頭の中のカオスが出た言葉2020年07月16日 12:05

もう1年以上前に聴いた“語り”が蘇ってくるようだった。昨年6月、“つながり”をテーマにして開かれた小さなゼミナールで聴いた「修羅」のような言葉たちを、今度は活字で追いながら、著者が激しく生きた生きざるを得なかった時代に思いを馳せた。
 童話作家・詩人として名高い宮沢賢治はその短い生涯でたくさんの手紙を書いている。その一部に画を添えて書簡集に仕立てた変わった本がある。『あたまの底のさびしい歌』という書名は、取り上げられた一通の手紙の最後の言葉から採られている。
 “しっかりやりましょう”という自らを鼓舞するような言葉を幾度も幾度も書き連ね、そのカオスを親友(保阪嘉内)に叩き付けるような過剰の人がそこにはいる。病気がちだが成績優秀だった子どもの頃に、様々な自然や宗教・教育の体験を経て育まれた独自の感性は、彼が生きる時代に普通に暮らしていくことを許さなかったのだろう。その情理は、一人の人間の中に“教える”人と“教えられる”人の混沌を招き寄せたのではないだろうか。書き連ねた“他者”への言葉に自らが翻弄されるような人だったのかもしれない。命を削るような教え子への手紙に「また書きます」と記されているのが痛々しい。本全体の7割を占める、読んでいて苦しくなるような手紙を送られた親友は、いったいどんな返事を書いたことだろうか。

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