浪曲色とりどり2019年05月14日 12:41

もっぱら自分のために書いて残しておきたいだけ(つまりプレッシャーとは無縁)なのに、それがなかなか進まないことで何だかストレスが溜まっている。活計(たつき)の仕事をしている時は、次から次にやってくる業務を意識して、その日に書いておくべき内容を日報のようにまとめる習慣もあったのだが、「サンデー毎日」(古いオヤジギャグ)となった今、そのような切迫した状況もない。あくまでも気持ちだけの問題だ。ただ、明らかに記憶力は減退しているようで、何を書こうとしていたかを思い出せなくなっている。
 仕様が無いので、思い付く順にまずは浪曲の話を書く。2月初めに拝鈍亭を訪ねて以来、しばらく無沙汰にしていたが、一月ほど前に、ひょんなところで聴くことになった。自由が丘の「あおぞら銀行オアシスルーム」。東京自由大学の「異界の声、常世の歌」という講座の第1回に、玉川奈々福さんが登壇し、鎌田東二さんと対談をすることになり、恒例の「コンテンツ・ラボ」より広い会場が選ばれた。あまり浪曲には似合わないような(?)明るい日射しが差し込むフリースペースだった。
 それでも、いつものように一席が始まれば、あの懐かしい“不思議な世界”に引き込まれる。外題(げだい)は「浪花節更紗」という浪曲師の成長譚である。原作の短編小説を書いた正岡容(いるる)は小沢昭一さんや三代目桂米朝の師匠にあたる人で芸能全般に造詣が深く、前座仕事から楽屋の様子まで寄席の雰囲気がふんだんに盛り込まれている。今回は初めて聴く人も多かったようで、様々な節(ふし)で浪曲の魅力を堪能できるネタを選んだとのこと。豊子師匠の音締め(ねじめ)もまた素晴らしく、最下層の人たちの苦労や悲しみに寄り添う芸が見事に表れていた。後半の対談については、詳細にメモしたものの整理がつかないので、いずれまた。
 さて、この2週間後に木馬亭。二代目玉川福太郎の13回忌追善興行で玉川一門が集まった。61歳で事故死してから早12年。6人の弟子に加え、伯父筋にあたるイエス玉川が、代わる代わる高座を務めた。わずか3ヶ月足らずで師匠を失った玉川太福(だいふく)の弟子入り話で幕が開(あ)き、一番弟子福助のトリまで、新作・古典を交えた6席を聴いた。通常の定席ではなく、福太郎という一浪曲師でつながる一門会という場が、悼む性格のものになるのは無論だが、師匠のおかみさんである玉川みね子さんが「師匠は厳しさが足りなかった」と語った言葉が耳に残った。
 福太郎師匠が浪曲の裾野を広げるため、事ある毎に呼び掛ける試みをしてきたことは、生前の録音テープや弟子達の記憶の端々からも見て取れる。その“優しさ”がどうだったかという未練にも思える言葉は、曲師として弟子と歩んできた自身の来し方への反省かもしれない。それほど、この日のおかみさんの三味線は厳しく聞こえた。しかし、6人の弟子がそれぞれに“自分なり”の研鑽を積んできたからこそ、その中から浪曲界の今後を引っ張ってゆくような者もまた現れてきたことは間違いない。この師匠あったればこそなのだろう。
 さらに、その1週間後はミュージック・テイト西新宿で「奈々福のレアネタ」。お蔵入りしている演題を磨き直してみる企画で外題は「置手紙」。「浪花節更紗」同様の成長譚だがこちらは講釈師が主人公だ。4月中旬から怒濤のような口演をこなしてきた奈々福さんが、珍しく“弱音”を吐くほどの演目なのだが、いわゆる大ネタではない。小説としては、あっという間に読めてしまうような小品なのに、これを浪曲に仕立て直すと40分弱もかかる。しかも、カタルシスを呼ぶような場面も多くはないから、豊子師匠の多彩な節に乗りながら疾走するような勢いで語らざるを得ない。しかし、この作品には語り芸を受け継いできた人たちの心意気が感じられる。奔放な酒飲みでもあったという原作者が、こよなく愛する自分の好きな世界を残しておきたくて書いたものなのだろう。そういう強さが滲み出ている。是非続けて欲しい。
 もう一席は仲入りを挟まずに、猫繋がりとも言える「小田原の猫餅」。こうした佳品とも呼べる演目を、小さな場所で堪能できたることが何よりだった。やはりナマ声に勝るものはない。

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