奪われた野に春を想う2020年07月04日 11:59

「コロナ禍」の中、少し前から白水社のWebマガジンを時々読んでいる。「忘却の野に春を想う」と題した往復書簡だが、この題名にピンと来る人もいるだろう。植民地時代を生きた朝鮮半島の詩人李相和(イ・サンファ)が書いた詩『奪われた野にも春は来るか』から採られたものである。その第一信に著者の姜信子さんはこう書いた。「風土を奪われ風土を忘れ都市に生きる「コメ難民」の閉ざされた近代が、風土に生きながら風土を奪われゆく日本の「内なる植民地」の民の近代とひとつながりの大きな流れとなる、今までとはちがう近代の風景」。
 それは、日本国内の米騒動を植民地朝鮮での産米増殖により解決させようとした結果、土地を手放さざるを得ずに流民化した“コメ難民”が大量に内地へ渡ってきた歴史と、植民地を失い新たなコメの供給地を担わされた戦後の東北がつながって見えるということでもある。以後に続く往信のやりとりの中で、“奪われた野”は様々な展開をみせる。東北から沖縄・済州島を巡り谷中・水俣へと続く。その旅の一部は一昨年から続く東京西荻窪の忘日舎で開かれる“語り”の会「旅するカタリ」で私も何度か耳にした。それは、今この文章を書いている同じ時間帯に現在進行形で行われていて、私のごく小さな個人的事情で参加をキャンセルしてしまったが、この往復書簡第十九信の最後、石牟礼道子『苦界浄土』より「草の親」も実演されたはずだ。人災を含む「コロナ禍」で奪われてしまった東京の風景の中で…。
 『奪われた野にも春は来るか』。同じ題名で開かれた7年前の写真展を取材したドキュメンタリー番組で写真家鄭周河が次のように述べている。「朝鮮語には「春」という音に「見る」という意味があるのです。「直視する、しっかり見る」そういう意味です。「しっかり見る」ことは、「考える」ということを意味するのではないでしょうか。(中略)春がないからこそ、私たちは春を待つのではないか。失われた春は、与えられるのではなく取り返すのです」
 変わらない風景から失われたものを探す。日常の中にある不安の兆しに目を向けることから学ぶ。そして、お互いが共有する経験と知識を持つことで目に見えないものが見えるようになるという、福島を何度も訪ねた韓国人写真家の言葉からも、“カタリ”の声が聞こえてくる。

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