水木しげるの死生観2017年12月17日 11:28

 師走も半ばを過ぎ快晴の寒い一日だった。四ッ谷へ出かけた。三丁目が付かない四ッ谷は久しぶりで、前回も確か上智大学だったと思うが、今日は改築でオフィスビルとなった校舎の大ホールだ。漫画家の水木しげるが亡くなった3回忌の追悼を兼ねたシンポジウムが開かれた。水木さんが顧問をしていた東京自由大学の関係者である前顧問の井村君枝、前理事長の鎌田東二、学長の島薗進の三人に加え、民俗学者の小松和彦(現顧問)、作家の京極夏彦という錚々たるメンバーが登壇した。
 13時から18時まで、途中わずかな休憩時間を挟み「日本人の死生観 ~妖怪妖精と異界論をめぐって」というテーマで3本の講演と議論が行われた。左腕を失うという苛酷な戦場体験を持ちながら、研究者顔負けの知的好奇心で“妖怪”というものの本質に繋がる膨大な創作を続けた水木しげる。その巨大な成果の一部分をそれぞれが跡付けるような話が続くのだが、全く退屈しなかった。もちろん、内容は深い。しかし、水木しげるが創り出した作品の中に次々に現れる“妖怪”のように、“異界”という本来は日常に最も近いところにある存在に焦点が絞られ、何やら忘れていたことを思い出させてくれるような気持ちになるのだ。それは、“異界”を聞き語ることが人々の生きる力にもなる物語の“核心”であることを登壇者すべてが良く理解していたからだろう。
 先日来、このFacebookに書いてきたことを含め、つまりここ数年に渡り関心を持ち続けてきた多くの事柄が見事につながって、とても幸せな時間となった。今日書いたA5ノート8ページにのぼるシンポジウム聴講のメモからは多くの示唆を受け取ることができる。それを、あらためてゆっくり眺めながら、来年は何をしようか考えるのが今から楽しみだ。
 明日も9時半から留学生の日本語支援を行うが、日本人の精神の古層につながる言葉と文化背景を語れるチューターになりたいと思う。