留学生の忖度 ― 2018年11月23日 14:53
11月23日。国民の祝日としての「勤労感謝の日」。明治大正生まれの両親は“旗日”(はたび)と呼んでいた。国家神道の下にあっては「新嘗祭」。この時期みな、“平成最後の”という枕詞が付いて回る。北米の“感謝祭”と比較されることも多い。アメリカ合衆国起源の話では、マサチューセッツ州プリマスの移住者を助けたアメリカ先住民との平和だった一時が語られる。その昔に読んだ『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂、朝日選書)の冒頭にも、確かにその話はあった。
この数日、ゴーン日産の騒動の裏で、外国人労働者の受け入れ拡大を目指す「入管難民法改正案」の審議が強行されようとしている。国際的にも知られ始めた技能実習制度の悪評を始め、国連の特別委から度々受ける人権に関する勧告などを聞くにつけ、“グローバル人材”が求められる社会に今もって「井の中の蛙」が尊大に跋扈している様子が目に浮かぶ。“共生”のキーワードなどで“開かれた”社会を目指す様々な取り組みと逆行するような政策で、この国の“勤労”は今、二つに引き裂かれているようだ。
さて、午前中に、私も所属しているNPO法人「留学生と語り合う会」(通称RKK)が主催する日本語スピーチ大会を聴いてきた。NPOとしては活動の成果を見せる場ではあるが、同時にチューター(日本語学習支援ボランティア)ではない一般会員と留学生のささやかな交流の機会にもなっている。
スピーチを行った5カ国7人の留学生は専攻もいろいろで、交換留学やJICA受入事業で来日した学生もいる。話したテーマは、主にこの国へ来てからの個人的な感想に基づくものだが、そこにある共通した意識を感じた。それは、当のチューターを含む彼らを取り囲むRKKの日本人と、一般的な日本人社会への“配慮”というようなものだ。スピーチは、来日1年半という留学生が一生懸命に話すたどたどしい日本語ばかりではない。中には来日6年で内定が決まった学生や、既に大手企業に就職し責任を負う立場で働いている元留学生までいる。そうした多様な環境で学び働く若者が、経験の多少はあれ、“日本的”なるものへの態度だけは共通している。そして、それは間違いなく、来日して以来の日本人とのコミュニケーションの中で培われたものだ。特段同調圧力が強い関係性の中にいたわけではないだろう。それでも、たとえば“チームワーク”や“おもてなし”、“思いやり”など、予定調和に向かって異質なものをそぎ落としてゆくような“空気”への違和感を感じながら、それでも“場”に合わせようとする態度が、彼らをして日本人が聴いて喜ぶようなキーワードやエピソードを無意識的に選択しているように私には思えた。
それが悪いというのではない。そういう傾向があることを意識することが“共生”の出発点になるだろうと考えている。
この数日、ゴーン日産の騒動の裏で、外国人労働者の受け入れ拡大を目指す「入管難民法改正案」の審議が強行されようとしている。国際的にも知られ始めた技能実習制度の悪評を始め、国連の特別委から度々受ける人権に関する勧告などを聞くにつけ、“グローバル人材”が求められる社会に今もって「井の中の蛙」が尊大に跋扈している様子が目に浮かぶ。“共生”のキーワードなどで“開かれた”社会を目指す様々な取り組みと逆行するような政策で、この国の“勤労”は今、二つに引き裂かれているようだ。
さて、午前中に、私も所属しているNPO法人「留学生と語り合う会」(通称RKK)が主催する日本語スピーチ大会を聴いてきた。NPOとしては活動の成果を見せる場ではあるが、同時にチューター(日本語学習支援ボランティア)ではない一般会員と留学生のささやかな交流の機会にもなっている。
スピーチを行った5カ国7人の留学生は専攻もいろいろで、交換留学やJICA受入事業で来日した学生もいる。話したテーマは、主にこの国へ来てからの個人的な感想に基づくものだが、そこにある共通した意識を感じた。それは、当のチューターを含む彼らを取り囲むRKKの日本人と、一般的な日本人社会への“配慮”というようなものだ。スピーチは、来日1年半という留学生が一生懸命に話すたどたどしい日本語ばかりではない。中には来日6年で内定が決まった学生や、既に大手企業に就職し責任を負う立場で働いている元留学生までいる。そうした多様な環境で学び働く若者が、経験の多少はあれ、“日本的”なるものへの態度だけは共通している。そして、それは間違いなく、来日して以来の日本人とのコミュニケーションの中で培われたものだ。特段同調圧力が強い関係性の中にいたわけではないだろう。それでも、たとえば“チームワーク”や“おもてなし”、“思いやり”など、予定調和に向かって異質なものをそぎ落としてゆくような“空気”への違和感を感じながら、それでも“場”に合わせようとする態度が、彼らをして日本人が聴いて喜ぶようなキーワードやエピソードを無意識的に選択しているように私には思えた。
それが悪いというのではない。そういう傾向があることを意識することが“共生”の出発点になるだろうと考えている。