家父長制社会の残照 ― 2025年08月03日 17:26
地元の日本語教室は先月中旬に1学期を終わりましたが、今日は夏休みの特別レッスンです。コロナ禍ぐらいから日本語上級者を担当していたこともあり、ここ数年の夏休みには普段のレッスンではほとんど読まない文学を題材にした読書会を行なってきました。一昨年は『星の王子さま』の一部(他者との対話に関連した9つのSection)、昨年は村上春樹の『氷男』、そして今年は韓国の女性作家チョ・ナムジュの作品を取り上げました。読んだのは『家出』(雑誌初出篇)と『82年生まれキム・ジヨン』の冒頭です。いわゆるフェミニズム小説の中心的存在とも言えるチョ・ナムジュを取り上げたのは、学習者が全員女性であることも大きな理由ですが、それ以上に、批評的な視点で描かれた家父長制社会のありさまと、その後の変化を考えてみることができると思ったからです。ベトナム・台湾・中国とそれぞれ国は違えど、日本で就職した(する)進取の気性に富んだ女性たちですが、韓国にある家父長制社会とその残照(それは日本にも当てはまります)を知っておくことも意味のあることでしょう。今年の韓国大統領選の投票先で20代の男女差が顕著に現れたこともその一例です。
言葉は文化と切り離せませんから、小説の語彙(翻訳された日本語)の中には、能力検定試験にはなかなか出てこない独特な要素もあります。そうしたものに触れることこそが文学を読む大きな理由とも言えるでしょうか。深い読解というところまでは難しいのですが、これをきっかけに日本語の世界をまた一つ広げてもらえたらと思います。
言葉は文化と切り離せませんから、小説の語彙(翻訳された日本語)の中には、能力検定試験にはなかなか出てこない独特な要素もあります。そうしたものに触れることこそが文学を読む大きな理由とも言えるでしょうか。深い読解というところまでは難しいのですが、これをきっかけに日本語の世界をまた一つ広げてもらえたらと思います。
情報の離散化による思考欠如 ― 2025年08月06日 17:27
過日、この欄に書いた文章の中で“情報の離散化”という表現を使いましたが、あらためて考えてみると、デジタル化とはアナログ情報を離散・微分化することそのものです。コンピュータで処理するために標本・量子・符号化された情報は、それまでの連続性を断たれた形で処理・記録され、ときに膨大なデータ量を圧縮するためにDCTなどのさらなる離散手法が施されます。
しかし、このデジタル化による情報の“離散”がもたらしたものは、あらゆる情報を処理できる「合理性」と引き換えに、脳の記憶による「連続性」を失うことにつながったと思います。たとえて言えば、脳細胞のシナプスが次々と切断され、時空を超えてつながる思考回路が作れなくなったようなものです。数年来の生成AIの急速な展開は、失われた思考回路を「予測」で擬似的・類似的につなぐ大規模なデジタル化の様相とは言えないでしょうか。
小さい画面の中に、膨大なデータを持つデジタル情報が短時間で次々に現れ消える状態は、シナプスが減少した脳には大きな負荷となります。そこでは、既にコリジョンやコンフリクトが起きているはずです。さらに、体感の一部に過ぎない視覚ばかりに、再生速度の上がった大量の画像情報が流れ込んできたらどうなるでしょうか。おそらくそれは、思考処理できないまま捨てられ、情動にさえも育たない感覚神経の反応程度に収まるような気がします。そして、そうした積み重ねは、いずれ人間からモノを考える能力を失わせ、AIに左右される末路へとつながるかもしれません。
ところで、最近は少し関心が薄れているのですが、以前に留学生を通じて知った短編アニメーションの世界に「砂絵」という技法がありました。透過光が通る透明な板の上に置かれた砂(ときに多色)を様々に手で動かしながら次々にシーンを生み出す表現は、いかにも“アニマ”にふさわしく、その“連続性”こそが記憶を呼び覚まして脳を活性化する力になっているように感じます。わずかな時間で消えていくものであるにもかかわらずです。それは、集合・積分化する情報のようにも思えます。
乱読ばかりで、およそ関連の無い読書を続けていても、ときにデジャブのように浮かび上がってくる思念には何かが繋がって感じられることが多くあります。もしかしたら、それが人間の意識というものの源なのかもしれません。
しかし、このデジタル化による情報の“離散”がもたらしたものは、あらゆる情報を処理できる「合理性」と引き換えに、脳の記憶による「連続性」を失うことにつながったと思います。たとえて言えば、脳細胞のシナプスが次々と切断され、時空を超えてつながる思考回路が作れなくなったようなものです。数年来の生成AIの急速な展開は、失われた思考回路を「予測」で擬似的・類似的につなぐ大規模なデジタル化の様相とは言えないでしょうか。
小さい画面の中に、膨大なデータを持つデジタル情報が短時間で次々に現れ消える状態は、シナプスが減少した脳には大きな負荷となります。そこでは、既にコリジョンやコンフリクトが起きているはずです。さらに、体感の一部に過ぎない視覚ばかりに、再生速度の上がった大量の画像情報が流れ込んできたらどうなるでしょうか。おそらくそれは、思考処理できないまま捨てられ、情動にさえも育たない感覚神経の反応程度に収まるような気がします。そして、そうした積み重ねは、いずれ人間からモノを考える能力を失わせ、AIに左右される末路へとつながるかもしれません。
ところで、最近は少し関心が薄れているのですが、以前に留学生を通じて知った短編アニメーションの世界に「砂絵」という技法がありました。透過光が通る透明な板の上に置かれた砂(ときに多色)を様々に手で動かしながら次々にシーンを生み出す表現は、いかにも“アニマ”にふさわしく、その“連続性”こそが記憶を呼び覚まして脳を活性化する力になっているように感じます。わずかな時間で消えていくものであるにもかかわらずです。それは、集合・積分化する情報のようにも思えます。
乱読ばかりで、およそ関連の無い読書を続けていても、ときにデジャブのように浮かび上がってくる思念には何かが繋がって感じられることが多くあります。もしかしたら、それが人間の意識というものの源なのかもしれません。
繰り返されるフードロスへの叫び ― 2025年08月10日 17:29
自宅の最寄駅大倉山周辺には、住み始めた30数年前から美味しいパン屋が多くあります。もちろん、いくつかの店に消長はありましたが、今も3,4軒が歩いて10分以内の場所に存在します。我が家は朝がパン食なので、食パンのたぐいも買いますが、昼食用にとバーガースタイルのパンを買うことも多いです。
そのせいもあって、いわゆるファストフードのバーガーを買うことがほとんどありません。年に数回、駅から少し離れたところにある「モス」を利用するぐらいでしょうか。大倉山駅近くにある「マクドナルド」にいたっては、先代の頃に一度行ったかどうかという程度のあいまいな記憶です。かなり早い時期に、あの紙袋から漏れ出す独特な匂いが苦手となり、店に立ち寄ったのは、早朝出勤時に渋谷の公園通り店で安いコーヒーを買った時ぐらいしかもう覚えてはいません。私にとって、“マック”はMacintoshのことであり、McDonald'sはずっと“マクドナルド”でした。
そのマクドナルドが、この3連休限定で「ハッピーセット」購入時に予定していたポケモンカードの配布を終了するとHPで告知しています。ありていに言えば、おまけを転売する目的で行われた大量購入により初日で予定数に達したということですが、旧Twitterのライムラインには、その結果として大量のフードロスが発生したことが報じられています。
私が驚くのは、過去にも数え切れないほど同様の案件はあったはずなのに、いまだに何の対策を立てることなく無様な行為の繰り返しを勧める企業の態度です。マクドナルドのハンバーガーは個人的な嗅覚において耐えられないものがあり食しませんが、それ以前に、食品として売ることへの想像力の無さと無責任極まりない態度そのものが、この会社の商品を購買する意欲を失わせます。
その昔、我が家も初代のポケモンに関心を寄せていたことがあり、なかでも「コダック」への思い入れが強くありました。ムンクの叫びを彷彿とさせる頭痛持ちの怪物は、そのユニークさにおいて斯界に特別な存在感を示していますが、そのモンスターも頭を抱えてあきれるような社会現象がいまだに無くならないことに彼の苦悩が続いていることを思います。
そのせいもあって、いわゆるファストフードのバーガーを買うことがほとんどありません。年に数回、駅から少し離れたところにある「モス」を利用するぐらいでしょうか。大倉山駅近くにある「マクドナルド」にいたっては、先代の頃に一度行ったかどうかという程度のあいまいな記憶です。かなり早い時期に、あの紙袋から漏れ出す独特な匂いが苦手となり、店に立ち寄ったのは、早朝出勤時に渋谷の公園通り店で安いコーヒーを買った時ぐらいしかもう覚えてはいません。私にとって、“マック”はMacintoshのことであり、McDonald'sはずっと“マクドナルド”でした。
そのマクドナルドが、この3連休限定で「ハッピーセット」購入時に予定していたポケモンカードの配布を終了するとHPで告知しています。ありていに言えば、おまけを転売する目的で行われた大量購入により初日で予定数に達したということですが、旧Twitterのライムラインには、その結果として大量のフードロスが発生したことが報じられています。
私が驚くのは、過去にも数え切れないほど同様の案件はあったはずなのに、いまだに何の対策を立てることなく無様な行為の繰り返しを勧める企業の態度です。マクドナルドのハンバーガーは個人的な嗅覚において耐えられないものがあり食しませんが、それ以前に、食品として売ることへの想像力の無さと無責任極まりない態度そのものが、この会社の商品を購買する意欲を失わせます。
その昔、我が家も初代のポケモンに関心を寄せていたことがあり、なかでも「コダック」への思い入れが強くありました。ムンクの叫びを彷彿とさせる頭痛持ちの怪物は、そのユニークさにおいて斯界に特別な存在感を示していますが、そのモンスターも頭を抱えてあきれるような社会現象がいまだに無くならないことに彼の苦悩が続いていることを思います。