みさきっちょ2020年03月03日 14:17

 出かける予定が次々と中止になるので、ここを先途と読書に勤(いそ)しんでいる。今日は、アタシ社という三崎市にある二人出版社が出した『みさきっちょ』。先日石堂書店で入手した。作家のいしいしんじが三浦半島のさきっちょにある三崎に住んで経験を元に、今も関わり続けている人と街を描いたものである。絵本作家の長谷川義史の絵とスケッチが独特な空気感を表している。港をめぐる人間ドラマでもあり、紀行エッセイでもあるような不思議な作品で、人生が変わる一時期に住み着いた三崎という街への作家いしいしんじの愛情が溢れている。読後、自分の住む街の風景が変わって見えるかもしれない。

読書の学校 史記2020年03月04日 14:19


さて本日の読書は、NHK出版から刊行されたばかりの『読書の学校 史記』。Eテレで続いている「100分de名著」の放送番外編で、昨年11月に開成高校で行われた特別授業を書籍化したものである。講師の能楽師安田登さんは日本の古典に造詣が深いが、若い頃は漢和辞典の執筆にも関わったように元々は中国文学の専攻なので、甲骨・金文の読解を交えて『史記』の解説を始める。四字熟語の挿話で良く知られる司馬遷の『史記』が、実は複雑な歴史を紀伝体(同時並行的な史伝記述)で書いている点に着目し、AIを超えたシンギュラリティの到来に向けた新しい生き方への“問い”を高校生に投げかけている。それは、“検索”で答えが出るものとは真逆なところから突然現れることになるだろう。

下流志向?2020年03月04日 14:20

 就職して初めての転勤から東京へ戻った当時、その日の映像編集室の運用管理を担う仕事に多く就いた。そこで感じた違和感は、具体的な形を持たない“モノ”を創る仕事への姿勢の変化だった。簡単にいえば“時間意識の短縮”ということである。短期アルバイトから制作進行の職員まで、その“短慮”を感じることがいつのまにか増えていた。そんな時、渋谷のブックファースト4階にあった人文コーナーで『下流志向』という本に出会った。そして、社会の変化が「教育」に“特徴的”に表れていることを強く感じた。以来、この著者の言葉がいろいろとモノを考える上での一つの“標”となっている。
 今、何とも形容できない不安な気持ちがある。それは新型コロナウィルスの感染などではない。社会全体の急速な劣化により、“短慮”を象徴したような幼児性を持つ為政者がこの国を動かしているという現実からくるもので、これは一種のパラレルワールドなのではないかと疑いたくなる気持ちが日に日に強くなっている。

見えない雲2020年03月05日 14:21

 ある小説を読み始めていて、ちょうど半分ぐらいを過ぎた。短編集ではあるが、読了するまでは紹介したくないので、今日は別の既読本を取り上げる。今年の1月に91歳で亡くなったドイツ人作家グードルン・パウゼヴァングの『見えない雲』である。1986年に起きたチェルノブイリ原発事故によって拡がった放射能汚染は北西ヨーロッパの各地に高濃度のホットスポットを作った。ウクライナから1000km以上離れているドイツのハンブルグでも、市民は何が安全な食べ物なのかを迷ったという。本書は西ドイツの原発で事故が起こったと想定したフィクションであるが、結末近くに主人公の祖父が語る次の一節がある。
 「知らせなくてもいいことまでマスコミに知らせたのがそもそもの間違いだった。連中はなんでも大げさに書きたてる。そんなことさえしなければ、こんなヒステリーが生じることもないし、誇張やプロパガンダにまどわされることもなかった。そこらのおばさんたちが、原子炉の内側のことやレムだのベクレルだのについて知る必要がどこにある? 結局はなんにもわかりっこないんだ。それに世界中に死者の数を言いふらして何になる? 今回のことで、また西ドイツの評判はガタ落ちだ。昔ならこんな大騒ぎになる前に物事を処理できた立派な政治家がいたものだ。今回も政治家たちが内密にしてさえすれば、きっとシュリッツでも事故のことなんか全く気づかないですんだに違いないし、鼻を突っ込むマスコミの連中もいなかっただろうに」
 横で聞きながらうなずいた祖母と、祖父をまっすぐに見すえると、主人公の少女は脱毛した頭を隠していた帽子を取って、“あの日”からのことを語り始める。出版後、学校指定図書となった本書は150万部を超えるベストセラーとなり、漫画や映画にも展開され、ドイツの脱原発政策に大きな影響を与えた。
 その23年後、福島第一原発が最悪レベルの事故を起こし、その事態は今も終息していないにもかかわらず、日本は原発の再稼働に踏み切った。若い人たちに是非とも読んでもらいたい一冊だ。(写真右が初版、左が2006年の文庫版)

モンスーン2020年03月05日 14:22


昨日から断続的に小説を読んでいた。韓国の作家ピョン・ヘヨン氏の作品をまとめた『モンスーン』という短編集である。昨年11月に買い求めたものの読み始めることなく放置していたが、ようやく手に取ることができた。彫刻家中谷ミチコさんの作品「あの山にカラスがいる」をあしらった表紙が印象的で、今にも飛び出しそうなカラス達がこの短編集で描かれる都会の“孤独”を際立たせている。小説の主人公達はどこにでもいそうな人々で、それぞれに周りの人間関係を微妙に忌避しているが、いつのまにか望ましくない他人と関わらざるを得ない状況へ追いやられてゆく。そのじわじわと染み込んでくるような怖さが、人間存在の本質的な“孤”につながっていると感じられる。それぞれの短編は、本質的な解決を見せないままに終わる。だから、すぐに続けては読めないのだ。大学路あたりで不条理劇として上演されてもおかしくない。そんな気がする。日本語訳は姜信子さん。