始原に触れる人々の映画2020年02月23日 11:47

新型コロナウィルスへの感染が拡がっている最中、木曜日から連続三日で街へ“のこのこ”出かけている。今日は東京の三越前。東洋経済ビル9階にある経済倶楽部ホールで東京自由大学主催の講演会があった。「時間意識とは何か」という演題で講師は内田樹氏。例によって殴り書きしたノートの解読と頭の整理に時間がかかるので、本日のメモは後日にして、会場で思い出したことを書いてみる。
 実は、一昨年も「始原の遅れ」と題した内田氏の講演を東京自由大学の講座で聴いた。今年のテーマ“時間意識”を一部先取りしたような内容だった。それは、一神教の“肝”は、神の言葉を「私に向けられたメッセージである」と感得するところにあり、今回の話で言えば、ヨブ記における神(絶対的超越者)との対話が、被造物(造られた者)を自覚する信仰への重要な過程になっているということだ。
 一昨年の講演から二週間後、中国の留学生と話していて突然頭の中に閃いたことがあった。それはスティーヴン・スピルバーグ監督の『未知への遭遇』に出てくる不思議な“形”のイメージを思い浮かべる人々である。この映画を観た人はすぐにわかるだろうが、その“形”は後に宇宙船の母船が舞い降りてくる砂漠の山を模したものだ。もちろん、遠く離れた地に住む人々はそれを見たことはない。どこか知らないところから自分に送られてくるイメージなのだ。言葉でも音でもない。テレパシーのように、ただ感じる。意味(コンテンツ)はわからないが、その“形”を描き造らずにはいられない。「私に宛てられたメッセージ」だと信じる人々は様々だが、皆それが自分に向けられたことを知っていて、応えなければならないと考える。そして、聖地に向かうように惹きつけられてゆく。手持ちの価値観や論理を捨てて従うものは非言語メッセージで、彼方から訪れた宇宙人は預言者エリヤのように彼らを母船へ迎え入れた。
 フランソワ・トリュフォー演じる科学者も地球に向けられた“音”を視覚化して応えた。だから、人々が進んで母船の中に入る光景を暖かな眼差しで見守っていた。『未知との遭遇』は単なる第三種接近遭遇なのではなく、始原である宇宙からの呼び掛けに応えた人々の物語だった。だから、観終わった後の圧倒的な感動が今も残っているのだろう。