底抜けの施政2021年07月03日 12:14

熱海の土石流災害を中心に大雨被害の状況を伝えた今日の「報道特集」で、後半の短い時間に経産省官僚の支援金詐欺が採り上げられていた。中小企業への支援金申請で2桁を超える突き返しを受けた、いわゆる“不備ループ”に陥っている人たちが多く出ている中で、身内の詐欺を見抜けなかった審査受注コンサルと担当相の無責任ぶりが大変に良くわかる調査取材だった。
 匿名・顔隠しで出演した関係者が上司から言われたという「基礎控除以外の控除が無いのは怪しい」という一言は、膨大なブルシットジョブを生み出される一方で、国民年金や社会保険にも入れない(あるいは控除申請まで思い浮かばない)ほどに苦しい生活に喘いでいる国民を一顧だにしないような“クズ”の存在を思い浮かばせる。

韓国の本屋巡り2021年07月07日 12:17

神保町のチェッコリが6周年記念のオンラインイベントを開いている。今日はその初日。韓国の大邱空港の近くにある「旅行者の本(여행자의 책)」という変わった名前の本屋が紹介された。代表のパク・ジヨンさんがカメラを持って店を廻りながら説明してくれた。入口近くにはやはり詩集のコーナーがある。『マルモイ』の国らしい。大きな鏡に書店のレイアウトがある。
 地元出身者や女性作家のコーナー。一冊の本の書写(?)をリレーで繋ぐコーナー。芸術・学術に特化したコーナーなど多彩だ。店内にはポストがあって“紙の郵便”も出せる。一方で電気自動車を使っている。
 地域の文化センター的な役割も持っているそうで、住民の制作物の展示もある。2階には宿泊施設も用意されている。スタッフの中心は元学校教師、教え子も特別出演(?)した。
 韓国の3冊の本が紹介された。「여행자의 책」・「서점의 일생」・「작은 책방은 힘이 세다」。いずれも本屋に関するものである。
 本屋を始めるのは簡単だが、続けることは大変。街に溶け込みながらも、文化の担い手になっているたくましさをそこに感じた。「本屋は人が来るから楽しい」という話は、“出会い”を大切にしている人ならではの言葉だろう。

日めくりで廻る世界2021年07月10日 12:18

久しぶりに妙蓮寺へ行った。本屋「生活綴方」と石堂書店である。この1年半弱というもの、電車に乗って街から出ることが激減している状況で、おそらく最も多く訪ねたところの一つだ。ちょうど1年前にも『バウルを探して〈完全版〉』について書いている。
 今日は「ひとりみんぱく」と題したコレクションの展示が開かれていた。「地球の歩き方」をはじめ、辺境を中心に多くの旅行記を書き続けている松岡宏大氏が、旅先での交流で「贈られ、受け取ってきたもの」を集めたそうだ。リソグラフで作った図録もあったが、結局読まずじまいでコレクションだけ見てきた。新しいモノへ関心を持つ余裕が無くなっているのが少し残念である。
 ただ、その中で二つ、光背の中で踊っているカーリー神らしきもの(あるいはシヴァ神?)と、戦仕立ての人と牛のセット(?)が面白かった。勝手な解釈だが、歴史上の破壊行為を神格化したり、偶像にして残すのは、この地域が繰り返し多くの悲劇に見舞われてきた裏返しのような気がする。
 実は、今回の展示に関連して「生活綴方」ホームページで国立民族博物館特別協力の日めくり万年カレンダーが予約販売されていたので購入した。解説を執筆した17名の専門家の中には、昨年セルリアンタワー能楽堂で韓国の農楽を演じた神野智恵さんも名を連ねている。これから、めくりながらイニシャルが出てくるのを楽しみにしよう。

絶望的な近未来2021年07月10日 12:20

78年前の今頃、太平洋での開戦から1年半で既に後退を余儀なくされる事態になっても、インドネシアやマレー半島など軍事占領した地域を領土として編入し皇民化政策を推し進める御前会議が開かれていた。
 当時、アメリカ軍はマッカーサー率いる南西方面軍がブナから西部ニューギニアへ、ハルゼー率いる南太平洋軍がガダルカナル島からソロモン諸島へ、「Cart Wheel(車輪)」作戦と呼ばれる進撃を開始する。その迫間ニューブリテン島のラバウルや領域内の孤島から有効な反撃ができないまま、制海圏を失った日本軍は孤立し、後に、多くの飢餓と伝染病による膨大な数の戦死者を出すことになる。
 一方、日本国内では絶望的な戦況が隠されたまま、国立競技場で出陣学徒の壮行会が開かれる。それを、女子学生ほか5万人が観客席から見守ったという。地方でも同様に進められた出陣学徒の全容は不明で、その数は今も杳(よう)として知れない。
 歴史は繰り返す。

より大きな“かね”とは?2021年07月11日 12:21

この国で“五輪”と言えば、密教の「五輪」(地・水・火・風・空)を指すのであって、そもそも金満スポーツ大会が商標登録するようなものではない。
 宮本武蔵『五輪書(ごりんのしょ)』に曰く、「実の道を知らざる間は仏法によらず世法によらずおのれおのれは“慥なる道”と思ひ“よき事”と思へ共心の直道よりして世の大かねにあはせて見る時は其身其身の心のひいき其目其目のひずみによつて実の道にはそむくもの也“其心をしつて直なる所を本とし実の心を道として兵法を広く行ひ正しく明らかに大きなる所を思ひとつて空を道とし道を空と見るべき也」
 “確かな道”や“善いこと”と思っていても、世の大きな“かね(規矩)”に合わせて見れば、心の“贔屓”や目の“歪み”によって道に背いているものである。
 現代を見通す武芸者の言である。