“愚か者”の言い訳?2018年02月28日 10:16

 読書は幼い頃から乱読傾向にあるが、一方で今も長く読み続けている小説ジャンルがある。一般的には“ミステリ”と呼ばれるこの分野は、多くの要素を含みながら様々に発展してきた。
 個人的な経験で言えば、それはモーリス・ルブランの怪盗ルパンに始まり、江戸川乱歩やポーの怪奇小説を経て、コナン・ドイルの“ホームズ”、エラリー・クイーンやヴァン・ダインの推理小説、ジャック・ヒギンズ“鷲”やケン・フォレット『針の眼』の戦争サスペンス、スティーブン・キングや鈴木光司のホラー、景山民夫や佐々木譲の冒険小説、そして、大沢在昌“新宿鮫”、京極夏彦“京極堂”、横山秀夫“県警”、東直己“ススキノ”の警察・探偵小説にまで拡がる。船戸与一や宮部みゆきもかなりの数を読んだ。
 いずれの作家も、それぞれの著作をある時期に集中して読んだ。それに対し、そもそも寡作なので次作が出るのを心待ちにするような作家もいる。歴史小説では飯嶋和一だが、ミステリということになれば、やはり原尞(はらりょう)を置いて他にはいないだろう。最近村上春樹が7本の長編を訳し終えたレイモンド・チャンドラーに代表される“ハードボイルド”の世界で、独自の小説を切り開いた作家だ。フィリップ・マーロウを髣髴とさせる探偵“沢崎”を登場させた作品群は、チャンドラーへのオマージュに満ちている。その原尞の14年ぶりとなる新作がまもなく出るという。
 フリージャズのピアニストでもある異色の作家だけに、その人物をひとことで説明するのは難しいが、前作『愚か者死すべし』(つまり14年前)の後記にこう書いてある。「第一期長編三作を書いてから、九年余の歳月が流れてしまいました。著者は第二期の新シリーズを書くにあたって、ただひたすら、それらより優れて面白い作品を、それらより短時間で書くための執筆方法と執筆能力の獲得に苦心を重ねておりました。(中略)短時間で書くことができたことは、本作につづく新シリーズの第二作、第三作の早期の刊行をもって証明するつもりです」
 それ以来、年を経るにつけ、私の中では密かに彼を“愚か者”と呼んでいたのであるが、ミステリマガジン最新号に掲載された本人の“弁明”によれば、謎解きを減らしハードボイルドに専念したことで読者を満足させるための時間がかかってしまったということだ。もちろん、その寡作の割には少なくない彼の読者が、上記のような後記を信じていたとは思えない。おそらく“沢崎”なら「余計なことを…」ぐらいは言うのではないか。
 つい先週、浅草木馬亭で聴いてきた神田愛山という講談師が「講談は、ダンディズムである」と言っている。たとえ目的を果たせないまでも、“義侠心”だけは後世に残り、巷間に語り伝えられたらということだろうか。あたりまえのことではあるが、それは瞬間芸では決して伝わらないし、残ることもない。だから、時間がかかるし、それを“待つ”ことも必要なのだろう。

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