韓国学生との交流2019年02月21日 11:30

昨年に続き、「JENESYS」(対日理解促進交流プログラム)の一環として来日した韓国の大学生に横浜を案内した。首都圏の他に九州北部を10日間で回る忙しい日程の中、少し緩めのイベントが、この韓国語学習者との交流会かもしれない。
 昨年は雪が少し残る山手西洋館巡りだったが、今年は元町・中華街からみなとみらい地区まで足を延ばすという歩き通しのコースだった。散策にしてはやや距離もあったが、埋め立て地横浜の広さを感じてもらえただろうか。
 旧横浜新田の跡に生まれた中華街という場所は、旧外国人居留地の中でも異質な空間だ。今でもそこは華僑・華人の生活空間と観光地域としての二重の顔が見え隠れする。だから、大通りの入口に立つ「善隣門」というシンボルには“善き隣人”としてあろうとし続ける歴史を感じる。
 政府レベルの“いがみ合い”を超えて、市民と市民が繋がる信頼を形作ることが、今何より重要なことだと考えている。「日本」を発信することも大事だが、それ以上に私たち自身が“善き隣人”であることを顧みることが必要だろう。72年前の国際社会への約束を忘れてはならないと思う。
 今回、NPO法人「RKK」(留学生と語り合う会)の紹介もさせていただいた。彼らのうちに、日本へ留学する人が現れたら、その日本語学習を支援しつつ、未来に向けた関係を作っていくことを望んでいる。

日韓の結婚式2019年02月25日 11:36

一昨日、立川へ行った。昔、この駅で降りたことがあったかどうか、もう記憶にはない。南武線の住民だった頃を含め、青梅線に乗り換えて奥多摩へ足を延ばすことは何度かあったが、駅の外へ出たことはなかったと思う。大きな街だ。目的地のホテルまで、駅前のペデストリアンデッキから3ブロックほどの高架を一度も降りることなく歩いて行ける。
 用事は友人の結婚式への参席だった。新郎は韓国、新婦は日本という国際結婚である。いずれも顔見知りの新郎新婦友人(つまり両人とも知っている)6名が久しぶりに集まった。年代も国籍も違う不思議なグループ「韓国勉強会」のメンバーである。私は発足当初から関わっているが、新婦とはそれ以前にも縁がある。退職直後に通っていた「知の市場」という公開講座の同窓(?)だった。
 結婚式はキリスト教式だったので、いくつもの聖歌が唄われ演奏された。1週間前に立教大学のチャペルでも聴き、耳に馴染んだ讃美歌もあったが、今回は悼むためのものではなく、言祝ぐためのものだったせいか、とても明るく感じられた。先週の韓国学生訪日団への案内に続き、日韓を繋ぐような行事にこうして続けて出ていると、政府レベルの険悪な雰囲気も、いつのまにか融和に転じるのではないかという楽観で見てしまうように思えてくる。
 もちろん、二人のこれからには様々な事があるだろう。しかし、披露宴の最初と最後にそれぞれ自らの言葉で挨拶を行った頼もしいカップルである。それが何よりも雄弁にこれからの未来を示しているのではないだろうか。

憂鬱と闘志2019年02月28日 11:37

毎年この季節が来ると憂鬱と闘志が入り混じったヘンな気分になる。書式に基づいて空欄を埋めていく作業がきらいだからだ。試験ではない。今なら別に受けないでも済む。多くの日本人にとって、めんどうくさいことの一つだが、それでも昨年は組織のトップが不祥事を起こしたので、例年よりは“低頭”だった受付に“出してやった”という気持ちを多くの人がいだいたことだろう。
 もう、お分かりかと思うが、退職して年金生活者となり、確定申告をしなければならない。既に6回目ということもあり少しは慣れたのだが、煩雑であることにかわりはない。各種の証明書類を忘れずに保管することから始まって、細かな計算式や認定条件などを気を付けながら確認して記入していく。少し憂鬱になる。しかし、先行して取られた源泉徴収を少しでも取り返すべく闘志を起こすというルーティンが毎年繰り返される。
 もちろん、そこには沖縄県への「ふるさと納税」やNPOへの支援を再確認するようなことも含まれる。同時に、巷の人間には想像もつかないほどに高額な武器や五輪のための経費が、自分が収めた税金から使われることに怒りを覚える。「チェルノブイリ」が“半永久”的に記憶に残る場所であるのと同様、「フクシマ」はまだ何も終わっていない。巨大で困難な課題を抱えたまま、それを次世代に引き継がざるを得ないことがどれだけ意識されているのだろうか。今は、亡くなったキーンさんのユーモアにすがりたい。