難民はひとごとか2017年10月21日 00:54

 雨模様が続く中、夕方から日吉へ「シリアに生まれて」という映画を観に出かけた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の公式支援窓口である国連UNHCR協会が主催して実施する「難民映画祭」に、学校パートナーズとして慶應大学も今年から参加したそうで、その一環の上映会だった。手作りのガイドブックなども学生たちは準備していた。
 法的な認定など理解するのに難しい側面はあるが、映画そのものはシリアから逃れた7人の子どもたちの実状を追い続けたドキュメンタリーで、脱出ルートを含む様々な条件の違いによっても大きく変わる彼らの暮らしを映し出している。
 この“生まれて”という題名に私は興味を惹かれた。つまり、身に覚えのないことで、国の政治に翻弄され、国外へ脱出せざるを得なかった彼ら(十代前半)は、幼くして、過酷な生活をいやおうなく経験させられた。いや、それはまだ続いている。だからこそ、それを理解する人たちの差し伸べた手だけが頼りでもある。誰でも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」はずだろうに、セーフティネットを彼らから根こそぎ奪ったものがいる。“シリア”は単に国や政府を表すものではない。独裁的な指導者と急進的な反体制派やISISに加え、武器の提供を始めとする大国の干渉全体が引き起こした問題の総体をそれは意味している。
 仮に、朝鮮半島で軍事衝突があった場合、集団的自衛権を標榜した安保法制に基づいて、紛争当事国としてジュネーブ条約や議定書の適用を受け、私たちは避難民に対する人道的な義務を負うことを考えないわけにはいかないだろう。つまり、難民認定以前の問題として、どのように逃げてきた人々に対するのか。そうしたことを考えさせる映画だった。
 “武装難民”は射殺するという、どこかの副総理の発言は、解決できない問題を引き起こす総体の一端が如実に現れているように思える。週末の天候は荒れる模様だが、“シリアに生まれ”た子どもたちほど嵐に見舞われることはないだろう。それでも気になるのなら不在者投票をすれば良い。私も区役所へ行って来た。

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