“ぬ”に込められた思い2018年08月15日 14:31

 戦没者追悼式における首相式辞に「加害と反省」が無いのは、彼の取り巻きが称揚する「外交の…」が“ばらまき”によって支えられていることと実に対照的なことではあるが、それについて今は触れない。
 それよりも明仁天皇の言葉、つまり天皇の追悼の辞に注目した。実は昨年同様に中継を収録しておいて後で観たのだが、今年で最後となる出席にあたって何かしら違ったメッセージが出るような気がしたせいもある。“ことば”そのものに大きな違いは無いように見えながら、そこには、ひとつの決意のようなものを感じた。二度とこの場に立つことがないのを自身で納得されていることからきているのかもしれない。
 それでも、その“決意”について、もう少し調べて見たい気持ちになった。そこで、宮内庁のホームページにある「主な式典におけるおことば」から戦没者追悼式での発言を昨年度のものと比べてみた。そして、そこにわずかではあるが、“決意”につながる変更点を見いだすことができた。
 三つ目の改行の冒頭に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,」と加えられている。焼け野原の東京を眺めながら、いずれは神から人間となる天皇存在を思い、即位してからは日本国憲法で定められた象徴としての公務に励んでこられた日々を述懐されつつ、「過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,」と続けた。この文章にも一つだけ重要な変更がある。それは昨年の「繰り返されないこと」が「繰り返されぬこと」、つまり“ない”ではなく強い意志を示す“ぬ”に代えられていたのだ。
 Webニュースなどを含むマスコミが、このことにどれだけ気が付いたかは知らないが、このような一歩踏み込んだ“決意”を示されたことに明仁天皇の心中を想像する。