押しつけられたイメージの解放2018年11月03日 14:44

 時々、これは何と表現したら良いのだろうかと考えてしまうものがある。簡単に言ってしまえば良くわからないからなのだが、それが嫌ではない。10代の頃から頭でっかちに背伸びしてきたこともあって、身の回りに良くわからないものがあっても、それはそれで良いと考えている。しかし、歳を重ねると共にそうした体験をすることに少しずつ及び腰になっている自分を感じることもある。だから、前から関心を持ってはいたものの、今までずっとチケットを予約するのを躊躇していた。
 昨日、高円寺へ行ってある“公演”を観てきた。演者が全て重度の身体障害を抱えている劇団態変という演劇グループの舞台である。その障害は様々で、中には四肢がほとんど無い人もいる。『ニライカナイ − 命の分水嶺 −』と題した公演は相模原で起きた2年前の殺人事件が契機になったという。単色のレオタードの他は、あるシーンで付けていたキジムナーを思わせる仮面のみ。台詞が無いので、音楽と効果音と照明に彩られたダンスパフォーマンスともいえる。障害が軽度な人は軽やかなステップを見せるし、重度の人は横転したり舞台を擦りながら進む。それが調和して見える。背景はガジュマルを模したかのような南洋の樹木らしきセットだけ。2幕11シーンが次々に暗転してゆく。
 観ていて、どうも落ち着かない。初め大きすぎると思われた音量に耳が馴染んだ頃になって、何やら観ている自分の身体も動き出したいような誘惑に駆られる。座って観ているのが不自然に感じるほど、目の前の舞台には様々な動きが充満していた。「これでもか…」というように。極力、黒子の補助を排除した演者だけのパフォーマンスになっていて、そこには非常なエネルギーが存在する。そして、そのパワーが伝わってくる。観終わった後、軽い疲れを感じながら元気な心持ちになっていた。不思議な経験だった。
 上演された「座・高円寺」では、かれこれ5年ぐらい前、韓国語を習い始めた頃に「国語の時間」という芝居を観ている。植民地時代の朝鮮半島で行われた“国語”、つまり日本語が押しつけられた教室を題材にした舞台劇である。その同じ劇場で、今度は“障害者”という押しつけられたイメージを破る舞台を観ることになった。こんなところに何かの“縁”を感じている。

京城の日本人2018年10月25日 14:42

 地元での一仕事が終わってからの楽しみがもう一つあった。昨日は駒場へ芝居を観に行く。平田オリザ作・演出による青年団初期の作品『ソウル市民』とその10年後を描いた『ソウル市民1919』がアゴラ劇場で続けて演じられた。6月に吉祥寺で『日本文学盛衰史』を観たときにもらったチラシでこの秋の公演を知り、ずっと待ち遠しかった舞台である。
 初めて演題を見たときは、韓国への留学経験がある平田オリザの体験に基づく80年代のソウルを背景にした作品かと思っていた。ところが、描かれた時代は20世紀初頭、つまりソウルがまだ「京城」と称していた頃。では、なぜ“ソウル市民”なのか。初演当時「現代口語演劇」と呼ばれたように、西洋演劇の翻訳調から抜け出すための実験の中には日常の自然な日本語表現そのものに劇的要素を見いだす試みがあったのだろうか。もしかしたら、1990年代の日本人にとってより自然な“ソウル”をあえて採用したのかもしれない。そんな風にも思えた。
 さて、舞台は“京城”(ソウル)で中堅の文具店を経営する一家のリビングルーム。時代は韓国併合の1年前だが、大旦那が最初に店開きしてから既に30年も経つ一族には、使用人の娘として生まれ、日本語に不自由なく育った朝鮮人女中“淑子”までいる。大家族が入れ替わり立ち替わり居間で繰り広げる話題は様々で政治から芸能まで幅広いが、その多くが朝鮮半島でのことであり、時に“朝鮮人のこと”が含まれる。「朝鮮人は…」という時の、当時の平均的な日本人を彷彿とさせる、どこか侮蔑感と優越感の交じった言葉の数々が、会話の中に無意識に含まれる。それは、朝鮮人の女中がその場にいても変わらない。もちろん、“差別される側”は時代や場所を超えて繰り返し創り出されているが…。だからこそ、ごく普通の日常会話の中に潜む差別意識を「現代口語」による表現によって浮かび上がらせたこの舞台を、今再演しようとする意味は大きい。
 続編『ソウル市民1919』では同じ一家の10年後、“三一運動”当日のリビングルームが舞台だ。表通りを歩く多くの朝鮮人の存在を認めながら、それでも普段の日常を続ける彼らは、前作同様の態度でその様子を揶揄する。一方、興行の為に初めてやってきた俄力士の不安と焦燥が、朝鮮半島に住む日本人達の感覚と対比される。その俄力士が舞台から去り、後に残された一家が、歌詞を京城に置き換えた「東京節」を歌うところで暗転して終わる。
 いずれも、90分を超える実時間の一場に、日常に潜む様々な“支配”の実相を描き出した見事な作品だった。一家のその後を描いた『ソウル市民 昭和望郷編』・『ソウル市民1939恋愛二重奏』も是非観てみたい。

手で表現する狂言と能2018年10月23日 14:40

 喜多能楽堂へは一年ぶり。前回は能楽師の安田登さん達が主催する天籟能だったが、今年の同公演は日程が合わずに残念ながら行けなかった。その代わりというわけではないのだが、同じく安田さんがワキで出演する“手話能”の公演を見つけ、この日を心待ちにしていた。
 地元での一仕事が終わって肩の荷が下りたところでもあり、心軽やかな気持ちで見所(けんじょ)に座ることができたのは何よりだった。公演の名称は「手話で楽しむ能狂言鑑賞会」というもので、全編手話で行う手話狂言と、舞台袖で手話の同時通訳が行われる能が上演された。「六地蔵」と「船弁慶」という賑やかな演目の組合せだ。
 手話狂言を演じるのは黒柳徹子さんが設立したトット基金が運営する「日本ろう者劇団」のメンバー。「六地蔵」は数多いレパートリーの中でも人気が高く、三宅狂言会の指導により最初に仕上げた作品だという。舞台上の進行に合わせて見所の裏手にある部屋で狂言師が語る台詞が会場に聞こえてくる仕掛けだ。狂言らしい仕草の数々は違和感無く受け取ることができ、台詞と相俟って独特な芸能の一つとさえ言えるようなものだった。
 「船弁慶」は、前シテが静御前、後シテが平知盛(亡霊)という二つの違ったキャラクタを演じ分けることで有名だが、今回はそれぞれ別のシテ方が担当している。実は“手話能”という特殊な公演でもあり、前後通しで舞台に立つワキ方の弁慶と、アイを務める狂言方の船頭が、舞台上で詞章を謡いながら手話を披露するという場面がある。ほとんどの時間は舞台下の二カ所(シテ柱とワキ柱の下)で手話通訳者による同時通訳が行われるが、あらかじめ決められた場面だけプロの能狂言師が手話を交えた芝居を行うのだ。
 能の詞章は古語であるから謡は当然そのままだが、同時に行われる手話は現代語である。つまり発声とは異なる言語を手話で行う。だからその瞬間、演者の手話は言語を内包する新たな表現のようなものになっている。しかも、上演前の解説では役割や設定に応じた手話表現の広がりを表したいという話もあって、それが確かに感じられた。とても貴重な瞬間に立ち会ったような気分になっていた。
 一方で、舞台下の同時通訳者の表現もまた、素晴らしいものであった。演目全体の流れや場面設定を説明するものから、演者の感情を乗せた手話による現代語の詞章は、観ていて心に迫るものがあった。大げさに聞こえるかも知れないが、こうした場に立ち会えたことの幸福感に満たされるような昂揚が生まれた。次回が待ち遠しい。

三味線からみる浪曲2018年10月05日 13:56

 昨年度は「語り芸パースペクティブ」が開かれたカメリアプラザ和室で、今年もちょっと変わった企画が催された。「浪曲。三味線の視座」と題された3回シリーズで「浪曲を三味線の立場から解剖してみたい」というのが趣旨。毎回現役バリバリの曲師を迎え、浪曲の構造を解説した後に一席丸々と聴いてみるという奈々福さんプロデュースの仕掛けだ。第1回はご存知浪曲界のレジェンド沢村豊子師匠がゲスト(?)。
 始まりはいつもと逆の並び。つまり奈々福さんが上手(かみて)で三味線を弾きながら浪曲三味線の基礎知識を解説し、豊子師匠がところどころで合いの手を入れる。元々浪曲協会の三味線教室に通ったのがきっかけでこの世界へ入った奈々福さん。当初は曲師として入門し、浪曲師に転じた後も、折々に弾いていることもあって、三味線の構造・材質から調弦まで基礎的な解説を一通り行ってくれる。その上で、いよいよ豊子師匠の浪曲一代記(?)の触りに入る。
 その内容は姜信子さんの『現代説経集』に詳しいが、縁があって上京し、修行しながら旅芸人として全国を周った後に、国友忠という浪曲師との運命的な出会いがあった。一時的に専属となった浪曲教室では並み居る天狗連(玄人はだしの浪曲好き)を相手にし、ブームの中心となったラジオでは名だたる師匠達の曲師も務めた。その間、新しい“節”を創り出す国友忠の相三味線にもなって多彩な芸風を創り上げていった。
 それは“節で出てくる泉”という言葉にも良く表れている。たとえば後段で演じられた『甚五郞旅日記 掛川宿』の中には、外題(げだい)付けのキッカケ節から、三種のアイノコ節、関東節、そしてセメ節まで、多彩な“節”が代わる代わる出てきては、もの語りの“啖呵”を見事につないでいく。しまいには、三味線の音が浪曲師の声と相まって独特な“グルーブ”を創り出す。それはジャズの即興に近い。聴いていて身体が自然と揺れ動くところは何とも言えない感覚だ。そうした“場”を生み出せることが、ご本人にはいたって自然なものになっている。奈々福さんが“二人の芸”と繰り返し呼ぶ意味の大きさを、あらためて感じた一夜だった。

浪曲なないろ2018年09月17日 13:42

 一昨日、午前中に武蔵小杉で元留学生の日本語レッスンを終え、久しぶりに亀戸へ向かった。軽い昼食を済ませ、会場のカメリアホールに向かうと、駅前ロータリーに面した公園にある親子亀の銅像から水が吹き出ている。直近で祭礼があるのかあったのかは知らないが、地元町内の氏子の神輿も飾ってあった。気温もようやく秋らしい風情に追いついてきたというところだろうか。
 昨年「語り芸パースペクティブ」と題して様々な語り芸の来し方を探ってみる取り組みを一年間続けた奈々福さんが、今度は他の様々な芸能ジャンルと交わってみようという新しい会を立ち上げた第1回の公演を聴きに、そして観に行った。能楽師安田登さんの企画上演『イナンナの冥界下り』でも共演してきた人形師の百鬼ゆめひなさんをゲストに迎え「傀儡師と奈々福」と題している。残念ながら口上書きは配られなかったが、コラボレーションと簡単にまとめることができない化学変化(チラシの言葉)が起きていたことは間違いない。自身で創った翻案作の中から「椿太夫の恋」が選ばれて上演された。
 前半は前読みの後、奈々福さんの浪曲「亀甲縞の由来」が演じられたが、開口一番のマクラの中で面白い話を聴いた。大衆演劇の役者が演じる無言の芝居に浪曲を組み合わせた節劇(ふしげき)という口演形式が戦後まもない頃にはあったという。そして何と、九州出身の豊子師匠の父親はその節劇専門の浪曲師だったという。この日、後半で演じられた「椿太夫の恋」はいわば現代の節劇とも言えるものなのだ。
 さて、「亀甲縞の由来」を聴くのは二度目だが、藤堂藩の苦境を救った二代目市川團十郎の義侠が、玉川の家の十八番「天保水滸伝」にも繋がるような、人と人を信頼で結び付ける心意気から出るあたり、本当に見事なもので、終演後、初めてのDVDにサインをもらいながら「奈々福さんは心意気のメディア」などとわけのわからないエールを送ってしまった。
 後半は人形師百鬼ゆめひなさんのオリジナルと、先述の「椿太夫の恋」。題にもある“傀儡(くぐつ)”は、音読みならカイライ。本来思いのままに操られる対象であるはずのものが、操る黒子が頭巾を脱いだ時から、傀儡に迫られる相手ともなって、互いに絡み合いながら演じられていく。浪曲の節と啖呵に合わせた“節劇”の一方、無言の躍りに合わせる豊子師匠の即興演奏は“浪曲”の枠を揺さぶるような手探りも感じさせた。明らかな相乗効果が会場を包んでいた。奈々福さんの浪曲を聴いてまだ2年3ヶ月しか経っていないのだが、その間、大きな変化の過程に立ち会っているように、あらためて思えた一幕だった。