野生のカタリ2019年03月31日 11:56

2ヶ月ぶりに西荻窪へ。忘日舎の「旅するカタリ」は、近代の呪縛を超えて生きてゆくいのちとしての“野生”がテーマ。“語り”二席の合間に、国学者平田篤胤の研究を経て日本各地の境界を訪ね歩いた谷川ゆにさんの話を聴く。
 姜信子さん曰く、“声のある場所”を結ぶつながりを企んでいくそうで、その名も「野生会議99」。99は白寿に掛けた白手(ペクス:韓国語)。配付資料によれば、解き放たれて、動いて、学んで、つながりあって、分かち合って生きてゆく、可能性に満ちた存在でありたいとのこと。大岡山と西荻窪を拠点に、既にいくつかの企画が動き出している。
 ここ数年、都内の様々なところで、こうした新しい“場”を作る動きが急速に広がっているように見える。先行きが読めない時代には大きな声に従うのではなく、手探りでもいいから何か小さなつながりを作っておくことがとても重要だと、このところずっと考えている。
 さて、“語り”の方は、前半が石牟礼道子『苦界浄土』(第二部「神々の村」第一章「葦舟」)より“ふゆじどん”の一節(“ふゆじどん”は熊本方言でものぐさ太郎のこと)。後半は宮澤賢治の未完の短編「サガレンと八月」。伝統的な祭文語りの三味線にはないイディッシュの調べも入れ、工夫を凝らした新しいカタリである。