新年あけましておめでとうございます2019年01月01日 18:44

 朝はのんびりと正月気分を味わって、午後から大倉山公園へ散歩に出かけました。富士山には雲がかかり長い稜線しか見えませんでしたが、見えないモノこそ信じられるような心持ちで拝礼します。道路を挟んだ梅林は人気もなく「八重旭」がわずかに一輪花を付けていました。元旦らしく商店街は静かですが、この日も営業している店があります。この日に限らず、普段からあまり行かないチェーン店がほとんどです。
 帰宅して、夏ぐらいから転載していなかったFacebookの記事をまとめてブログに挙げてみたら、忘れていたことばかりでちょっと唖然としますが、深刻に悩むようなことはありません。きっと、またどこかで出会うだろうと思う次第です。そんな調子で今年も書き続けます。同じような事を繰り返し始めたら要注意でしょうか。^^;

多様性への心構え?2019年01月02日 18:46

 正月から留学生の論文の日本語チェックをしている。ここで内容に触れるわけにはいかないが、少々変わった日本人である私にとっても、およそ考えたことのないテーマである。当然、直接会って文脈を確認しなければならない部分が多い。自分自身の関心ではなく、たまたま遭遇した未知の知見について、日本語でありながら四苦八苦する。
 しかし、最近そのことが、多様性というものについての一種の“心構え”につながっているように感じる。もちろん、意味や背景もわからずに理解することはできないが、ひとまず受け止めたうえで、さてどのようにして共通の議論を進めていくのか。そのことだけは間違いないという確信に近いものが生まれてきた。だから一方で、日本人である私にも良くわからないと答える“逃げ道”もまた用意されていると勝手に考える。そうでもしなければ対応できないほどに、今の日本社会のありさまは不思議に満ちている。

伝統とのコラボレーション2019年01月06日 18:48

朝の低い位置に輝く太陽が波間をきらめかせている。そんな風景を久しぶりに見た。東海道線の各駅列車に乗って熱海へと向かう車窓からの風景だ。さまざまな額装を手掛けている知人が昨年暮れにギャラリーを開いたので、旧交を温めながら熱海の街の新春風景を見に行こうと出掛けた。
 駅からアーケードの商店街を抜けてつづら折りの道をずっと下っていくと海に近い平地にでる。大正天皇の転地療養先として作られた旧御用邸跡地を右に見てさらに進み、平地の西端あたりの交差点で海岸へ向かうと、この一帯では数少ない広く平らな道の先に長い土塀が見えてくる。大正時代に和風の別荘として建てられ、昭和期に洋館が増築され、戦後は旅館として関連施設が建て増しされた建築物がある。旅館時代の名称「起雲閣」が残り、現在は熱海市が文化財に指定している。観光施設と市民に開かれた有料スペースが混在する不思議な空間である。ただ残念なことは、平地にあるために近代建築が後景に入ってしまうことだ。
 そのギャラリーで日本画家大谷まやさんの羽子板絵が展示されている。昨年暮れまでの屏風絵を模様替えし、元旦から八十点近い羽子板絵を展示する準備で知人は腰を痛めたという。確かに、軽妙な味わいを見せる独特な画風の絵が描かれている素材は、持ち重りのしそうな重量感のある板である。いわゆる羽子板飾りのように立体的に盛られているわけではないのだが、その重みのイメージは木の質感によるのだろうか。江戸文化の軽みが温泉町の伝統に良く合っている。
 その羽子板絵が飾ってあるもう一つの場所に行った。熱海芸妓見番歌舞練場(あたみげいぎけんばんかぶれんじょう)。芸者衆の技芸向上を目的とした花柳界の練習場であると共に、芸者を座敷に呼べない一般庶民のために広く伝統文化を紹介する舞台施設でもある。毎週末に開かれる「華の舞」という熱海芸者の舞踊公演を観た。新春公演ではなく通常の番組だが、手獅子を使った獅子舞や万才くずしなど祝い芸もある。基本的に狭い座敷で演じる端唄を元にした踊りが多いが、全体として新春らしい趣向も交えた華やかな舞台だった。
 午後からギャラリーで歓談して別れた後、海岸に出てみた。ここは“♪熱海の海岸散歩する〜”で有名な「金色夜叉」の舞台だが、少しだけ砂浜を歩いていたら面白い像に出会った。案内板によれば、江戸安政の頃、漁民の一揆に味方して韮山代官所に上訴し、島流しの刑を受けて虐待死した釜鳴屋平七という網元の息子の夫婦像とのこと。浪曲の演目になってもいいような話だが、一方で“義人”という言葉が死語になっていることに思い及んだ。
 静岡県とはいえ県境の街なので、横浜駅から普通列車でも1時間20分弱で行ける。今回、思ったよりずっと近い印象を持った。

鼻を利かせる年2019年01月07日 18:50

年末年始の1週間は近所を散歩する程度で、漫然と自宅で過ごす日が続いていたが、三が日が明けた4日から毎日出かけている。熱海以外は全て留学生の日本語支援の関係だ。元留学生とは昼食を共にして、今考えている小さな企画の相談をしたり、今後の抱負なども語り合った。
 さて新年早々、某放送局のニュースWEBでは、熱海ではまず観ることのない愚劣な“幇間芸”が演じられているようだが、昨年末に放送された「日本賞2018」に登場した各国の番組は、いずれも素晴らしいものだった。あたりまえの話ではあるが、ここに集められた番組は国際的な批評の対象になるものばかりである。“○○すごい”というような際物(きわもの)がそもそも入り込む余地は無い。だから、安心して観ていられる稀少な番組でもあるということが、今のメディア状況を良く表している。
 この国の政府が脇目も振らずに走って行く先に、どのような未来が待ち受けているのかは考えるだに怖ろしいが、“猪突猛進”に“ちょっと盲信”まで付け加わらないよう、メディアを含めた身の回りの情報に鼻を利かせては寄り道する態度で過ごしたいと思う。

音楽の可能性2019年01月08日 18:53

何となく興奮が冷めやらないので、家に帰ってからもう一度本物を観てみることにした。もちろん記録映像だ。1985年にイギリスのウェンブリー・スタジアムで開かれた「LIVE AID」というアフリカ難民救済コンサートの模様から、彼らだけを抜き出した映像がYoutubeに挙がっている。イギリス出身のロックバンド「Queen」のリードボーカルフレディ・マーキュリーを主人公にした映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。
 11月に封切られ、ロングラン上映中のこの作品は、「LIVE AID」でのパフォーマンスを忠実に再現したことでも注目されていた。そんなこともあって初めて“IMAX”とやらも体験してみたが、本編前のデモ映像ほどには臨場感は感じられず、本編終了後に興ざめするようなテロップを出したことを含め、鑑賞技術ライセンスのPRだけが鼻についた。良い映画は通常のスクリーンだけで十分かもしれない。
 さて肝心の映画の感想だが、とても良かった。事実と違う脚色もあると聞くが、Queenを良く知らない私のような日本人が観ても自然なストーリーテリングが感じられた。細かい筋を追わずに端的に言えば、この映画は“多様性”に満ちている。それは主人公の出身や彼がバイセクシャルであることだけではない。出自や環境の違う四人の楽曲そのものが様々な表現を産み出していて素晴らしい。もちろん、それを支えたのは、類(たぐい)まれなボーカリスト・パフォーマーとしてのフレディ・マーキュリーだが、互いに“家族”と呼び合い、違いや諍いを越えて結実した頂点があの「LIVE AID」だったのではないだろうか。おそらくウェンブリー・スタジアムの観客はそれを感じ取っていたかもしれない。映画はそう語っているようだ。