二ヵ所への募金(情報の非対称性を考える)2022年03月23日 22:06

黒海へと通ずる港を持つウクライナの主要都市マウリポリにおける戦災被害が拡がり多数の死傷者が出ている模様です。ロシア側の情報にみられる民族主義団体アゾフによる“工作”や、国連総会での「生物・化学兵器」の開発疑惑発言など、日中戦争での“支那”現地軍の振る舞いにも似た、残虐な行為を糊塗する物言いに唖然とします。
 包囲下の街を脱出したAP通信記者のコメントによれば、地域のコミュニケーション手段を断って、封鎖した都市全体を攻囲する実態を国際世論から切り離す作戦も行われているようです。
 人間は時にいくらでも狡猾・残酷になれます。たとえ、自国に影響が大きい核兵器を使わなくても、戦意を挫くような残酷な兵器の開発・使用は止みません。躊躇せず“効率的”に人を殺すことができるような最新兵器が次から次へと出てきます。一昨年初めて開催され、年初に二回目が開かれる予定だった“防衛装備品”見本市はコロナ禍で延期になったようですが、武器を多く持つ限り、より多くの人が亡くなることも確かなことのように思われます。
 それにしても、以前からずっと考えている情報の“非対称性”が、避難民の受け入れという事例にも反映していることが残念です。そういえば我が国の“防衛”大は、ミャンマー軍幹部を受け入れて軍事教育訓練を行う予定ですが、これは“非対称性”以前の人権に関わる問題ではないでしょうか。
 個人的には、難民救援の実績に優れたNPO宛てに今月初め些少の寄附金を送りました。使途が選べたので、半分をウクライナへ、半分をロヒンギャの難民支援としています。

心は急いても足が出ないという表現2022年03月23日 22:07

寝付けない夜を過ごすには、人それぞれに工夫があると思いますが、私は温めた牛乳を飲みながら活字に目を通すことが多いです。積ん読になっている山から一冊取り出して序章だけ読んでみたり、唯一定期購読しているジブリの『熱風』をめくってみたりもします。
 昨晩もそのつもりで蒲団から起き出したのですが、ふと録画してあった「古典芸能への招待」を思い出してビデオデッキの電源を入れました。内容は『関寺小町 古式』。一子相伝とも言われていた秘曲を後世に伝えようと、宗家ではない金春流シテ方による演能を横浜能楽堂で収録したものです。
 老女ものらしく舞台上での動きが少なく、編集のカット割りもあまり気にならない程度で、これならすぐに眠くなるかと考えていましたが、思いのほか引き込まれて最後まで観てしまいました。
 近江関寺の僧が稚児(子方)や従僧を引き連れ、山裾の庵に住む歌道に明るい老女へ教えを請いに行くという筋書きで、歌の心を稚児に説き聞かせる老女が、小野小町の歌を自らが詠んだと懐かしむことで年老いた本人であることが明らかとなります。
 冒頭から舞台中央の庵には覆いが掛けられていて、ワキの一行が訪ね来るまでシテは出てきません。覆いが外れても歌道の教えの遣り取りの間は入ったままですが、老いに向かう季節を表す立秋の七夕祭りに誘われ、ようやく庵から足を踏み出します。そして、稚児に触発された老身の舞を披露するのです。公演録画の後に小町を演じた本田光洋さんの話があって、舞の途中で足を止める“休足”の場面は、心は急いても足が出ない“急足”でもあると表現していました。
 アニメ平家物語を観続けているせいもあるのでしょうか。諸行無常を感じさせる老境の世界が見事に創造されていて、未だに不熟の我が身を振り返る良い機会になりました。^^;