もう一つの個人の歌は?2020年02月02日 22:59

昨年の欧州議会選挙で躍進した英国ブレグジット党ファラージ党首の最後の発言をBBCが伝えている。年末までの移行期間に何が起きるかはまだわからないが、この語り口を聞く限りでは、EU離脱後のイギリスにおける政治的緊張が解けることは無いと思われる。離脱協定案可決後に本会議で謡われた「オールド・ラング・サイン」(蛍の光)がスコットランド民謡であったことも、欧州各国の思惑を深読みしたくなる理由だ。
 “歌”は様々な場面で必要に応じて“使われる”。たとえば、五輪開催を推し進める“応援歌”が民放キー局の全チャンネルに流れるような異様な光景を見せられれば、逆に、お仕着せの“文化”から離脱するための「もう一つ」の“歌”が望まれる。それは、どれだけ知られ流行するかという基準ではなく、聴いた人個人の深い記憶に残るかどうかで語られるものだろう。今年がそれを探す年になればいい。

本屋のジレンマ2020年02月05日 11:28

先々週末、妙蓮寺の石堂書店で「まちの本屋と「ヘイト本」のジレンマ」と題したトークイベントが開かれた。ゲストは『私は本屋が好きでした』(太郎次郎社エディタス発行)の著者永江朗さん。あいにく別の所用があって私は行けなかったが、代わりにカミさんが参加した。後日、カミさんが図書館に予約を入れてあったその本が手元に届いたので、早速読んでみた。
 “ヘイト本”に関わる多様な問題について、著者・出版社から取次会社、書店、客、読者にいたるまで様々な立場から考えたもので、知らないことも多かった。章立ての難しさから、やや重複する記述内容もあったが、この一冊で、とりあえず書店に並ぶ“ヘイト”本の背景を概観することができた。関心がある方には一読をお勧めする。
 その中で、二つだけ採り上げる。一つは、冒頭近くにあった「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」という言葉である。街の文化装置の一つとして、その存在が発信する影響力について無自覚であってはならないという先達の言葉として紹介されている。
 そして、もう一つがあとがきにあった「1975年から2015年までの40年間で、書籍の発行点数は三倍以上に増えましたが、一年間に売れた書籍の冊数はほぼ同じ。15歳から64歳までの生産年齢人口もほぼ同じ。書店員が扱うアイテム数がべらぼうに増えたのです、売れる量は同じなのに。」(一部表記を変更・省略)という数値である。価値観の多様化に呼応して“アイテム”が増えたという説明もあるが、その後段で、著者は“本”の“偽金化”という言葉を使っている。そして、それが再販(定価販売)制と委託(返品条件つき仕入れ)制の一体運用による日本の出版産業の欠陥だと指摘した。この“偽金化”という言葉は、たとえば、ミヒャエル・エンデが『モモ』で暗示し、『ハーメルンの死の舞踏』で明示した金融システムによる社会破壊などにもつながるものである。
 その昔、「本を跨ぐな」という言葉を聴いたことがある。それだけ、活字という文化に一種の信頼と敬意を持って接していた時代があったのだ。その信頼と敬意を失わせるに至ったものが、“偽金”のように大量に作られ大量に消費されるモノたちなのだろう。
 読んだ結論から言えば、簡単に現状が変わることはない。だからこそ、それぞれの立場で考えていく必要がある。石堂書店がこうしたトークイベントを開くことそのものが、大きな一歩になっている。

夢の通い路2020年02月10日 11:38

新型肺炎に関わる疑心暗鬼が生じ、普段よりも人々を殺気立たせているのではないかという別の懸念から、このところ都心の人混みを避けている。特に急ぐ用事もないので行く必要がないこともあるのだが、先日久しぶりに東京へ行って来た。東京と云っても都心ではなく調布である。距離的には近いが電車だと2回乗り換えて1時間弱かかる。駅前で降りるとさすがに大きな街で、落ち着かない自分がいることを感じる。
 カミさんに教えてもらった「クッキングハウス」(心病む人と共に集うレストラン?)で滋味豊かで美味しい昼食を済ませ、向かった先は中央図書館。「樟まつり」という調布市の文化イベントの一環として開かれる文芸講演会を聴くためだ。講師は安田登さん。演題は「夏目漱石『夢十夜』をよむ」。「こんな夢を見た」で始まる「第三夜」の朗読は今までにも3回ほど聴いているが、今回は「第一,三,四,十」の四夜分を2時間で紹介という趣向。以下、簡単なメモ。
 冒頭に「今日は内容の解釈はしません」と振って始まった講演は、『夢十夜』が書かれた背景(江戸と東京の“あはひ”の時代)と、作品の中に現れる能の構造や繰り返される所作などを様々に紹介する場であった。
 『夢十夜』が新聞に連載されたのは1908年。少し前にフロイトの『夢判断』が出版されている。夢は古くから「売り買い」されるものであったが、近代化によって個人の無意識の中へと押し込められる。漱石が生きた時代はその混沌とした変化の時代である。
 「第一夜」は能『定家』と似る。式子内親王との“知られぬ恋”が象徴される百合の花が話の中に出てくる。墓石から伸びる茎も「定家葛」を連想する。また、繰り返し出てくる“腕組み”は近代化以降の所作であるが、話の結末は能のような女の夢幻。他にも、西洋の図像とは違う日本の“百合”が象徴するものを古今の短歌から探った。
 「第三夜」には、繰り返し歩く所作が描かれる。負うた子との会話に出てくる殺人の記憶の話は、日本各地に伝わる“六部殺し”に似る。「六部」とは巡礼僧。その生まれ変わりが自分の子供であるという“因果律”の話。講演では小泉八雲の『日本の面影』に出てくる「持田の百姓」が紹介された。
 「第四夜」に出てくる柳の下の老人は黄色い足袋で狂言師のよう。笛を吹くと持っていた四角い箱に放り込んだ手拭いが蛇に変わるという。「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」や「深くなる、夜になる、真直ぐになる」という語りは謡のリズムに酷似する。そして、語りながら“橋掛かり”ならぬ河の向こうに消える。
 「第十夜」も不思議な話。新訳聖書マタイ伝にある「ガダラの豚」の話に似る。悪霊ならぬ女の顔を見たせいで“あはひ”の絶壁に立たされる主人公。能の女性はシテ方が演じる。漱石が習っていた下掛宝生流はワキ方の流派で、死者と出会ってしまう人間の役が多い。古くは女性の顔の美醜は問われること少なく、その所作の美しさが勝っていたという。
 当日、講演の間ずっと手話通訳があった。終演後、その表現の素晴らしさを伝えたことを補記しておく。

傑作を生み出す土壌2020年02月11日 11:40

ポン・ジュノ監督の映画『半地下』が米アカデミー賞で作品賞を含む4部門を受賞した。中でも作品賞は英語以外の外国語映画では初めての快挙になる。一つには「外国語映画賞」という英語以外の映画作品を対象にした部門が今年「国際映画賞」と変わったように、英語以外の外国映画に対して大きく門戸を開くイメージが作品賞にも反映したと言えるのかもしれない。しかし、この5,6年の韓国映画の隆盛には驚かされる。それは急速なIT化にもかかわらず劇場観客動員が伸びていることだけでなく、文化としての映画を受容する観客に質的変化が表れている気がするのだ。つまり“目の肥えた”観客が求めるものに応じて製作される映画が増えているということである。
 この数年、私は伝統芸能を中心に生声を聴く口演に行くことが多くなったせいで、映画を観る機会そのものが減っているが、依然として韓国映画を選ぶことは多い。字幕無しで映画を観るまでには遠く及ばないままの状態で止まっている韓国語学習の為ではなく、映画のテーマそのものへの関心から選んだ結果だ。もちろん、朝鮮半島の近代史に関わる事件など、日本の近代史と切っても切れない関係にあって強く興味を惹かれる作品もある。ただ、数として、それはごくわずかだ。3,4年前まではよく観にいった韓国文化院図書映像資料室でのビデオ鑑賞での選択肢から考えても、この数年の多様な展開には目を瞠(みは)るものがある。
 だから、自らの作品に韓国社会の多様な問題を戯画化しながら、奔放にエンターテインメントとしても成立させるポン・ジュノ作品が広く認められるようになったのではないか。監督賞受賞のスピーチでマーチン・スコセッシから学んだと紹介した「가장 개인적인 것이 가장 창의적인 것이다」(最も個人的なことが最も創意的だ)という言葉は、一方で、それを我がことのように受け入れる幅広い文化受容が可能な鑑賞者の増えていることを示している。韓国の観客はこの映画をアカデミー作品賞だから観たのではない。それがうらやましい。

信じられない言葉と現実?2020年02月14日 11:41

昨年、短編アニメーションの上映を観に行った下北沢を再訪した。今回はこの街の最大の特徴ともいえる演劇の舞台である。それも、あの本多劇場だ。“こけら落とし”の翌年に加藤健一が出演した北村想の『寿歌(ほぎうた)』を観て以降、年に数回程度、様々な舞台を観たはずだが、最後に行ったのは確か「世仁下乃一座」だったように記憶している。もう、30年以上前の話になる。忙しくなって、すっかり足が遠のいていたが、行かなくなった直後から始まった地元の演劇祭が今年でちょうど30年。参加作品として昨年知った若手の劇団“あはひ”が初演の『どさくさ』を掛ける事になった。
 現役学生で構成される劇団“あはひ”は能の安田さんのツイッターで知った。早稲田小劇場どらま館で観た第二作『流れる』が能『隅田川』を題材にしていることもあって、見えない世界との境界に強い関心を持っているところが気になった。以降、続けて観に行っている。今回の『どさくさ』は旗揚げ公演の再演で、元々は落語『粗忽長屋』から発想されたものだ。昨晩行き倒れた“熊公”の死体を見て、顔なじみの“八公”が今朝会った“熊公”を連れてくる。死んだはずの本人が自分の死体を抱きながら「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう」と語る下げの台詞の不可解を、そのまま群像劇に仕立てあげたものである。
 落語の中でも不条理が際立つ演目ではあるが、「粗忽」という言葉が持つ響きは単に“そそっかしい”という性格にとどまらず、言葉の意味を超えて理路を成立させる強い力のようなものを表す。それは、言葉を信じられなくなっている現代社会で“こうありたい”と思いながら夢幻の世界に生きる術なのかもしれない。たとえば、「お前は死んだんだよ」という言葉が何よりイキイキと聞こえる不思議ともつながる。そうした、言葉であって言葉だけではない身体の“あはひ”には、日本語の「共話」的な特質も深く関わっていて、作・演出の大塚さんの台本は、おそるおそる相手に差し出すような現代の若者の言葉に、「共話」を意識した“対(つい)”を重ねることによって、彷徨う人々の“あはひ”に新たな交歓を生み出しているようにみえる。
 上演の後に、舞台美術を担当した杉山至氏と劇団員とのアフタートークが行われた。“あはひ”のような縁側や対象的な柱と木で構成された舞台上に、出演者が小道具を押して現れ、そこで出演場面を待つ姿は、まるで能の地謡や後見のようにも見えた。舞台装置がシンプルであるほどに想像の世界は大きく拡がって、それは観客席から見る一人一人が夢幻の世界に入っていく境界として見事に機能していた。次作がますます楽しみである。