これもクリスマスのありよう2017年12月13日 11:22

 一足早いクリスマスコンサートを聴いてきた。場所は世田谷区岡本。三菱財閥岩崎家の当主らが古典籍と美術品を蒐集した静嘉堂文庫の美術館である。今週末に終わる「あこがれの明清絵画 〜日本が愛した中国絵画の名品たち〜」という展覧会の会期中だが、かねてから館長が熱望していたという館内での演奏会が本日初めて開かれた。静嘉堂が所蔵・展示する和漢の美術・工芸品には少しそぐわなかったかもしれないが、オーボエ・ファゴット・クラリネットという木管楽器3本の編成で行われたミニコンサートだ。
 演奏したのはクリスマスカラーの色違いのドレスに身を包んだ三人の女性演奏家で「トリオいろどり」というグループ。10代前半で担当楽器の演奏を始め、大学で音楽を学び、今はそれぞれに二児の母親でもあるというメンバーが、クラシックを中心にしたクリスマス音楽を奏でてくれた。モーツァルトのディベルティメント、「ローマの休日」の作曲家G・オーリックの木管三重奏曲、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から3曲、それに讃美歌と「そりすべり」などクリスマスソングを加えた1時間弱の演奏だった。
 木管楽器の中でも木製の三種だけを使うことで厚みのある柔らかな音色が響き合い、落ち着いたヨーロッパのクリスマスを思い起こさせるような時間を過ごすことができた。特に三重奏用に編曲した「くるみ割り人形」は、100人ほどの講堂で聴くのにぴったりな仕上がりで、小さな子供達が聴いたらとっても喜ぶだろうなと想像できた。たとえば、「くるみ割り人形」の人形劇や紙芝居があって、こんな伴奏だったら素敵だ。
 ところで、そもそもの展示会の方だが、明清時代の中国絵画は伊藤若冲や円山応挙など日本の画家に大きな影響を与えたそうで、今回の展示の目玉でもある沈南蘋(しんなんぴん)の「老圃秋容図」など若冲の花鳥図に引き継がれた生類全般への鮮やかな色使いもあれば、李士達(りしたつ)の「秋景山水図」に代表される人生の晩年を表すような深い岩肌を薄墨で描いた山水画は、狩野探幽や谷文晁ら多くの画家が模写している。本物と見まごうばかりの模写は先達へのリスペクトのなせる技に見えて、過日読んだ「朝鮮通信使」に出てくる誠信という言葉を思い出した。

身近から離れた“死”2017年12月15日 11:25

 既に先月中に修了したものではあるが、久しぶりにMOOCを受講していた。「mement mori -死を想え-」というテーマで東北大学宗教民俗学の鈴木岩弓氏が担当した講座だ。私ぐらいの世代で「メメント・モリ」といえば、藤原新也の写真集が真っ先に浮かぶ。「人間は犬に食われるほど自由だ」というセンセーショナルなキャプションが思い浮かぶ。30年後の東北に一時的であれ現れた津波被災後の風景は、“mement mori”を多くの日本人になげかけただろう。この“死”を、個人の信仰ではなく、民俗文化の中にどう位置付け、どのように対するかを考えることが、MOOCにまで取り上げられた理由である。
 昨年から浪曲を初めとする「語り芸」を聴き続けてきたせいもあるが、以前より“死”や“霊”あるいは“異界”など目に見えない世界について想像することが増えた。もちろん相模原の事件や「難民」問題など、現実の“死”に関わる諸々について考えることも多い。異様に非寛容な(電車が数分遅れたことを毎日謝っている)社会で“安心・安全”という心性が脅かされるうちに「死にたい」と思う人も増えている。消費社会が行くところまで行き着いて、本来は豊かな想像世界であったはずの“死”にまつわる諸々が周りから失われていくにしたがい、却って人々は刹那に生きる道を選んでいるように見える。
 先日、テーマを出す当番だった韓国勉強会で「パンソリ」を取り上げた。その歴史を遡ると、起源だと思われるものの一つに「巫楽」つまり巫術を行う際の歌舞があるそうだ。また、「パンソリ」を研究した論文の中には、その長短(チャンダン)のリズムの内に「死生脈」と呼ばれる陰陽哲学が含まれているし、「四節歌(サチョルガ)」に代表される短歌(タンガ)の人生観にも“死”は大きな影を落としている。世の「不条理」に対して庶民ができることは、それとの関わりを否定し、現実から目をそらし、理想郷を追い求めるしかなかった。その「不条理」を解く役割をパンソリが担っていたのではないかという。
 現代人にはカタルシスが必要だと思う。現実の“死”と対するために“霊”や“異界”などを身体で感じる「語り芸」の世界が、その役割を果たすうえで最も大きな働きを示すものと言えるのではないか。なぜならば、人間の身体そのものが「動的平衡」で細胞の生死を繰り返しているのだから…。

「mement mori」を超えて2017年12月16日 11:27

 日本版MOOC「gacco」の講座「mement mori」は既にサービスの提供を終了したので、提出した最終レポートをFacebookに上げておく。課題は「授業内容に触発されたところから、現代日本の死の状況を扱った問題を自由に設定し、題名を書いた上で論じなさい」というものだった。
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「mement mori」を超えて
 白川静氏の「常用字解」によれば、「死」という漢字は「死者の胸から上の残骨の形」で、「古くは死体を一時的に草むらに棄て、風化して残骨となったとき、その骨を拾ってほうむることを葬(ほうむる)とい」い、拝み弔ったという。また「禍」という漢字は、「神を祭るときに使う机」を示す偏(へん)と「人の上半身の残骨」に「祝詞を入れる器」が組み合わさった旁(つくり)によってできている。
 そこには、寿命による“死”を含め、必ず訪れる生物としての多様な終末に際して、古代から祈り弔う習慣があったことがうかがわれる。それは、人間に自己意識が生まれる前から、突然訪れる隣人の変容に対して集団がとってきた行動でもある。動物としての生存本能だけではなく、集団の一部を構成していた者がいなくなったことに何らかの関心を向けることそのものが、人間同士の感覚の共有を強めていったのではないだろうか。
 そうした葬祭は、社会が成熟し政治経済のシステムが発達したことで大きく変わっていった。形式化した儀礼は権威の象徴ともなり、人々の集団への帰属を促した。一方で富の偏重がもたらす社会の階層化で現世に寄る辺のない人々は、来世での救いを求めて何らかの信仰を求めるようになった。その時、感覚の共有行為として“声”による祈りも行われたことだろう。死者に向けて語る言葉は、それを共に聴く人があって初めて成り立ったと考える。
 伝統芸能のひとつである「能」が650年も続いた理由の一つに「初心」という世阿弥の言葉があるが、折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」とする再生のしくみは、夢幻能となって死者のよみがえりを現した。隠れた天照大神が再び現れる古代神話にもつながる神事の先にそれはある。
 “死”を想うときに、一人の営為でありながら、どこかで他者と繋がる回路を求める心性が働くことを感じることがある。一つの“禍”で亡くなった人へ共通に向ける想いや、時を隔て顔も知らぬ故人へ寄せる関心など、具体的な人間関係の延長線上に人はいつも多くの“死”を見つめてきた。それを支えてきた習俗そのものの喪失が人間を孤立化しているのだとしたら、何かしら新しい再生の道を探すことが、現代の私たち日本人にとって重要な問題だろう。
 4週にわたり受講して死を取り巻く日本の状況を概観することができた。“死”そのものは最終的に個人に帰着しながらも社会集団の中に“祈り”をもたらしている。それは本来、権力やシステムによって祀られるものではなく、失った者を介して再び繋がり合う個人がいてこそ、本当の“死”となるのではないだろうか。「臨床宗教師」というグリーフケアの専門職が必要であることは理解できるが、同時に、人々の間に“宗教”を超えた連帯を生み出す繋がりを創り出すファシリテーターのような存在も望まれる。「悼む人」は“禍”だけでなく“死”にも寄り添うべきである。
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水木しげるの死生観2017年12月17日 11:28

 師走も半ばを過ぎ快晴の寒い一日だった。四ッ谷へ出かけた。三丁目が付かない四ッ谷は久しぶりで、前回も確か上智大学だったと思うが、今日は改築でオフィスビルとなった校舎の大ホールだ。漫画家の水木しげるが亡くなった3回忌の追悼を兼ねたシンポジウムが開かれた。水木さんが顧問をしていた東京自由大学の関係者である前顧問の井村君枝、前理事長の鎌田東二、学長の島薗進の三人に加え、民俗学者の小松和彦(現顧問)、作家の京極夏彦という錚々たるメンバーが登壇した。
 13時から18時まで、途中わずかな休憩時間を挟み「日本人の死生観 ~妖怪妖精と異界論をめぐって」というテーマで3本の講演と議論が行われた。左腕を失うという苛酷な戦場体験を持ちながら、研究者顔負けの知的好奇心で“妖怪”というものの本質に繋がる膨大な創作を続けた水木しげる。その巨大な成果の一部分をそれぞれが跡付けるような話が続くのだが、全く退屈しなかった。もちろん、内容は深い。しかし、水木しげるが創り出した作品の中に次々に現れる“妖怪”のように、“異界”という本来は日常に最も近いところにある存在に焦点が絞られ、何やら忘れていたことを思い出させてくれるような気持ちになるのだ。それは、“異界”を聞き語ることが人々の生きる力にもなる物語の“核心”であることを登壇者すべてが良く理解していたからだろう。
 先日来、このFacebookに書いてきたことを含め、つまりここ数年に渡り関心を持ち続けてきた多くの事柄が見事につながって、とても幸せな時間となった。今日書いたA5ノート8ページにのぼるシンポジウム聴講のメモからは多くの示唆を受け取ることができる。それを、あらためてゆっくり眺めながら、来年は何をしようか考えるのが今から楽しみだ。
 明日も9時半から留学生の日本語支援を行うが、日本人の精神の古層につながる言葉と文化背景を語れるチューターになりたいと思う。

メディアへの警鐘2017年12月20日 11:30

 東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の『ニュース女子』が今年1月に放送した沖縄基地問題の特集について審議していたBPO(放送倫理・番組向上機構)の意見書が公表されている。持ち込み番組の考査に関わる6項目の不適正を挙げ、重大な放送倫理違反があったと判断した。
 地上波放送メディアの信頼性というニュース報道の根幹部分に触れた今回の事件だが、その背景には一次資料に基づかない偏見や差別感情による個人的な意見・判断をそのまま流す情報バラエティ番組の現状もある。さらには、“嘘”ではないかと判断されるような政府見解も、調査せずにそのまま発表する単なる広報に堕した番組も増えている。
 だから、一放送機関だけの問題ではなく、「報道の自由度」で年々その位置が降下していく現状の日本メディア全体の信頼にも関わる話だろう。国連人権理事会の特別報告者が日本政府へ送った書簡をみれば、まもなく5年を迎える現政権の下でジャーナリズムがどれだけ後退したか明らかなのだから…。