武器商人たちの高笑い2022年03月01日 21:57

「戦争反対」という声が世界各国の“市民”から湧き起こっているの対して、西側の軍事同盟であるNATO加盟国政府からは「武器援助」の申し出が相次いでいることの対照を強く感じます。
 ソ連解体後のNATOの東方拡大が、国際関係の緊張に中にある緩衝国の存在を少しずつ減らし、今や北欧の中立体制も揺らぎ始めました。「拒否権」という“諸刃の剣”で国連が調停機能を失っているときこそ、本来なら、国際平和を希求して平和憲法で国際社会に“受け入れられた”この国が、中立の立場から緊張緩和の舞台を用意する提案を行う機会となったはずなのですが、残念ながらそのような独自外交はもう望むべくもありません。
 2014年のロシアによるクリミア半島の併合を、世界中の武器商人たちは自らの“ビジネス”拡大のチャンと驚喜して歓迎したはずです。ウクライナの軍事費拡大が、今期せずしてロシア軍の侵攻を遅らせているのかも知れませんが、そのことで、より多くの市民の犠牲が生まれる可能性もあります。
 火に油を注ぐことなく、停戦のために、国際社会は一刻も早い武力衝突の停止を“働きかけて”欲しいと願います。

武器生産に対抗する些少の難民支援2022年03月04日 21:58

66年生きてきた中で差し迫った危険を感じた事がほぼないのは、冒険心や意気地がない証拠ですが、コロナ禍をきっかけに半分引きこもりのような生活をしています。ロシアのウクライナ侵攻に反対するデモが世界各地で行われる中、この国で行われる“直接行動”は当事者につながる来日中の両国人が中心で、街頭へ立ったり呼号して車道を歩くということは“多く”の日本人が遠ざかって久しいもののようです。その代わりといっては語弊があるかもしれませんが、SNSなどインターネット上には膨大な書き込みが流れていて、わずか10人ほどしかフォローしないTwitterのホーム画面を見ているだけで圧倒される気分です。ただ、情報ソースとしては現地周辺を始めとしたフェイクも数多く発信されているとのことなので、ある程度信頼できる海外メディアを拾い読みすることが多くなりました(今回はBBCジャパンが中心)。
 一触即発の時局になると、相も変わらず、ここぞとばかりに火事場泥棒のような発言を振りまく人士が現れる世相も、耳目に入れる情報を極端に減らしている今は、なにか遠い所で演じられる三文芝居のように感じてしまいます。それでも、いくつか気になることは出てくるもので、現首相が「非核三原則」を守り難民を受け入れると発言したと聞いて、少なくとも前・元首相であったらどうなっただろうかと胸をなで下ろしたことは間違いありません。
 今回あらためて確認したことは、武器を作る会社(国や人間を含め)に反対の声が上がらないことと、原発はやめなければならないということです。市民を犠牲にする侵攻が早く終わることを祈った上で、難民を支援する国際的なボランティア組織に寄附をしようと考えています。

自己満足のメディア2022年03月05日 22:00

昨日、行きつけの病院で、新型コロナウィルスワクチンの3回目の接種を受けてきました。当日は注射部位あたりに痛みは出たものの軽い症状でしたが、夜半から本日の午後にかけて、段々と筋肉痛のような痛みと倦怠感が全身に広がってきました。微熱もあって何もする気が起きないので、撮り溜めてあるビデオをのんびり観るぐらいで過ごしています。
 ただ、土曜日なのでTBSの「報道特集」だけは確認すると、金平さんは引き続きウクライナに滞在中で、国境近くの街から少し北にある大きな街にも足を延ばし、被害を受けた市民を取材していました。他に外電や防衛専門家の取材を交えながら伝える情報は、今のマスコミの中で一番信頼に足るもので、1週間に一度の放送ですが、こうした番組が残っていることにホッとします。
 政治の一勢力の広報に堕した某局のニュースなど足元にも及びませんが、一方で同局が放映するドキュメンタリーの中には優れたものが少なくありません。今日も、弱者に目を向けた番組をカミさんが観ていたので、ちょっと覗いたところ、とても気になることがありました。それは、画面にスーパーする文字のアウトラインに黒エッジを付けず白い文字だけをそのまま載せてあり大変読みにくいということです。編集室の暗い環境で、解像度の高いマスターモニターで見ていたら、それほど気にならないのでしょうが、メディアは情報が届く場でどのように受け止められるかを考えなくてはなりません。見た目ばかりを優先して肝心の情報が視聴者に届かなくては何の意味もありません。情緒に流れて本来伝えるべきことが疎かになっては本末転倒です。見聞きした人に何かしら“動くきっかけ”を作ることが放送というものの醍醐味なのだと私は考えていますが、最近自己満足に終わっているものが増えていると感じます。

伝統芸能における女性の存在2022年03月09日 22:03

昨日は世界女性デーでした。先週、日本語学習者にあらかじめ教えてもらったので、今週はそれをテーマに話そうかと考えてWeb上の文章素材を探すのに少し苦労しました。そこで、息抜きの代わりに、Twitterで知った“東博”開催の「体感!日本の伝統芸能」の紹介映像をYoutubeで観ていました。内容は、歌舞伎の衣装をどのように維持しているかについてのインタビューです。
 11分30秒ほどの動画は、日本の伝統芸能でもっとも人気の高い歌舞伎が、多くの職人たちの下支えによって維持されているということを、前半が職人たちの応答、後半が松竹衣装取締役の説明で構成されています。その映像を観ていて、ふと思い浮かびました。家の芸を代々相伝する役者や、興行を支える会社の幹部は男性であるのにたいし、芸能を下支えする多くの職人は女性であるという実態です。その“是非”をいうのではなく、はからずも実態を見せてくれたこのインタビュー集を受け止める見方が、今までとは明らかに変わるだろうということです。
 先日、大阪相愛大学の伝統芸能コーディネーター養成講座(人形浄瑠璃)の修了証が届きましたが、受講されているのは多くが女性だったようです。日本が誇る伝統芸能の世界に女性の活躍が必須だということは、もっともっと“声を大きくして”語るべきものだと思います。

変化への感応が鈍くなっているのでは?2022年03月14日 22:04

初夏を思わせるような暖かい陽射しとは無関係に、定期的に髪の毛を短くするため、日吉のカットサロンへ出向きました。かれこれ5年以上は続けて担当してもらっている美容師さんとの会話の中で、電車内での服装に話が及びました。それは、急に暖かくなったにしても、皆あまり上着を脱がないんですねという共通認識です。つまり美容師さんも私も、今日は二人とも上着を持たずに出かけていたのです。季節を感じるのであれば、ファッションセンスはともかくとして、重ね着を少し減らして風を感じてみたかったということでしょうか。このところ、和歌に関する本を読んでいたせいか、日本人が季節の変化に感応する感覚を重くみていた歴史を考えています。
 その“歴史”がらみで以前から気になっている言葉があります。「負の遺産」という表現です。元々は、過去の誤った歴史を記憶にとどめるための言葉だったような気がするのですが、最近では国民の意向もかまわずに無理筋で通した政策・立法などを後の政権が引き継ぐときにも使われるようになりました。具体的に言えば、現政権が、元・前首相の強引に推し進めた数々の政策・立法を見直す気配が無いという実情を表しています。私がFacebookの写真を変えられないのはそのせいで、現在もその影響は様々に拡がり、この国の精神的な劣化を加速させています。だから「負の遺産」などというものではなく、実態に合わせて「悪政の負債」と呼ぶべきでしょう。もちろん“負債”ですから、黙っていても、それは少しずつ増えていきます。
 福島原発の燃料デブリを遠い未来までどのように管理するのかさえ難問だというのに、ロシアのウクライナ侵攻に言寄せて原発“再稼働”を言い出す人士らの放言をメディアは流し続けます。「負債」は確実に次世代にとって宿痾となるはずです。少しずつでも“返さねば”…。