井邑詞2021年12月27日 21:39

望恨歌(その3) パンフレットに掲載された百済歌謡の「井邑詞(チョンウプサ)」の日本語訳は、ソウルにある出版社が発行した月刊誌『根の深い木』の聞き書き連載をまとめた『アリラン峠の旅人たち』(平凡社)の最初の一篇から転載されています。そこに登場する“担い商人”は、夜通し歩きながら市が立つ村から村へと移動して妻を残した故郷を長く留守にします。その様子を、私は映画によって初めて知りました。ソウルのアニメーションスタジオ「鉛筆で瞑想する」が製作した短編『そばの花』(原作は李孝石)には、満月に照らされながら田舎道をロバで移動する彼らの風景が見事に描かれています。
 「月」は彼の国でも様々に語られてきたことを思い浮かべます。

月に照らされる道の相似2021年12月27日 21:41

望恨歌(その4) 公演はまず、歴史学者の保立道久先生の「『望恨歌』の物語るもの」と題した「おはなし」から始まりました。多田富雄が『望恨歌』の本(もと)にした世阿弥の『井筒』における伊勢物語の挿話には、行商を生業とした夫が月に照らされる竜田の山道を越える“くだり”がありますが、それに先立つ奈良の「踏歌」に含まれる井邑詞が、古代の韓流文化を今に伝えるものだったということです。踏歌が流行った奈良の広瀬は、少し前に読んだ保立先生の『かぐや姫と王権神話』(洋泉社歴史新書:絶版)でも詳しく紹介されているように、日本の原始神話が物語へと実った時代の舞台です。
 いろいろなものが“月”をめぐってつながります。