荒れ野を進む…2021年11月05日 19:42

衆議院選挙の結果はほぼ予想通りだった。もとより政権交代など望むべくもないが、小選挙区制の現状では共闘が無ければ野党のさらなる惨敗に終わったことだろう。「維新」の躍進は“自前”で考えることを止めた人々の多くが望んだことだし、低い投票率は“成人”であることを抛棄した人が増えたからに過ぎない。
 これからの4年間で、国民を支える社会制度(医療・福祉・教育ほか)の長期低落傾向は、もう引き戻せない段階に入るのだろう。多国籍企業に限らず外資による“草刈り”が進む一方で、労働力を支えるための移民流入も今以上に意識的に図る必要が生まれる。日本人のみで社会そのものを構成するだけの力が徐々に失われてゆく中、食糧を含む生活資材とそれを支える仕組みを真剣に考えなければ、もう既に萌芽が見える“国内難民”という現実も露わになるに違いない。その先にあるのは一種の“植民地”化だ。“国”ではない仮想の宗主に間接支配される未来がダークファンタジーのように思い浮かぶ。
 “人新世”という地球的な課題に対する前に、まずは身近なつながりを見直して生きながらえる方途を考えるのが先決かもしれない。その時に重要なのは、言葉の賞味としてはいささか古びてしまった感がある“多文化共生”という視点ではないだろうか。日本型“ファシズム”の足音が聞こえ始めている時にこそ…。

能を観るための充実したワークショップ2021年11月06日 21:19

12月25日に開催される第9回「天籟能」のワークショップが開かれている。第1回は「能楽へのいざない」で、シテ方加藤眞悟師をゲストに迎えての入門編。第2回から個別の講演を含む多視点からの解説が始まり、前回の「朝鮮民族支配の史実」(外村大教授)に続き、昨日は「東アジアの仮面舞の連鎖」というテーマが採り上げられた。講師は『巫(かんなぎ)と芸能者のアジア』(中公新書)の著者野村伸一教授。
 能の源流には猿楽があるが、もう一つ、東アジアにおいて慰霊・防疫などの民俗行事として村々から寺までに幅広く営まれてきた儺(な・おにやらい)の存在も欠かせない。日本では追儺(ついな)で知られる春分の豆まきのように、鬼(疫神)を祓うための儀式である。その中には、仮面や仮頭(かず?)を付けて舞い踊るもの、牛を象った被り物や土牛を作るもの、いくつかの共通した形式が見つけられ、後に神鬼戯と呼ばれる系譜には専門の芸人もいたという。
 また、中国宋代に行われた法会(ほうえ)の散楽は高麗朝や日本にもつながるし、鎌倉以前の猿楽は広大(クァンデ)の系譜に連なる。他にも芸能に関わる様々な連鎖が東アジアにみられるが、たとえば能「翁」で冒頭に唱えられる“トウトウタラリ”も、中国(囉哩嗹)や朝鮮(アリ・アラリ)の呪詞の系譜上にあるようだし、夢幻能における文体も巫俗儀礼における口寄せ(霊話)を淵源としているとのこと。とても多すぎて消化不良を起こしそうだが、詳しくは『望恨歌』上演に向けて行われてきた勉強会の成果が刊行されるので、そちらを是非にということだった。これは買うしかないようだ。

保立先生の解説2021年11月19日 21:22

第9回「天籟能」のワークショップ第4回は、前半が韓国農楽の紹介、後半が保立先生の能の発生についての解説。
 農楽。別の名を風物(プンムル)とも呼ぶ伝統芸能の一つ。全羅道を中心に農業生産と深く結び付いた予祝の芸能だったが、村々に伝わっていく中で専門集団が生まれ、後の芸能にも大きな影響を与えている。「サムルノリ」で有名な四つの楽器を五人編成(チャングが二人)で実演。いくつかの陣法(地鎮を意味する演者の廻り方)も紹介された。
 後半は、聴いていてとてもワクワクするような解説。奈良・平安時代にかけての仏教伝来と時を同じくした芸能伝播の歴史。聖徳太子・秦河勝が活躍した集住地域と渡来音楽との関係。白河院を始めとする太子信仰と傀儡子の関係。願文に見る律宗へのつながり。都市化による田楽の流行と猿楽座の形成などなど、あの安田登さんが、詳しい話を聴きたいと願うような密度の濃い芸能史の一端だった。
 ワークショップだけでも一聴の価値があり、いよいよ本番が楽しみである。