自分で判断する2020年05月10日 11:07

幼い頃から何かを強制されることが大嫌いで逃げ回ってばかりいた。小学生の頃、父親に反抗して今も指に火傷の跡が残る灸の“仕置き”を受けたことがある。中学では天体観測だと言って夜になるとよく外へ出かけた。高校で競馬同好会に入り、「○○ファン」と書いてある割引券が使える場末の映画館にも行った。
 クラスの大半は私が落ちるだろうと予想した某企業を受験し、就職指導の教師が「政治的なことだけは書くな」と諭した課題の小作文に横須賀のミッドウェー母港化への懸念を書いたら、なぜか合格した。組織生え抜きのトップ就任を市民に呼び掛ける街頭行動には参加したが、組合は小分会の代議員を1期やっただけで下ろされた。
 グループワークが苦手で、週一回泊まり班の酒肴の準備だけして一人先に寝た。一年後、別の職場に異動できたので、一人でできる仕事を探した。意味も良く分からないままにATGなど独立系の映画を名画座でたくさん観た。ある市民運動の事務局に関わりながらも、“被爆”の意味を考えたくて一人でヒロシマを訪ねた。その後、名もない市井の人々を描くシリーズドラマの映像調整を希望したら、単発ドラマでも複数の演出家から“声がかかる”ようになった。
 保守設備の月刊報告、担当番組の作業報告を、誰に言われるでもなく自ら始め、制作現場を離れてからは機材調査を含む外勤の報告を上げ続けた。前例踏襲が嫌いで新採研修の講師にベテランではなく前年の新人を送って怒られた。それでも後進を育てることにだけ注力したら管理職になった。編集室運用の統括業務が多くなり、業務委託先のプロダクションからやって来る技術担当者全員の顔と名前を覚えいつも声を掛けた。
 退職までの数年間、宿泊勤務以外は“自主的”に朝7時前に出勤し、現場の中堅クラスとの打合せ以外は、遅くとも19時には退勤した。上司との考課面接で「毎朝何をやっているのか」と聞かれたので、その日の朝にまとめたばかりの設備障害調査報告を見せたら、それからは何も言われなくなった。
 強制したり指示しようとするものから逃げ続けてきた。だから今も請われて“自粛”などしない。ただ、新型コロナウィルスの“相互”の感染リスクを考えて出歩くことを控えているだけだ。元々人混みは嫌いである。現政府の発表やそれをそのまま報じる“広報”ニュースには信を置かない代わり、一部のメディアやSNSなど信頼性が高い複数の情報をもとに、自分で考え判断して決めている。それが、今も続く私の習い性である。