男を戦慄せしめる物語2020年09月26日 14:23

3ヶ月ぶりに髪の毛を切りに出かけた。退職してからは安価でカットだけしてくれるヘアサロンに通っている。かれこれ3年ぐらいになるだろうか。歴史家の磯田道史氏の著書とそれを原作にした映画の話で盛り上がって以来、ずっと同じ理髪師さんを指名している。
四季に一度ずつの短い調髪時間には、読んだ本の話が出ることも多く、そのせいもあって、帰り際に同じフロアにある書店についつい寄ってしまう。最近は、もっぱら二つ隣の駅近くにある“馴染み”の書店で買うことが多いのだが、平置きに懐かしい名前を見つけて思わず買ってしまった。
『今昔百鬼拾遺 月』という書名で長編小説が三つも入った部厚い文庫本である。京極夏彦の百鬼夜行シリーズは京極堂が登場する長編しか読んでおらず、サイドストーリーの連作集には手を出してこなかった。それが昨年、京極堂の妹中禅寺敦子が活躍する上記の長編が、それぞれ違う出版社から続けざまに刊行され、つい最近になって講談社文庫で合本になって出されたということらしい。一つにはお蔵入りになっていた『鵺の碑』がようやく刊行されるのと機を一にした動きのようだ。
そして、もう一つ、私がその合本に興味を引かれたのは、綿矢りさの書いた解説文に「旧弊なるもの」という題が付けられていたからである。今、その解説は未読のまま、第一篇の「鬼」を読み終わったところだが、まさしく、それは“旧弊”という言葉でしか表せないような、この国の表に出ない一種の“しきたり”であり、女性が声を挙げることを押さえつけられてきた前近代的な遺風とそこから生じた不条理を描いている。この後、「河童」・「天狗」という副題で続く小説は、リミックスした遠野物語からの“気付き”を含め、世の男どもを“戦慄せしめ”る物語になっているのかもしれない。

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