失われた猥雑を求めて2017年10月15日 00:50

 先月に引き続き国立(くにたち)へ「説教祭文」を聴きに行く。今年の始めに馬喰町で開かれたイベントで初めて聴き、6月に語り芸の一つとして亀戸でじっくり聴いた。説経節と祭文という古くからある二つの芸能が融合し、門付けから小屋、そして寄席へと進出したものだ。元々は修験者つまり山伏が伝えたので、法螺貝を鳴らすところから始まり、手錫杖で祝詞を唱えたりする。一度断絶したものを、説教浄瑠璃の継承者だった渡部八太夫さんが復活に取り組んでいる。
 大衆芸能の特徴である猥雑な表現も採り入れながら、三味線と語りで今に蘇えらせる物語には、他の伝統芸能には見られない多様な表現と親しみやすさを感じる。太夫のパートナーである姜信子さんの脚色で、時代に応じた諷刺や洒落も入るし、外来語を含むそれを「語り」ならぬ“カタリ”にするのも芸というものなのだろう。
 口演は前半が説教祭文「山椒大夫」のうちの一段。森鴎外のそれではなく、昔から諸所道々に伝わって変遷を遂げた末の「語り」の筋である。後半は毎回ゲストが替わり、演目も変わる。内田百閒の『件』を今様の祭文にしてみたり、姜さんの妄想日記のカタリが出たりと、祭文に劣らず構成の方もなかなかに猥雑なのだけれど、国立の古民家ギャラリーの座敷には、それがなぜか良く似合っている。
 こうやって書きながらも、すぐに消えていくだろう“コトバ”ではあるが、それが発せられた空間や時間を共有したり、身体の中で反芻してみたりする“場”が、今一番失われているような気がして、催し物を探してはこうやって訪ね歩くことが多い。会場でもらったチラシにも行きたい催しはあったが、あいにく別用があって行けない。そこで、この場で紹介することにした。
 恵泉女学園大学大学院国際シンポジウム
「旅するカタリ、越境する声のチカラ」・・・学祭の一環らしい
 日時:11月4日(土)13:00〜16:00
 会場:恵泉女学園大学 J202教室 入場無料
 「旅するカタリ 恵泉女学園」で検索可