戦争と生きる人達がいるということ2020年09月22日 14:20

SSFF&ASIA 2020。「戦争と生きる力」プログラムを今年はオンラインで鑑賞。デンマークのアニメーション『ウタスズメ』は移民問題がテーマだった。あのガッサン・カナファーニーの『太陽の男たち』を連想した。韓国の『板門店のエアコン』も面白い。

習合から考えるコモンの再生2020年09月22日 14:21

内田樹氏の『日本習合論』を読んだ。“習合”というキーワードで様々な日本文化の特質を並べながら、“少数者”に甘んじている現状から“コモン”の再構築を提言している。
本書で多くの“引用”が示すように、これまでも、現在も、海外はもちろんのこと、島国に育った“まつろわぬ”文化を含め、多様なものを一つに収斂しないで共存させてきた先人の歴史がこの国にはある。だから、個々に示されたものの中に、私のような“浅学”な者でさえ、そこに深い意味を感じ取り、関心を持ち続けてきたものは多い。
大倉山ドキュメンタリー映画祭に推薦・上映した『オオカミの護符』は自然崇拝や講・御師を取材したものだったし、旅の“語り”から知ることになって何度も復活口演を聴き続けた説経祭文のように、山伏や比丘尼が歩き伝えた“道の芸”は明治初期の神仏分離の暴力的な展開でその多くが途絶えた。
“里山”が創り出す豊かな世界は、私が幼い頃の横浜の田舎にもまだ残っていたことを記憶しているし、内山節さんの著作や今森光彦さんの写真を通じて、繰り返しその魅力を感じ取ってきた。
東京自由大学で島薗進先生の神道ゼミを聴講し日本人の多彩な信仰を考え、『語り芸パースペクティブ』や「寺子屋」に通って日本の“声”の多様性に富んだ伝統芸能を知った。
また、留学生・近隣外国人の日本語学習を支援する中で、自らの韓国語学習とも絡めながら、他者との“共生”ということをずっと考え続けている。
こうした経験は単に“習合”という言葉だけでは簡単に集約できないが、その一つのキーワードの先にある具体的な人と人の結びつきにこそ、著者の目指すところがあるのだろうことは想像できる。
あとがきに「話を簡単にするのを止めましょう」とあるように、読んで納得するだけでは何の意味もない。こんな本があの頃には出ていたんだと、後の世代から一笑に付されるような世の中の到来を待ち望みながらも、探し続けてきたものを次代へ渡す時間がもうあまり多くないことを感じている。

メッセージを伝える映画2020年09月25日 14:22

先月末、某所へ応募したまますっかり忘れていた文章をここに載せる。1週間遅れで発表を確認したところ、案の定、選には漏れていた。お暇な方はご笑覧あれ。韓国映画の話である。
 “感動”という言葉とは少しニュアンスが違うかもしれないが、私にとって一番印象深い韓国映画は『怪しい彼女』(『수상한 그녀』)である。初めて観たのは韓国語を学び始めてまもない頃で、“韓国”というキーワードに関わる様々なイベントをあたりかまわず探しては観たり聴いたりしていた時期だった。その中で、この映画は最も強く“韓国”を感じさせてくれた。
 主人公の息子が老人問題の専門家で地域に老人向けのカフェを開いたり、夜遊びからバスで帰る若者が二重まぶたに整形している。チムジルパンが女性の癒やしの場となり、新人オーディションに出るバンドはK-POPのステレオタイプ。そして、韓屋の下宿と高層マンションの生活が対比される。ところどころに現代の韓国社会の世相が盛り込まれていて、それを観る隣国の観客にとってもごく自然な風景が、意識的に採り入れられていた。
 そこへ、いきなり身体が50歳も若返った“お婆さん”という突拍子もない“違和感”が入っても、すんなりと受け入れることができたのはなぜなのだろうか。一つには、女優シム・ウンギョンという存在がある。日韓共作ドラマ『赤と黒』や、映画『王になった男』・『サニー』など、本作の直近の作品でも高い評価を得た演技力はこの映画でも存分に発揮されているが、それ以上に、この人は、“ひと”としての存在感を力むことなく表に出せる希有な才能を持っている。だからこそ、“違和感”を超えた“人”の姿をこそ描いてみせたこの映画の要となった。
 一方で、映画は50年前からの風景も切り取ってみせる。主人公の夫は、当時の軍事政権が西ドイツへ送り込んだ炭鉱労働者の一人であって、息子の顔を見ることなく異郷で亡くなった。一人残され、子供を抱え、“鬼”にもなった女性の貧窮生活の回想が、維新体制下で押さえつけられた人々の“声”とも言えるキム・ジョンホの『白い蝶』の熱唱と重なる。
 ドラマ『応答せよ』のシリーズや最近の映画作品に代表されるように、過去の辛い歴史に向き合い始めた韓国の人々の意識変化と、映画作家が女性の立場に真剣に目を向け始める態度変化の、二つの潮流が重なる潮目にこの作品はあった。アバンタイトルや最後のシーンは余分に見えるところもあるが、エンディングロールに掲げた“お母さん”へ捧げるメッセージは、「命の綱を“ニギレ”」と訳された祈りの言葉と共に観客へ静かに伝わったはずである。

男を戦慄せしめる物語2020年09月26日 14:23

3ヶ月ぶりに髪の毛を切りに出かけた。退職してからは安価でカットだけしてくれるヘアサロンに通っている。かれこれ3年ぐらいになるだろうか。歴史家の磯田道史氏の著書とそれを原作にした映画の話で盛り上がって以来、ずっと同じ理髪師さんを指名している。
四季に一度ずつの短い調髪時間には、読んだ本の話が出ることも多く、そのせいもあって、帰り際に同じフロアにある書店についつい寄ってしまう。最近は、もっぱら二つ隣の駅近くにある“馴染み”の書店で買うことが多いのだが、平置きに懐かしい名前を見つけて思わず買ってしまった。
『今昔百鬼拾遺 月』という書名で長編小説が三つも入った部厚い文庫本である。京極夏彦の百鬼夜行シリーズは京極堂が登場する長編しか読んでおらず、サイドストーリーの連作集には手を出してこなかった。それが昨年、京極堂の妹中禅寺敦子が活躍する上記の長編が、それぞれ違う出版社から続けざまに刊行され、つい最近になって講談社文庫で合本になって出されたということらしい。一つにはお蔵入りになっていた『鵺の碑』がようやく刊行されるのと機を一にした動きのようだ。
そして、もう一つ、私がその合本に興味を引かれたのは、綿矢りさの書いた解説文に「旧弊なるもの」という題が付けられていたからである。今、その解説は未読のまま、第一篇の「鬼」を読み終わったところだが、まさしく、それは“旧弊”という言葉でしか表せないような、この国の表に出ない一種の“しきたり”であり、女性が声を挙げることを押さえつけられてきた前近代的な遺風とそこから生じた不条理を描いている。この後、「河童」・「天狗」という副題で続く小説は、リミックスした遠野物語からの“気付き”を含め、世の男どもを“戦慄せしめ”る物語になっているのかもしれない。