交差する時間を詠む ― 2018年11月07日 14:45
大倉山記念館で開かれた「秋の芸術祭」に、ドキュメンタリー映画祭実行委員の監督3人の作品が上映されることになり、4日の夕方だけ作品上映を手伝ってきた。
この日上映した伊勢真一監督の映画『えんとこ』は、今年7月の「ETV特集」で『えんとこの歌』と題して放映された番組の、そもそもの前身となる1999年度の作品である。制作時点で既に寝たきりの生活が10年を超えているが、行動する自由が失われる前の教師時代や障害者運動など、社会への関わりを続けてきた過去も紹介されている。しかし、映画そのものの視点は、伊勢監督の友人でもある主人公の遠藤滋個人を取り巻く今の生活に絞られている。それは、監督が“パーソナル”という言葉で表すような遠藤さんの個性と彼に関わる多くの支援者との関係性があってのことだ。
たとえば、映画は、極めて個人的な事情の中に障害者を含む世の中のありようへの普遍的な問いを見つけようとしている。それは簡単に答えがでるものではない。ところが、観ているうちにあることを感じた。それは、人と人との生きている時間が交差するということだ。一度でも介護支援に入ったことがある人の数は、この映画制作の時点でも1000人近くに上るという。ちょっとアブなさそうな人も出てくるのだが、皆、基本的に遠藤さんとの時間を楽しんでいるように見える。もちろん、遠藤滋という人の人間的な魅力もあるのだろう。しかし、それだけで10年も続くとは思えない。おそらく、遠藤さんと交差する時間に、彼ら自身がそこから何か他には変えられないようなものを見いだしているのではないだろうか。
そんな様子に、第三者ともいえる立場でカメラを回している伊勢監督の存在が邪魔になっていないことが、この映画の不思議な時間につながっているようにも見える。来年の第12回大倉山ドキュメンタリー映画祭には、続編となる新作が上映されるかも知れない。ETV特集でもその一部が示されたように、遠藤さんの作る“短歌”が、彼らの交差する時間を切り取っていることだろう。
この日上映した伊勢真一監督の映画『えんとこ』は、今年7月の「ETV特集」で『えんとこの歌』と題して放映された番組の、そもそもの前身となる1999年度の作品である。制作時点で既に寝たきりの生活が10年を超えているが、行動する自由が失われる前の教師時代や障害者運動など、社会への関わりを続けてきた過去も紹介されている。しかし、映画そのものの視点は、伊勢監督の友人でもある主人公の遠藤滋個人を取り巻く今の生活に絞られている。それは、監督が“パーソナル”という言葉で表すような遠藤さんの個性と彼に関わる多くの支援者との関係性があってのことだ。
たとえば、映画は、極めて個人的な事情の中に障害者を含む世の中のありようへの普遍的な問いを見つけようとしている。それは簡単に答えがでるものではない。ところが、観ているうちにあることを感じた。それは、人と人との生きている時間が交差するということだ。一度でも介護支援に入ったことがある人の数は、この映画制作の時点でも1000人近くに上るという。ちょっとアブなさそうな人も出てくるのだが、皆、基本的に遠藤さんとの時間を楽しんでいるように見える。もちろん、遠藤滋という人の人間的な魅力もあるのだろう。しかし、それだけで10年も続くとは思えない。おそらく、遠藤さんと交差する時間に、彼ら自身がそこから何か他には変えられないようなものを見いだしているのではないだろうか。
そんな様子に、第三者ともいえる立場でカメラを回している伊勢監督の存在が邪魔になっていないことが、この映画の不思議な時間につながっているようにも見える。来年の第12回大倉山ドキュメンタリー映画祭には、続編となる新作が上映されるかも知れない。ETV特集でもその一部が示されたように、遠藤さんの作る“短歌”が、彼らの交差する時間を切り取っていることだろう。