージの陰で、これら二作品が残したことは、特徴ある日本の習合文化の一端を日本人自身に再確認してもらうようなものでもあったのでしょう。それは、「べらぼうめ！」と快哉を叫ぶようにです。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>メディア</dc:subject>
    </item>
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      <title>存立危機事態というフカシ</title>
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      <pubDate>Fri, 12 Dec 2025 18:07:25 +0900</pubDate>
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      <description>“存立危機事態”とやらは、安倍内閣が強引に推し進めた“安保”法制の中の概念ですが、当然のことながら、これは日米軍事一体化（実質的には米軍指揮下）への流れに沿っています。従って日米安保という軍事同盟の枠組みが、仮に「イコールパートナー」という希望的観測に基づいて考えられていたとしても、その生殺与奪の権を握るのは、当然アメリカ合衆国です。&#13;&lt;br&gt;
　ところが、トランプ政権に代わったアメリカは、台湾有事に積極的な介入はしません。それは、自国のシンクタンクがその場合の敗戦シナリオを繰り返し出していることもありますが、それ以上に、世界への影響力が落ちている現在のアメリカにとっては、最も近い、南北アメリカ大陸に新たな利権を確保することが喫緊の課題だからでしょう。このところのカリブ海での軍事行動を見れば、規模は相当違いますが、本質的にはロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻とたいして変わらないことを行なっているように見えるからです。&#13;&lt;br&gt;
　先の米中会談でどのようなことが話し合われたかはわかりませんが、「台湾海峡が中国の海なら、カリブ海はアメリカの海だ」ぐらいのことは両者で確認していてもおかしくはないでしょう。それがトランプのいうディールだと思います。したがって、日本の首相が何を言っても我関せずという立場に揺るぎはないはずです。まぁ、少しぐらいのリップサービスはあるかもしれませんが…。&#13;&lt;br&gt;
　あとは、偶発的な衝突が起きないことを望むばかりです。日中の領海近く、無用な緊張を“煽る”ような発言が続いていますが、虎の威はあてになりません。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>政治</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>関心を持ち続ける人の姿</title>
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      <pubDate>Sun, 07 Dec 2025 18:05:52 +0900</pubDate>
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      <description>　一昨日、BSで放送された「妻夫木聡/沖縄/戦後80年」をカミさんが録画していました。映画『宝島』の主演妻夫木聡は『涙（なだ）そうそう』以来、沖縄への強い関心を持ち続けていたようで、旧知の知り合いに再会する傍ら、佐喜眞美術館やクマヤーガマ、砂辺書架など沖縄の歴史を語り伝える多くの場所を訪ね回ります。泣く芝居が印象的な俳優としても知られている彼は、元々の性格が“感激屋”でもあったことが良くわかりました。9月に総合テレビで放映されたことは全く知りませんでしたが、こういう番組こそ繰り返し再放送してもらいたいと思います。なお、制作は沖縄局でした。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>メディア</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>本をつくり、届ける</title>
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      <pubDate>Sat, 29 Nov 2025 18:04:14 +0900</pubDate>
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      <description>　紅葉坂上の県立図書館へ行くのは6年ぶりです。前回は「万葉集のことば　現代のことば」という飯間浩明さんの講演を聴きました。今回は「本をつくる　本を届ける」という演題で、三輪舎代表の中岡さんが話します。&#13;&lt;br&gt;
　前段に、戸塚にある明学大横浜キャンパスの図書館で事業運営をサポートする学生が活動報告を行いましたが、本を読まなくなった学生に向け、有志が様々な企画を立てては本の魅力を紹介するという、いかにも最近の大学事情を表した発表でした。図書館司書と連携しながらの活動ですが、長期間にわたってPRできるスペースがあることそのものが、大学キャンパスならではのことかとも思います。留学生は縦書きが苦手というのはうなづけます。&#13;&lt;br&gt;
　さて、中岡さんの話は、過去に何度か聴いてはいるのですが、今回それらをまとめて聴くことができたのが何よりです。本を“売る”ための“最先端”の売り場で感じた様々な本との出会いから生まれた「いつか本屋を始めたい」というワクワクする想いは、ミシマ社や夏葉社など“まっとう”な独立“系”出版社の本などとの出会いもあって、いつのまにか「出版」へと変わっていったようです。&#13;&lt;br&gt;
　出版の多くは外注。著者から校正・装丁・印刷・製本まで多くの人との共同作業になりますが、その中心というか、それらをつなぐ編集・発行作業の生産手段そのものが個人でできるまで縮小してきたことが大きな変化を促して、ひとり出版社を生み出しました。ただ、そこには「くふう」と「くろう」が必要です。&#13;&lt;br&gt;
　一方、「本屋Bar」からクラウドファンディングを経て再建途中だった石堂書店の2階に事務所を構えたものの、並行して進む「こいしどう書店」の“理想”に危惧を覚え、書店経営の実務にも関わるようになります。そこから生まれたのが「本屋・生活綴方」でした。本屋でありながら、本好きから表現者へと生まれ変わる店番（みせばん）たちと、リソグラフのZINE作りがつながり、今まで出版した本は70冊を超えています。「買う」から「読む」、「読む」から「作る」という活動の綴りは、一種の社会運動とも言えるものになり、学校教育や地域活性化にも広がっている事例が紹介されました。&#13;&lt;br&gt;
　そういえば、“タイパ”の時代に「おそくて、よい本」作りを標榜する三輪舎の新刊は3年ぶりのことですが、そこには手作業で作った仕掛けが施されています。そして、それは“本屋”の小上がりで完成したのです。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>読書</dc:subject>
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    <item>
      <title>日中の橋懸かり</title>
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      <pubDate>Sun, 16 Nov 2025 18:01:03 +0900</pubDate>
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      <description>　外国人の日本語学習支援の一環として、先月から季節の和歌を紹介する小さな小さなWeb“講座”を始めました。毎回テーマを決め、古今和歌集を中心にその題材にふさわしい5,6首の和歌を探しては、関連する情報と一緒に紹介するというものです。どちらかと言えば理系の仕事に携わってきた人間なので、古典の専門的な知識は全く持ち合わせておらず、作歌の経験もありません。当然のことながら、自分の勉強が９割ぐらいを占めているのが実状です。&#13;&lt;br&gt;
　あえていえば、退職後よく聴きにいくようになった様々な伝統芸能にも含まれる、「見立て」という日本文化の特徴的な美意識に惹かれるところがあって、その表現の多くを和歌から感じてみたいという意識が強くなりました。NPOの文化祭で行った音読や、地元の日本語教室で行った「七五調」紹介の延長線上にもあります。&#13;&lt;br&gt;
　元々のきっかけは、学習支援を担当していた留学生と一緒に、様々な日本文化を知る機会があったことです。その留学生が今回、中国から参加してくれました。帰国してからも時々メールのやり取りやZoomで話したりはしていますが、この度の一政治家の“度し難い”発言で外交関係が急速に悪化する中での参加でした。この記事をアップしようとした矢先に、中国教育省が「日本留学は慎重に」というコメントを出したそうです。&#13;&lt;br&gt;
　今後どうなるかは予断を許しませんが、細々と日中の交流を続けていこうと考えています。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>日本語</dc:subject>
    </item>
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      <title>自壊へと突き進む政治</title>
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      <pubDate>Sat, 15 Nov 2025 17:59:38 +0900</pubDate>
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      <description>12年前の杞憂がいよいよ現実化してきたような昨今です。週末に「ばけばけ」のテーマソングを聴くたびに、日一日と「世界が悪くなる」。そして「気のせいかそうじゃない」と自覚する繰り返しが続いています。&#13;&lt;br&gt;
　「（中国が）戦艦を使って、（台湾海峡への）武力の行使も伴うものであれば（日本の）存立危機事態になり得る」という首相発言は、何重にも無分別な認識から来ていると感じます。“戦艦”という時代錯誤は置くとして、国際的には他国の“国内”事情に“防衛出動”する可能性があると受け止められる答弁は、その昔、山縣有朋が提唱した“利益線”がいつのまにやら“生命線”へと変わっていった満洲と、その後の日本の歴史を彷彿させます。&#13;&lt;br&gt;
　国連の“敵国”条項がいまだに残っている状況で、不戦を誓った憲法を持つこの国が、こうした情報を発信したことは、いかに政府が現実世界を見ていないのかを世界に知らしめたことになるでしょう。アメリカ、いやトランプ政権は静観します。ジャパンハンドラーがいなくなったホワイトハウス周辺でも、高市おろしの動きは出てこないはずです。彼らが日本に求めるのは、今や、どれだけ金になるかだけですから…。&#13;&lt;br&gt;
　空手形の“経済安保”しかないくせに、自国の優れた技術を冤罪へ貶めるような司法がまかり通る状況は、自壊へ進んだ安倍路線の成れの果てに見えます。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ばけばけと宇宙人の目</title>
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      <pubDate>Sat, 08 Nov 2025 17:58:33 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-12-28T17:59:10+09:00</dcterms:modified>
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      <description>朝ドラ「ばけばけ」のタイトルバックの文字が小さいと話題になっているようです（その後、少しだけ改善）。情報メディアとしてのテレビの物理的な大きさは時代によってずいぶんと変わってきましたが、初期の画角４：３（NTSC規格）では、実験放送時代の14インチから高級家具並みの外枠を付けた20インチ以上の製品までが普通でした。その後、画角16：9（HiVision2K規格）を経て、現在は4K対応の製品も多く出回っていますが、26〜32インチは2K普及品で、量販店などで勧める標準的なサイズは40インチ以上です。なかには100インチという映写スクリーンサイズも現れています。&#13;&lt;br&gt;
　そうした時代状況もあって、放送用のメディアコンテンツを創る現場では、4K対応以上のマスターモニター（至近距離での映像確認用）が31インチ、一般家庭を想定した一般視聴確認用はおそらく65インチクラスを使っているのではないかと思われます。&#13;&lt;br&gt;
　当然のことですが、そうした環境で制作•放送されるコンテンツは、小さな画面での見え方に十分な配慮が行き届きません。NHKが“高解像度”を謳って番組を提供し続ける限り、ごく一般の視聴者との画面意識のギャップはなかなか埋められないような気がします。日常的にはテレビを観ていないので、よくはわかりませんが、高解像度が本当に必要な番組はほとんどないというのが実状でしょう。実際、民放各局は再来年度から4K放送をやめることにしました。&#13;&lt;br&gt;
　おそらく、ネットフリックスなど有料のサブスク系動画プラットフォームは大画面での提供を前提として今後も続くのでしょうが、一方で、SNSなどの“無料”ネットメディアは、“大きな文字”を含め画面全体を使って単純な訴求力を上げる方向に進んでいますから、このままでは大きな乖離が生まれるかもしれません。今後、活字離れがますます進み、情報需要が動画に集中すればするほど、人間の視覚神経の精神的な分裂症状が現れてくるような気がします。&#13;&lt;br&gt;
　たとえば、SFに出てくる大きな目の宇宙人の表象が何だか少し現実味を帯びてきたように思いました。&lt;br&gt;
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      <title>等身大の絵本の価値</title>
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      <pubDate>Fri, 31 Oct 2025 17:57:26 +0900</pubDate>
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      <description>　菊名の個人出版社三輪舎より『さいしょのにんげん』という題名の絵本が出たので、過日購入して読了しました。ネット上のあちらこちらで既に評判になっているようなのですが、何がどう良いのかには、ほとんど触れられていないところが、ある意味、今の時代を表しているようにも思え、何だかもやもやとした気分が募っています。そこで、あえて個人的な感想を述べてみたいという野暮な気持ちが生まれてしまいました。以下、簡単な感想を記します。&#13;&lt;br&gt;
　聞き知ったことによれば、制作にはずいぶんと長い期間をかけて、多くの推敲や検討がなされたようですが、それがほとんど感じられないように、話は坦々と、実に坦々と進んでいきます。ある男の子の一日が夢をめぐるように朝から夜まで描かれていて、そこかしこに、一見乱雑に見える様々な表象が“ごった煮”のように現れます。&#13;&lt;br&gt;
　何よりこの絵本に特徴的なのは、いわゆる“メディア”が出てこないことです。朝日が差してベッドから起き上がる表紙に象徴されるように、そこにはまず、“からだ”があって、その延長線上に様々なできごとが積み上がっていきます。子供の“からだ”は、時に他の“からだ”と交差しながら、世の中を動き回るのですが、ところどころで五感の働きが描かれるのです。&#13;&lt;br&gt;
　子供が人間社会という大きな現実に関わっていく様子が、遊びから買い物・家族まで、それぞれに“問い”や“対話”を通して経験していく形で書き継がれ、その果てには、人間そのものへの関心に向かうところまで広がります。&#13;&lt;br&gt;
　その昔、甥っ子に贈った何冊もの本はいずれも「物語」ベースのものだったので、子育ての経験のない私にとっては、この本が子供にどう受け止められるのかは想像外です。制作に関わった人たちの育った時代が、既に私の子供時代とは大きく変わっているだけになおさらです。ただ、この、いかにもそれらしい装丁の絵本を一言で言い表すとしたら、「等身大」という言葉が最もふさわしいと考えています。それが難しい時代になっていることの裏返しなのかもしれません。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>読書</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>見立てと七五調</title>
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      <pubDate>Fri, 24 Oct 2025 17:55:49 +0900</pubDate>
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      <description>日本語を学ぶ外国人に和歌を紹介する機会をオンラインで作りたいと思い始めたのは、今から5年ぐらい前のことです。ちょうど、コロナ禍の最中でした。論文チェックから、日本語の幅広いレッスンを経て、様々な文化行事にも一緒に参加した留学生と、歌枕で知られる駒込の六義園を訪ねてみたいと考えていた頃です。&#13;&lt;br&gt;
　その後、能楽師のWeb講座を聴いたり、和歌の関連本を読んだりしているうちに、「見立て」や「掛け詞」のような豊饒な言語文化に加え、失われつつある四季の感覚、今に繋がる伝統芸能や、関連する多くのサブカルチャーなどを気にかけるようになりました。&#13;&lt;br&gt;
　専門的な勉強などしたこともない一介のボランティアだからこそ、「日本文化のごった煮」のような紹介ができるのではないかと思いながらも、まずは、その前段として「七五調」と呼ばれる短詩型の由来を調べ始めました。それは、『声に出して読む日本語』をブックオフで買いあさっては担当留学生一人一人に進呈してきたことの延長線上でもあります。&#13;&lt;br&gt;
　その後、「日本語のリズム」に関するワークショップを二度開き、その過程で、今度はいろいろな伝統芸能を聴き続けてきた経験が繋がります。型や、調子や、障りなど、芸能たらしめるための様々な仕掛けは、日本語という母語だからこそ生まれてきたものであって、今でも多種の語り芸を日常的に聴く事ができるという得難い環境もまた、この国ならではの貴重な宝と言って差し支えないでしょう。&#13;&lt;br&gt;
　手術後の合併症がすこしずつ良化し、古稀を迎えたこの時期が、この国の不思議な文化の一端を“帰国”後も覚えていて欲しいという以前からの目論見を実現する、最後のタイミングのように思えました。それだけ、強い危機感を覚えています。&#13;&lt;br&gt;
　彼女ら日本語学習者にとっては、何より、そうした歴史文化遺産に触れる事もなく、ただ威張りたいだけの日本人と接するような機会ばかりが増える可能性が高くなりました。本当の意味での「自虐」が蔓延し、自壊が進むこの国で、公金を私（わたくし）する為政者と、幇間のように支えるSNSやメディアが跋扈しています。&#13;&lt;br&gt;
　そうした喧騒から、一時でも離れてみる機会を作れたら本望です。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>日本語</dc:subject>
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      <title>小選挙区制が生んだ政治への無関心</title>
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      <pubDate>Tue, 21 Oct 2025 17:54:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-12-28T17:55:19+09:00</dcterms:modified>
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      <description>村山富市氏が亡くなり、直近の「戦後80年所感」との関連で、あの自社さ政権当時の「戦後50年談話」が再び話題になっていますが、私はあの時代に始まった政治“改革”である「小選挙区制」導入の方がよほど強く印象に残っています。&#13;&lt;br&gt;
　死票が多く、民意が十分に掬い取れず、小規模政党が国政から追いやられ、当時は“革新”とも呼ばれた社会民主会派が大きく後退した結果、二大政党路線の流れは、国民の支持を失った左派社会党から中道保守の新進・民主党に移っていきました。自治体の首長が、“革新”系知事から官僚出身者へと移り変わるきっかけにもなったと思います。&#13;&lt;br&gt;
　1票の格差がひろがり、国民が政治への関心を失って、排外主義がこの国の自壊を一層進めているのにも関わらず、議員定数の削減という少数意見を持つ人々の政治参加をさらに阻害するような動きがまたぞろ出てきているようです。&#13;&lt;br&gt;
　多くのメディアが政局報道に明け暮れている様子に心底嫌気が差していることもあり、終日ひとり静かに、購入したばかりの日本語能力検定N1の受験対策本を読みながら、12月の試験日に向けたレッスンの方法を考えています。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
    </item>
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      <title>外国人と学ぶ和歌</title>
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      <pubDate>Sun, 19 Oct 2025 17:48:30 +0900</pubDate>
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      <description>古稀を過ぎてから、いろいろと忙しくなっています。先々週の土曜日は帰国して上海に住む元留学生とZoom。先週の日曜日は地元の国際交流ラウンジの「ワクワクまつり」で担当学習者の日本語スピーチをアテンド。水曜日はNPOに新入会した中国の留学生と発話のレッスン。木曜の夜はいつもの日本語教室で３人を相手に学習支援。そして本日の午前中は、七五調の簡単な紹介と、“外国人向け”の「和歌を知る小さな集まり」の第1回。全く別の参加者3人を相手のオンライン勉強会です。テーマは“秋の虫”、古今和歌集や源氏物語などの古典、虫に関わる日本の文化などを簡単に紹介しました。QRコードのないチラシを作り、メールで申し込んだ人だけにZoomのURLを教えるという“小さな”あつまりです。30分の解説と短いフリートークで伝えられるものはごくわずかですが、その内容の数々が、生成AIではなく、生身の一個人の頭の中で繋がっていることはちょっと特別です。引き続き参加の希望がありましたのでこれを続けます。次回は“紅葉”の予定です。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>日本語</dc:subject>
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      <title>付けっぱなしメディアからの逃避</title>
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      <pubDate>Sun, 05 Oct 2025 17:47:21 +0900</pubDate>
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      <description>　古稀を迎えました。この国の行く末が案じられますが、少なくとも後期高齢者になるぐらいまでは、留学生を含む外国人への日本語学習支援を細々と続けていきたいと思います。&#13;&lt;br&gt;
　一方で、添削“例”を作って彼女らの文章に手を入れるということはめっきり減りました。生成AIを活用すれば、文法的に正しいごく普通の日本語を書くための練習はほとんど不要となっているからです。旧Twitterなどに書き散らされる膨大な駄文に比べれば、はるかに適切な日本語を外国人が表現できる時代でもあります。比較的最近の話ですが、自動制御技術に関する専門的な文章をどのようにしたら“日本語らしく論理表現”できるのかを教えて欲しいというリクエストが理工系の留学生からありました。4回ほどのレッスンを集中的に行った後しばらくして、希望していた日本企業に無事内定したという吉報が届きました。&#13;&lt;br&gt;
　人の文章を添削して、一つの“例”として示すという作業はそれなりに頭を使いますし、作文の感覚を持ち続けるのも大変です。その練習のためにも、こうして、この欄に短文を書き続けてきたわけですが、その必要性も減りつつあります。アルゴリズムに催促されて10年も前の自分の文章を読む機会があると、当時は今よりもう少し深く考えていたように感じる事が多くなりました。&#13;&lt;br&gt;
　一つには、情報の津波のようなネット世界の惨状があるのかもしれません。過日書いたように、自分にとって有意な情報だけを知りたいのに、SNSが勝手な“関連”アルゴリズムで並べるタイムラインを続けて読まされるのは苦痛です。精神集中も思考も疎かになります。私自身はSNSの勧める情報へほとんど関心を向けないのですが、もしかしたら、誰かの広告だけにとどまらず、リクエストに応えた“友達”の関心領域までもが混交することもあるのでしょうか。そうであれば、それは“付けっぱなしのテレビ”と何がどう違うのでしょう。私は戦後世代のテレビっ子ですが、父親の観る番組が優先される家庭にあって、時に一人で図鑑や本を眺め、長じてはラジオを聴く時間を持つことができました。今考えると、それはとても貴重なことだったのかもしれません。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>メディア</dc:subject>
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      <title>ハンドドリップと保守</title>
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      <pubDate>Sat, 27 Sep 2025 17:45:43 +0900</pubDate>
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      <description>私は“保守”的な人間なので、気に入ったコトの多くが長く習慣づきます。たとえば毎朝コーヒーを淹れて飲む習慣はかれこれ25年を超えました。珈琲に関心を持ち始めた頃、東京・神奈川近郊の自家焙煎珈琲店を巡る中で、とても上質な酸味を味わうことができたのが、今でも世田谷の千歳船橋にある「堀口珈琲」です。ここで、珈琲抽出講座を受けたのが2000年のこと。以来、我が家の数少ない贅沢として、毎日1～2回、焙煎豆を挽き、ハンドドリップで淹れたコーヒーを飲んでいます（25gで二人分）。&#13;&lt;br&gt;
　当初は、興味本位で探し出した手回しのミル（ザッセンハウス製）をもっぱら使っていました。今も営業している天王町の「珈琲問屋」が当時破格の安さで売っていたものです。その後、フレンチプレスから水出しコーヒー器具、エスプレッソ用のマキネッタまで、珈琲の抽出は一通り経験したものの、退職後はもっぱらコーノ式のハンドドリップに落ち着きました。現在は、焙煎機のメーカーとして有名なフジローヤル製の電動ミル『みるっこ』（グラインド臼）を愛用して15年が経ちます。「堀口珈琲」のオリジナルカラーで、当時は３万円代で購入できたはずです。近年の家電のような初期故障もなく、今も安定して快適に挽いてくれます。先日も、挽き臼部分を掃除したら、購入時のような静かなモーターの回転音が響きました。&#13;&lt;br&gt;
　ちなみに習慣とは違いますが、成人し選挙権を得てからの半世紀にわたり自民党とその推薦候補に投票したことはただの一度もありません。“保守”という言葉は本来、キックバック等で潤う権益にしか頭にないような政治屋や、差別主義者に使う言葉ではないのです。たとえば、民主主義を勝ち取った隣国の民衆が、繰り返しデモを行っては為政者の振る舞いを正して自由を守ったことにもつながる言葉だと私の頭の中では位置づけています。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>政治</dc:subject>
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      <title>情報の海に埋もれるリテラシー</title>
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      <pubDate>Tue, 23 Sep 2025 17:43:30 +0900</pubDate>
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      <description>　少し前から、Facebookのタイムラインになんの関係もない記事ばかりが繰り返し現れるようになりました。これまでに“友達”リクエストの要請に応えてきた76名のうち、自ら発信する人はごく限られていただけに、それらの記事も様々な情報の海に埋（うず）もれがちになっています。&#13;&lt;br&gt;
　その昔、パソコン通信の掲示板は広告もなく、限られたメンバー同士の濃密なコミュニケーションが成立していました。しかし、最近のSNSはスーパーマーケットのチラシのような“消費”のための猥雑なメディアに堕していると強く感じます。&#13;&lt;br&gt;
　そもそも私が惹かれるのは、自分自身の具体的な体験に繋がるものばかりなので、いわゆる「おすすめ」のようなものには全く関心が向きません。「ランキング」などというものにも無頓着です。日本語学習を支援したある留学生から「これは日本で一番ですか」と訊かれる度に閉口していました。&#13;&lt;br&gt;
　インターネットが一つの公共空間であることはまぎれもない事実ですから、そこで行われる囲い込みも、社会状況をそのまま反映したものになるのでしょうが、プラットフォームとして“利潤”の追求ばかりを求めた結果は、コンテンツの急速な劣化を伴うことになりました。&#13;&lt;br&gt;
　そうした状況に依存すればするほど、情報受容のリテラシーは堕ちていきます。本来、一律に管理するようなものではありませんが、諸外国や国内の一部地域で、ネットやSNSの利用に、年齢制限などをかけることがいまさらのように検討され始めています。元々同調圧力が強い国柄で、反知性主義も広がり始めたこの国にあって、“デジタルデバイス”は大麻どころかアヘン並みの“麻薬”に化しているようです。&lt;br&gt;
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