子規の日本語2017年05月13日 17:49

 昨日、梅雨が明けたような暑さの中、半袖シャツに帽子という出で立ちで外に出た。神奈川近代文学館で開催している「正岡子規展」の招待券をもらったので、久しぶりに訪ねてみることにしたのだ。みなとの見える丘公園はバラを始めとした花盛りで平日でも多くの人が訪れていたが、大佛次郎記念館を横切るあたりからだんだん人が少なくなる。
 人目の少ない木陰を探し遅めの昼食を済ませていると、近所の日本人らしき母子が遊んでいるのが見えた。少女がシャボン玉を吹いている。そこにアフリカ系外国人の母娘が通りかかり、その娘らがシャボン玉を見て声を挙げた。初めて見たのだろうか。その興奮の度合いが関心の強さを示していた。一通りはしゃぎ終えた娘らは、まだ名残惜しそうにしていたが、二つの家族は会釈と挨拶を交わして別れた。周りが緑の多い公園のせいもあってか、子供の声がさわやかに響き、何だかとてもほのぼのとした時間だった。
 さて、文学館はいつもより少しだけ観覧客が多く入っているように見えた。生誕150年ということで今年は子規に関する様々な催しが開かれるらしいが、句会を楽しむ高齢者も増えているのかもしれない。
 子規と言えば、明治時代に日本の短詩を「写生」の発想から革新したことで有名だが、晩年の病床で作り続けた口述筆記による大量の随筆も、後に漱石の「猫」を始めとする大衆時代の新しい口語体を生み出す一つのきっかけになった。それは、たとえば今こうして、特別な才能の無い一市民でも文章らしきものが書けるようになるまで、日本人の言葉に対する感覚を育てたことにつながる。
 小説「坂の上の雲」の主人公は、軍人への道を進んだ秋山兄弟と作家となった子規だが、明治の国家主義の時代に政治家を目指しながらも志を果たせず文学の道へ進んだその姿は、もしかしたら日本という小さな国の“国民”を作ることに大きな力の一つになったのかもしれない。ただ、それは道半ばで終わり、上意下達に注力する教育の中に埋もれてしまったような気がする。
 「そもそも」には「基本的に」という意味もあるのだと、閣議決定しなければならないほどに劣化した日本語の用法を、子規は草葉の陰でどんなふうに感じているだろうか。