女性ならではの卒塔婆小町2019年10月24日 18:37

夕方の渋谷駅の雑踏を抜けて、ようやく人心地(ひとごこち)がついた。この街に足かけ37年弱も通い勤めていたことが、もう想像できない。人の波が少し退いたような国道246号線沿いの坂を少し登ると、現代的なビルの地下3階に能楽堂がある。そこへ、昨日久しぶりに足を運んだ。
 能に観阿弥作の『卒塔婆小町(そとばこまち)』という演目がある。三島由紀夫の近代能楽集にも翻案されたその作品が、劇団「mizhen」によって『小町花伝』という演劇に仕立てられたのがこの春のことで、能楽師安田登さんのツイッターに度々取り上げられていた。その演劇が能楽堂で上演されるという話があったので、数回の寺子屋ワークショップを経て、公演を観に行くことにした。
 能『卒塔婆小町』は、シテ方も六十歳を超えてから披(ひら)くような老女物の大曲で、歌人小野小町の老残の姿が現れる。旅の僧との宗教問答や、若い頃に慕われた“深草の少将”の憑依など、重々しい中にも変化に富んでいる。この演目に触発された演劇『小町花伝』は、それを四つの短編劇に翻案・展開して見せた。
 春の初演では「わかりにくい」という感想が多く寄せられたそうだ。小野小町といえば、百人一首の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」が有名で、実際、劇中にも「花の色は」という歌が出てくるが、そもそもの『卒塔婆小町』をある程度知った上でないと、座付き作者が拡げた想像の世界に観客の理解が届かなかったのは無理からぬことだったのだろう。
 そこで今回は、上演前に理解を助ける前説(まえせつ)と能『卒塔婆小町』の朗読があり、上演後には座談会を入れた。さらにその全てを能舞台で行うという大掛かりな仕掛けになっている。多彩なプロデュースに長けている安田さん率いる天籟(てんらい)の会ならではの企画といえよう。
 もちろん、朗読も一筋縄ではいかない。登場人物三人を語り分けることにして、シテ役小野小町が浪曲師玉川奈々福さんで現代語、ワキ方の僧を安田登さんが能の謡(うたい)で語り、ワキヅレ従僧を狂言方奥津健太郎さんが古語の詞章そのままに読むという工夫で演じられた。この語り分けは、今回の前説にも出ていた一つの理由があってのことではないかと思う。それは、『卒塔婆小町』にしても『近代能楽集』にしても、“男”の視点から描かれた小野小町像であるが、座付き作者の藤原佳奈さんが『小町花伝』に投影した小野小町は、何よりもまず“女”、いや無数の“女たち”であることと切り離しては考えられないからだ。女性の浪曲師である奈々福さんの語りがそれを見事に後押ししている。もちろん、“語り芸”として型から外れているのはいうまでもないが、能の中でもひときわ難解な宗教問答がリアリズムを持ち、二人の僧の違う“語り口”がユニゾンのように響き、深草の少将に憑依された小町が琵琶(塩高和之さん)の音に導かれて昔日を語る段は、この演出があってこその“新しい”劇表現になっている。
 長くなりそうなので、ひとまず筆を置いて、第二部の演劇については後日アップするつもり。