浮標の脚韻2018年09月01日 17:14

北千住へ行ってきた。大きな街だが今まで駅から出た記憶は無い。列車を乗り換えたことが数回あったろうか。荒川の手前ということもあって横浜から向かうと東京の最北のような印象がある。もちろん江戸四宿の一つだから、その昔は本当に江戸の北端であり、芭蕉の「奥の細道」では事実上の出発点となった。その北千住にある「BUoY」(ブイ:浮標)というアートスペースの地下で演劇の公演が開催された。5ヶ月前に早稲田で観たことがある劇団“あはひ”の「ソネット」という舞台である。
 批評家の吉田健一が訳したシェイクスピアの十四行詩から着想を得て、その形式を現代演劇の舞台に置き換えてみたらどうなるのか。それは英詩の「翻訳」を一種の批評だと述べた吉田健一の言葉を、身体言語によって流れる時間で批評してみせるということなのだろうか。4人の登場人物が韻を踏むように入れ替わり立ち替わり中央に設(しつら)えたテーブルの両脇の椅子に座っては、相手を推し測りつつ言葉を交換するように会話を交わす。共感や同情や愛の言葉も何だか形式の内にあるように思えた。
 一番最初に、テーブルの上の徳利と盃で差しつ差されつが始まった時、なぜか連歌を思い浮かべたが、暗転もなく柱を回るだけのシーン代わりが続いた最後、隅田川を渡った彼岸を照らす月だけが残って、もう連想するものは何も無い。そんな終わり方だった。ちなみに、舞台になっているアートスペースの地下には、公衆浴場の跡が残っていて、水も無いのにそこには確かに川が流れていた。
 君を夏の一日に喩へようか。
(シェイクスピア ソネット18番冒頭 吉田健一訳/『葡萄酒の色』岩波文庫より )

また蘇る説教祭文の夜2018年08月20日 13:12

 国立(くにたち)のギャラリービブリオで開かれる「旅するカタリ」と題する祭文語りの口演を今年も聴く。去年は国立で3回、今年は西荻窪「忘日舎」での2回を加えて既に3回。あと1回、年内11月にある。説教祭文を今に蘇らせる渡部八太夫さんと、原作や台本に現代的な脚色を施す姜信子さんによる二人の口演は、途中の掛け合いも面白い。
 「人を呪わば穴ふたつ!」と副題にあるとおり前半が「信徳丸一代記」の継母の呪い。後半が鬼桃太郎。このところ、松岡正剛が書いた平凡社新書『白川静』を読んでいて文字の呪能について考えることがあるが、庶民の芸能の系譜にも“恨み”節があって、それを聴くことがカタルシスとなることも多くあったのかもしれない。いつも、冒頭には山伏のお祓いがあって来場者の弥栄を言祝いで始まる。ビブリオに降臨した神様はきっと呪能から守ってくれたことだろう。
 さて、信徳丸の一代記は説教祭文から瞽女唄の一つである祭文松坂にもなったが、今回のネタはその瞽女の“語り”、つまり女性視点で変えられたものを含む解釈で披露された。逆さの人型に釘を打ち付けたり、地元の神社に脅しと賄賂で大願を掛けたりと、我が子可愛さに振る舞う主人公の継母は、八太夫さんのお嬢さんの描いた絵もあって恨みと哀しみを同時に背負った母親の性に苦しんでいるようにも思えた。
 後半の「鬼桃太郎」は尾崎紅葉が幼年文学という体裁で出した子供向けのパロディ小説が原作。その少し前に国定教科書に載った桃太郎に引っかけたものらしいが、桃太郎に成敗された鬼の復讐譚になっている。その役目をするのが川に流れてきた苦桃(?)から生まれた苦桃太郎という青鬼。攻め入る日本へ向かうところで一匹の龍と出会い、きび団子ならぬ髑髏を与えて家来にする。ヒヒと狼も加えた一向は龍が化けた雲に乗って一足飛びするものの、目的地に着くことなく行きつ戻りつで疲れ切り、二匹はあえなく墜落する。これに怒った苦桃太郎は龍を成敗するが、自分も海へ落ちてしまうという幕切れ。帝国主義をまねた日本を揶揄してもいるのだろうか。目的地を失うエピソードは、いしいひさいち描くところの「地底人」に引き継がれているかもしれない。祭文の良い意味での“いい加減さ”の味わいが良く出ていてとても面白かった。
 なお、今回は明治150年企画ということで、特別にカザフスタンに住む朝鮮半島系の人々に伝わる金色夜叉の唄も聴くことができた。何となく「둘이 함께」(二人一緒に)と聞こえたのだが…幻だっただろうか。^^;

身を置いてこそ感じる場の声2018年08月07日 14:26

 4日は朝から浅草に出かけて、そのまま帰宅せず、夕方から始まる西荻窪忘日舎での現代説経を聴きに行った。この風変わりな書店では2ヶ月ぶり2回目となる作家姜信子さんと祭文語り渡部八太夫さんの口演である。前回は姜さんの新著『現代説経集』の出版記念会を兼ねていたが、今回は石牟礼道子の『苦界浄土』にある「九龍権現さま」の一節と、姜さんが書き下ろした「百合若大臣異聞」の二席。
 『苦界浄土』の中から繰り返し引用される「あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。」の爺さまが、その前節で孫の杢太郎少年へ掛けた言葉の数々が一幕の語りになっている。著者本人が“浄瑠璃のごときもの”と書いた通り、元々それは“歌”とも言えるような文章なのだが、こうして三味線の爪弾きに乗れば、“声”が生き生きと蘇ってくるように聞こえる。
 「百合若大臣」は九州に多く伝わる伝説の一つ。蒙古の襲来に立ち向かい、帰国途上で家来に置き去りにされた主人公の復讐譚である。この「異聞」では「船を踏む」という暗示のような言葉が、“正義の旗”を掲げる無数の船のようなフナムシを踏みつぶし島から脱出する伝手を失った百合若の末路を語り伝えているように見える。その一方で「私を探さないで下さい」と赤い血で便りを書き続ける主人公の“声”がいつまでも耳に残る不思議な物語だった。
 いずれにしても、その空間に身を置かなければ伝わってこないような“語り”というものの怪しい魅力が感じられて、また聴きに行かなければと思うのだ。耳から入れる麻薬なのかもしれない。

うなる「ぽんぽこ」2018年08月05日 14:25

朝から暑い日にも少し慣れてきたのか、それとも寝不足で頭がボーッとしているせいなのか、路面の照り返しを受けながらも目的地に向かう足取りそのものは軽かった。浅草木馬亭で開かれる奈々福さんの「おはようライブ」は4ヶ月ぶりになる。今回は新作のネタ下ろしではなく、9年前に作って一度は掛けたこともある「平成狸合戦ぽんぽこ」だった。もちろん、あのジブリの高畑勲監督の原作を脚色したものだ。
 “追悼の気持ちを込めて”とチラシにあるが、高度成長期を描いた24年前のアニメーション作品、それを9年前に取り上げ仕立てた浪曲に、現代にもつながる多くの要素が含まれているのを再認識したことも、再び光を当てた大きな理由だったようだ。ツイッターのつぶやきにその様子が現れている。
 ただ、実際に聴いてみて良くわかったことは、これはまぎれもない浪曲だったということだ。もちろん、見事な口演だった。この新作のいたるところに、語り芸の“技”と“工夫”が仕掛けられている。それは「次郎長伝」の抜き出しを語るという単純なことではなく、様々な節や啖呵の工夫によって、あの狸の物語が見事に立ち上がっているからだ。誤解を恐れずに書いてしまえば、奈々福さんが女流浪曲師には珍しい関東節の“唸り手”で、豊子師匠の三味線がその魅力を倍加していることと深い関係があるのかもしれない。
 このネタはしばらく続けるらしい。繰り返し語ることで、新しい「古典」とでも呼べる豊かな物語になる気配が感じられる。また、聴いてみたい一席である。

うなる文化交流使2018年08月02日 14:20


 一昨日、新宿三丁目へ出かけて、ある「文化交流使」の私的な(?)帰朝報告会を聴いてきた。文化庁から指名を受けて今年度7カ国1ヶ月半に及ぶ公演・交流旅行を終え帰国した浪曲師と曲師が出演する“土産話と浪曲”の会である。
 嵐で壊滅した漁船団の家族を地域ごと支えたという天保水滸伝「飯岡助五郎の義侠」の一席に続き、なんと今回の旅を道中語りに仕上げた一席が披露された。40人ほどが肩を寄せ合うようにして入った小さな会場は馴染みの客で埋まり大変な盛り上がりようだった。“文化交流”ということもあって各国で催された浪曲公演の他に、その土地の民族芸能や語り芸などとの競演やワークショップも紹介されたが、それぞれに興味深いものだった。
 その中には、今回の往訪以前にわかっていたものもあれば、現地で初めて知ったものもあるそうだ。前者にはキルギスの「マナス」があり、後者にはウズベキスタンの「バクシ」があった。「マナス」は、伝統の家に生まれた子供が、ある日突然夢の中で神託を受け翌日から壮大な叙事詩を歌い出すという憑依性の高い芸能で、連続するストロングボイスで圧倒するような歌唱である。一方「バクシ」は、二弦の撥弦楽器ドンブラを奏でながらの“語り芸”で、紹介映像に出ていたのは継承者の一人という若者だった。構造のせいか西アジアの弦楽器に特徴的な音色がする。しばらく演奏した後、鳴らしては語るという形式で“話”が始まり、しばらくすると突然低音を響かせた声で歌い出す。口内で響かせる唄い方はホーミーを思わせた。
 他にも、浪曲路上ライブの模様や、日本人抑留者への慰霊の一節、中央アジアのコリアンが“北”で学んだ高音の「アリラン」など盛りだくさんの内容で、あっという間の2時間だった。
 帰宅してから「バクシ」をネットで探してみたら、名のある老師匠のような人の演奏を見つけることができた。奈々福さんがキルギスで節比べをしたというマナスチ(マナスの語り部)グルザラさんの映像と合わせ、関心がある方はご覧あれ(下記の「 」の中をYoutubeの検索ボックスにコピペ)
・「ГУЛЗАДА РЫСКУЛОВА - АЙКОЛ МАНАС」
・「''Malla savdogar'' dostoni - Abdunazar Poyonov」