災禍を招く支持率2020年09月09日 14:12

安倍氏が首相を辞任すると発表した“会見”後、現内閣の支持率が上がったという。彼が辞任“会見”後に発言した主たる政策は、憲法“改定”と“敵基地攻撃”能力の保有である。それを受けたように、先月新潟県燕市教委教育長が次のように発言した。
 「今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することではないだろうか。中国とアメリカが自国以外の地域で戦争を始めれば、お金は動く。
コロナ騒動などそっちのけで、ミサイルの発射の瞬間が繰り返し放送されるだろう。きっと経済が上向くきっかけになるのではないか。クリミアでもいい。
紛争とか戦争が始まれば武器という商品で経済は回復するだろう。罪のない人間の命との交換である。他に何かいい策があるのだろうか。愚かな人間であり続ける限り、注目の矛先を変えることでしか事態を乗り越えられないのかもしれない。 」(燕市「定例教育委員会々議録」より)
 この教育長を始め、多くの国民が“敵基地攻撃”能力の保有を支持しているということである。4分の3世紀を経て、戦争被害ばかりを継承してきた当然の結果なのだろうが、あれば使ってみたくなるのは道理で、それがどのような災禍を及ぼすことになるのか想像すらできない社会になったということだ。
 リットン調査団報告を受けた国際連盟総会の決議に唯一反対し、その議場から退場した日本側全権松岡洋右の映像が今も残る。その契機となった柳条湖事件が起きたのは9月18日である。

面倒を棄ててきた果てには?2020年09月12日 14:14

「Go To トラベル」にしても「ドコモ口座」にしても、消費経済が全て安易に中抜きされることを前提にした社会は、一時的に手にするアブク銭の代わりに、本当に大事な物を失うだろう。「貧すれば鈍する」とは良く言ったものである。“ブルシット・ジョブ”が多すぎるのは、ささやかな“めんどう”仕事を棄ててきた結果だ。

ある留学生との対話2020年09月15日 14:16

昨日、休学中で帰国している韓国人留学生と久しぶりにオンラインで再会した。政府やマスコミの情報を鵜呑みにせず、直前まであまり防災の準備などしないということだったが、実際、韓国に連続して到来した大型台風の影響は、高層住宅が建ち並ぶ人口集中都市ソウルではそれほど大きくなかったようにも聞く。半島南東部各地で停電や冠水・土砂崩れなどの被害はあったものの、日本のような森林を切り開く宅地開発が多くないのか、被害は当初予想していたよりは少なかったようだ。もちろん、北朝鮮での被害は甚大だっただろうが…。
 さて、話は高波つながりで進む。先日、Facebookであの『稲村ジェーン』が公開されて30年経つと聞いた。サザンオールスターズのボーカル桑田佳祐が監督した大長編“MV”のような作品である。当時、季節に合わせて封切られたのかどうかは寡聞にして知らないが、劇中の台詞「暑かったけどよ〜、短かったよな、夏」が今は懐かしい。稲村ヶ崎の風景がその後どう変わったかはわからないが、1990年代の雰囲気は今よりずっと“猥雑”だったことは確かだ。
 この30年の間に人々の生活や社会意識はずいぶんと変わってしまった。だから、羽目の外し方ひとつとっても、何か見えないモノに押さえつけられていて、いきなり爆発してしまうような不気味な危うさは、映画の公開当時は無かったような気がする。“猥雑”さに溢れた裏社会や一時(いっとき)の狂乱も多く残っていたに違いない。そうしてみると、後に大麻取締法違反で逮捕される主演の加勢大周が、融通の利かない無骨者として描かれていたのがとても印象的だ。
 近年、同様の違反で逮捕されたピエール瀧の出演作品が軒並みお蔵入りになったのに対し、伊勢谷友介の出演映画は再編集せずにそのまま公開予定だという。昨日、「個人が起こした事件と作品は別である」という発表が公式サイトに上がった。“臭い物に蓋”をする態度で非難しやすいものへ抑圧的に動くこの国の同調圧力に負けずに、今後も抗って欲しい。
 そういえば、件(くだん)の留学生が面白いことを言っていた。最近の日本のコンテンツは“How”に長けているけれど、あまり“Why”が感じられないと。コロナ禍で怪しい“猥雑”さがこれ以上消えないように願うばかりである。

中抜きされる委託事業2020年09月16日 14:16

毎週水曜日、購読している東京新聞の芸能欄に「ねづっちの謎かけ道場」というコーナーが掲載される。“謎掛け”を一芸に仕立てたピン芸人の「ねづっち」氏が読者の応募作から選んで短評を載せて紹介する。その短評にも“掛詞(かけことば)”が使われる。
 留学生の日本語学習支援に和歌を使ってみようかと考えていて、このところ少しずつ解説本などを読み始めたところだったこともあり、3週間前、試しに応募してみたのが次の作品である。
 「持続化給付金とかけて、悪い“便通”と解く、その心は省庁(小腸)から流れてきた未詳化(未消化)の物は台帳(大腸)に残ることなく配出(排出)される。」
 “べんつう”という言葉にも似た言葉を掛けたつもりで、本人はいたって気に入っていたのだが、残念ながら採用されることはなかった(ようだ…現時点で)。
 ところで、今日この日、ある職場で歴代最長の連続在籍を誇った人が辞めたそうだが、以前にもこの欄に書いたように、それは“辞任”ではなく“撤退”である。ネット上のある記事によれば、第一次政権での“撤退”時、慶応病院での会見に同席した医師団は、彼が強度のストレスと疲労による「機能性胃腸症」だと診断した。ところが、今回の“撤退”では医師団は同席せず、本人の口から「潰瘍性大腸炎」という“難病”に侵されているとの発表があった。6月からの再発にも関わらず連日会食を続けていた時期もあったようで、病名の真偽は闇の中だが、この8年弱の政権運営同様、本人の言葉を信頼に足るものとして受け止めることができないのは私一人だけではないだろう。

はちどりの予感2020年09月18日 14:19

7ヶ月ぶりの映画館はガラガラだった。横浜駅にほど近いシネコンの500席を超える一番大きいスクリーンで観たのだが、入りは2%ぐらいだっただろうか。エンドスクロールが終わるのを待てずに立つ人もいるので、本当のところはわからないが…。6月に公開されたロードショーが今月一杯で終わりとなる最後の興行だったからかもしれない。『はちどり:벌새』、14歳の少女が主人公の韓国映画である。
「はちどり」と言えば蜂のような小さな身体でホバリングしながら花の蜜を吸う鳥だが、可憐に見えて、その実、精一杯にわずかな“蜜”を糧に生きようともがく姿を連想する。舞台はドラマ『応答せよ』シリーズにも取り上げられた韓国の高度成長後期にあたる1994年のソウル。経済政策のグローバル化に沿って大学進学率が急激に上がった時期に当たる。“ソウル”大学を目指す男子が何事にも優先される学歴社会にあって、中学2年生の次女が置かれた家庭内での立場は、来月日本でも公開される『82年生まれ、キム・ジヨン』と酷似しているに違いない。その心の揺れを誰が知るだろうか。漢文塾の一篇が示している。
本作では、漢江に架かる聖水(ソンス)大橋崩落後に届けられた主人公への“便り”が、彼女の将来にかすかな懸念を抱かせるかのように終わっているので、主人公のモデルの一人でもある年若い女性監督自身が今どのように生きようとしているかにきっとつながるのだろう。それにしても次々と素晴らしい演技力ある若手が出てくるものである。一つには、様々な場における真っ当な“物言い”が、下らないネタに貶められるような社会ではないということが分かる。その確かなリアリズムが韓国映画を豊かなものにしている。
映画のメインビジュアルに使われているスチールは、ある“途切れたメッセージ”を見ている顔である。ストーリーとは直接関係のない地元市民の開発反対運動が、「不条理」に翻弄される主人公に何らかの“予感”を与えたのかどうか。その答えは観客に委ねられている。