繰り返し読む詞章2021年07月17日 12:28

過日オンラインで鑑賞した新作能『沖宮(おきのみや)』公演は、後日アーカイブを字幕付きで視ることができたので、その詞章全文を“打写”(キーボードで打って写)し、その後、何度か繰り返し読み直している。石牟礼道子と言えば『苦界浄土』や『椿の海の記』が有名で、水俣湾をめぐる山海の見事な自然描写がすぐに思い出されるが、能『沖宮』は島原の原城跡が舞台だ。ただ、天草四郎を初めとするキリシタンや、子方が演じる雨乞いの人柱“あや”の出身である天草下島の印象も強い。それは、島の西方に大きく拡がる大海(東シナ海)が海の“億土”のように思えるからでもある。
 “あや”が身につける緋色の装束は、天草下島の女房たちが一針ごとに涙を流して縫ったもので、そこには虐殺された近親者に向けた鎮魂もあるし、あるいは流された血の色にも似るが、やはり、西方遙かに竜神・竜女が住む沖の宮へとたなびく緋色の雲を連想してしまう。
 そして、その明かりは衆生が住む常世に向けられた一灯なのかもしれないと考えている。いつか『春の城』を読んで見たい。

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