また蘇る説教祭文の夜2018年08月20日 13:12

 国立(くにたち)のギャラリービブリオで開かれる「旅するカタリ」と題する祭文語りの口演を今年も聴く。去年は国立で3回、今年は西荻窪「忘日舎」での2回を加えて既に3回。あと1回、年内11月にある。説教祭文を今に蘇らせる渡部八太夫さんと、原作や台本に現代的な脚色を施す姜信子さんによる二人の口演は、途中の掛け合いも面白い。
 「人を呪わば穴ふたつ!」と副題にあるとおり前半が「信徳丸一代記」の継母の呪い。後半が鬼桃太郎。このところ、松岡正剛が書いた平凡社新書『白川静』を読んでいて文字の呪能について考えることがあるが、庶民の芸能の系譜にも“恨み”節があって、それを聴くことがカタルシスとなることも多くあったのかもしれない。いつも、冒頭には山伏のお祓いがあって来場者の弥栄を言祝いで始まる。ビブリオに降臨した神様はきっと呪能から守ってくれたことだろう。
 さて、信徳丸の一代記は説教祭文から瞽女唄の一つである祭文松坂にもなったが、今回のネタはその瞽女の“語り”、つまり女性視点で変えられたものを含む解釈で披露された。逆さの人型に釘を打ち付けたり、地元の神社に脅しと賄賂で大願を掛けたりと、我が子可愛さに振る舞う主人公の継母は、八太夫さんのお嬢さんの描いた絵もあって恨みと哀しみを同時に背負った母親の性に苦しんでいるようにも思えた。
 後半の「鬼桃太郎」は尾崎紅葉が幼年文学という体裁で出した子供向けのパロディ小説が原作。その少し前に国定教科書に載った桃太郎に引っかけたものらしいが、桃太郎に成敗された鬼の復讐譚になっている。その役目をするのが川に流れてきた苦桃(?)から生まれた苦桃太郎という青鬼。攻め入る日本へ向かうところで一匹の龍と出会い、きび団子ならぬ髑髏を与えて家来にする。ヒヒと狼も加えた一向は龍が化けた雲に乗って一足飛びするものの、目的地に着くことなく行きつ戻りつで疲れ切り、二匹はあえなく墜落する。これに怒った苦桃太郎は龍を成敗するが、自分も海へ落ちてしまうという幕切れ。帝国主義をまねた日本を揶揄してもいるのだろうか。目的地を失うエピソードは、いしいひさいち描くところの「地底人」に引き継がれているかもしれない。祭文の良い意味での“いい加減さ”の味わいが良く出ていてとても面白かった。
 なお、今回は明治150年企画ということで、特別にカザフスタンに住む朝鮮半島系の人々に伝わる金色夜叉の唄も聴くことができた。何となく「둘이 함께」(二人一緒に)と聞こえたのだが…幻だっただろうか。^^;

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