奇想の“元”2019年03月22日 11:51

『奇想の系譜』を初めて知ったのはいつ頃だったろうか。山田芳裕の『へうげもの』に岩佐又兵衛が登場して、辻惟雄さんが文春新書を出した頃かも知れない。古書の文庫本を見つけて読んだのはそのずっと後だったが、伊藤若冲が取り沙汰されて展覧会の入場に5時間も並んだ人がいると聞いて驚いたことは今でも覚えている。観に行くことはなかったが、あれは一体何だったのだろう。
 過日、たまたま有効期限付きのタダ券が手に入ったので、東京都美術館で開かれている『奇想の系譜』展を観に行った。人混みがきらいなので躊躇もしたが、出不精の解消を兼ねて足を延ばすことにした。平日の昼前で行列に並ぶこともなく入場したら、会場内は少しだけ混んでいた。やはり若冲と簫白が人気だ。又兵衛の「山中常磐物語絵巻」“常磐殺し”にも多くの人が群がっている。頭越しに、その極彩色の片鱗を垣間見た。
 展示された本物を観るのは初めてだったが、本や映像で既に知っている作品もそれなりにあった。「江戸絵画ミラクルワールド」という副題はどこか特別なものという印象を与えるが、辻さんが取り上げた画家達は、そもそも前掲書でも触れられた「アヴァンギャルド」、すなわち「前衛」的な存在として捉えるべきものだろう。もちろん、その“奇想”の豊かさには驚かされるが…。
 人混みを避けるように回ったせいか、あまり時間もかからずに表へ出たが、いくつか気になったというか、面白いと感じた作品があった。いずれもパンフレットの表紙やテレビ番組で取り上げられることない佳品とも言えるもので、芦雪の「猿猴弄柿図」、又兵衛の「老子出関図」、白隠の「蛤蜊観音図」の三点だ。共通するのは、とらえどころのない顔である。いずれも少し“にやけた”風な顔であるものの決して下品ではない。猿を老子や観音と並べるのは不敬かもしれないが、これらの絵にはどこか画題とは直接関係のない、世の中へ向ける絵師の視線のようなものを感じる。いわば“奇想”の元だ。それは、もしかしたら『奇想の系譜』文庫本の表紙を飾った簫白の「雲龍図襖」の龍の顔が印象深いせいなのかもしれない。