元旦の邂逅2018年01月01日 22:32


 新年あけましておめでとうございます。
 年明けから偶然に恵まれました。このところ初詣は大倉山公園の東屋のある広場から富士山を拝むというのが定番になっているのですが、あいにく西の方に雲がかかっていて、勾配の急な記念館坂の途中からでも望める富士山は頂上が見えません。それでも、とりあえず登っていって公園に入っていくと、東屋の左手にある木製ベンチに外国人が二人座っています。なにげに「こんにちは」と挨拶したところ、なんと「新年あけましておめでとうございます」と返事が返ってきました。こちらも慌てて新年の挨拶を返すと今度は「今年もよろしくお願いします」と聞こえます。「日本語がお上手ですね」と話したら、実は港北国際交流ラウンジで日本語を勉強しているインド人とその友達でした。大倉山公園の梅林の話から日本での仕事のことなど彼らと日本語でひとしきり話すことができました。
 今年の冬は寒いせいか、梅林の梅は「野梅」がわずかに1本だけ花を付けているだけですが、寒風の中で静かに語り合っているインド人の二人を見たら「梅一輪一輪ほどの暖かさ」を感じました。昨年さまざまな場所へでかけては聴講してきた日本語講座の資料を朝から整理していた関係で、出かけるのが昼下がりになってしまったのですが、そのおかげなのか、はからずも元旦から外国人との日本語会話にも花が咲きました。スマホには留学生からのLINEやメールの挨拶も届き、早々に日本語ボランティアの活動開始です。

正月に観る日本賞作品2018年01月02日 22:35

 普段から日常的にテレビを観る習慣がなくなって久しいが、それでも気になる番組は録画する。そうして思い出したようにそれらを観る。当然、番組が放送された時期との時間差が生まれるわけで、直近の流行を紹介するようなものにはそもそも近づかない。どちらかといえば個人的な関心ばかりを追うので、人の評価やランキングなどにも全く関心がない。それでも1年に数回、専門家が高く評価したテレビ番組を集中してみることがある。
 ひとつは、前年度の国内放送番組を対象にした各種コンペティションの最優秀作品をまとめた『ベストテレビ』。毎年9月前後にNHKのBSプレミアムで7〜8本がまとめて放送される。もう一つが、年末にEテレで放送される「日本賞」の受賞作品だ。以前は教育番組だけを対象にしていたが、2000年代後半からWebコンテンツなどにも対象を拡げるとともに、制作支援を目的としてプレゼンテーションを評価する企画部門も併設された。放送されるのは世代別カテゴリーに分かれたコンテンツ部門の最優秀作品で、ここ数年は授賞式の模様と一緒にまとめられている。
 元々の対象が教育番組でありEテレで放送されることもあって評判になることは少ない(ようだ?)。しかし、多くの人が長時間まとめてテレビを観る可能性の高い年末に地上波のチャンネルで放映することの意義は大きい。できれば、もっと広報してもらいたい番組だ。日本語の“教育”という表現が、児童・生徒を対象にした上から目線の態度から来ていることにも問題はある。「まるごと見せます!世界の教育コンテンツ」という副題では、敬遠する人も出るだろう。実際には、一般視聴者が観て、様々な社会問題を“面白く”理解するきっかけになる優れたコンテンツが多い。
 一方で、審査委員の多くが現役の制作者なので、似たような問題意識の作品が選ばれるきらいがないとは言えない。実際ここ数年は、自然やデザインなどに関する純“教育”的なアプローチより、“共生”をテーマにしたようなドキュメンタリーが多い。しかし、それは世界中に広がる様々な“差別”のありようを顕在化する試みの一環であって、どこの国にも共通した問題があるというよりは、民族・宗教・社会的格差の違いを超えたあたりまえの“考え方”が一般社会の中に育ち始めている証左なのかとも思う。
 だから、“小さな”声に耳を傾けるのが、あたかも世界の流行なのかと勘違いするほどの作品群が揃うのかもしれない。そういえば、例の伊藤詩織さんの事件は、暮れ近くなってから世界中で報じられているらしい。日本のメディアはどうするのだろか。

戌年の抱負2018年01月04日 22:36

 ちょっとした買い物をしにカミさんと二人で新横浜へ出かけた。横浜アリーナ周辺は“ジャニーズ”の新年会(?)らしく数多くの若い女性で華やいでいる。寒くはないが風が強い。思ったより人出があった。久しぶりに牛タンを食べる…。
 しがない日記風の書き出しで始めてみたら、Facebookの書き込みも三日坊主に終わりそうなので、少しだけ正月らしいことを書いてみる。今年は戌年。猫好きな知人が多いせいか、猫年を作るべきという意見も良く聞く。実はベトナムにはある。漢字“卯”の発音Mãoが“猫”の発音Mèoに似ているからとのことだが、ネズミを取る身近な益獣で、時には食肉ともなった動物はベトナム人にとって馴染みが深いのだろう。
 文豪の(と私は呼ぶ)井上ひさしに「イヌの仇討」という作品があって、昨夏29年ぶりにこまつ座が上演している。伝統芸能の世界では定番のような忠臣蔵の話を、討たれる吉良の視点で再考してみたらという話だが、“イヌ”に表される様々な意味に込められた思いは、この時代にも通じている。だからこその再演だったはずだ。彼には「不忠臣蔵」という作品もあるが、いずれにしても、視点を変え“あたりまえ”を疑うところから始めるという井上戯曲の原点を感じさせる。
 戌年は視点を変えて世の中を眺める年にしたい。ちなみに、Unicodeの“イヌ”マーク(🐕)は正しく表示されているだろうか。文字コードが違えば見え方も変わるのだから…。

日本語ボランティア元年?2018年01月05日 22:38

 身体を冷やすとも言われながら冬場のミカンは欠かせない。手で皮をむいて簡単に食べられるので、この時期は頻繁に買いに行く。ひょんなことで知ったのだが、あの温州みかんの“温州(うんしゅう)”は中国浙江省にあるミカンの名産地“温州”から来ている。西日本を中心に栽培が拡がる前は鹿児島で良く栽培されていたそうで、当地に伝わった中国ミカンの温州の地名とどこかで繋がったものらしい。
 実は、この温州には中国の中でも極めて特徴のある方言が残っている。昨年秋から日本語学習を支援している留学生がここの出身なのだが、故郷から離れた中国の大学で日本語を勉強していた頃、母親との電話を聞いていた同級生から「今、日本語で話してたの?」と訊かれたぐらいだから、違いは相当なものなのだろう。
 国土の広さは違えど、南北に長く延びた島国の日本も各地の方言は多彩だ。留学した土地によっては、いわゆる“共通語”とは違うイントネーションで発音を聞き覚えることもあるだろうか。明治新政府の中央集権政策には各地方出身者が混在する軍隊での用語統一があったし、その後の初等教育を中心とした「標準語」制定過程では“方言札”まで生み出された。それでも“音”は簡単には直らないし変わらない。だから面白いとも言える。
 そんなことを考えていたら、新年早々、街の書店で『國語元年』が新版の文庫で出ているのに遭遇した。あの井上ひさしの傑作で、こまつ座でも何度か開かれた公演の台本である。この作品は、当初テレビドラマの為に書き下ろされた。80年代前半まで長期に渡り続いたドラマシリーズの一つ「ドラマ人間模様」の枠で制作・放送されたものだ。私にとっては映像調整に関わった作品として思い出深い。主人公は「全国統一話し言葉」の制定を託された文部省の官吏。そして彼を取り巻く家族・郎党は全国各地から集まった訛り丸出しの“お国言葉”を使う連中。これ以上のことは是非とも読んで確かめてもらいたい。
 なお、文庫には二種類ある。テレビ台本は中公文庫、演劇台本は新潮文庫である。写真中央は2013年春に神奈川近代文学館で開かれた「井上ひさし」展のパンフレット。

移民が伝える演歌2018年01月19日 22:17

 半年ぶりに両国のシアターX(カイ)で明治・大正の演歌師添田唖蝉坊が作った歌を聴いてきた。前回ゲストで出演したファドの唄い手松田美緒さんが、その後ブラジルへ渡航した際、現地の移民の歌として唖蝉坊の「ラッパ節」に遭遇するという新たな出会いがあり、土取さんによって急遽企画されたという。300弱ぐらいの小さなホールで客席も狭いが、独自のプロデュース公演を続けている希有な劇場で、他では聴けないこうした催しを安価で提供してくれることに頭が下がる思いだ。
 さて肝心の公演だが、唖蝉坊の演歌が海を渡った移民によって歌い継がれ、あるいは新しい歌詞を得て拡がったありさまを、歌詞を書いた個人に焦点を当てながら紹介していくものだった。もちろん、移民社会のなかで様々な方法で伝わっていったことだろうが、じっくり聴いていると、いわゆる望郷の念ではなく、人々の日々の生活の中から生まれた確かな手触りのようなものを感じることができる。そこには、単なる聴き手としてだけではなく、積極的に歌を取り込んでいった“力”があったように思う。なかには、ルンバやサンバ、そしてサルサのリズムを取り入れた歌さえある。
 言葉も十分に通じない社会の中で、たくましく生きた人々の姿を、私は、日本語を学ぶ外国人に重ねてみているのかもしれない。演歌がブラジルの文化に何らかの影響を与えたように、外国人の使う日本語が私たちに問いかけるものもきっとあるはずだ。それはきっと日本語そのものが豊かに開かれていくことにつながるのだろう。