身を置いてこそ感じる場の声 ― 2018年08月07日 14:26
4日は朝から浅草に出かけて、そのまま帰宅せず、夕方から始まる西荻窪忘日舎での現代説経を聴きに行った。この風変わりな書店では2ヶ月ぶり2回目となる作家姜信子さんと祭文語り渡部八太夫さんの口演である。前回は姜さんの新著『現代説経集』の出版記念会を兼ねていたが、今回は石牟礼道子の『苦界浄土』にある「九龍権現さま」の一節と、姜さんが書き下ろした「百合若大臣異聞」の二席。
『苦界浄土』の中から繰り返し引用される「あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。」の爺さまが、その前節で孫の杢太郎少年へ掛けた言葉の数々が一幕の語りになっている。著者本人が“浄瑠璃のごときもの”と書いた通り、元々それは“歌”とも言えるような文章なのだが、こうして三味線の爪弾きに乗れば、“声”が生き生きと蘇ってくるように聞こえる。
「百合若大臣」は九州に多く伝わる伝説の一つ。蒙古の襲来に立ち向かい、帰国途上で家来に置き去りにされた主人公の復讐譚である。この「異聞」では「船を踏む」という暗示のような言葉が、“正義の旗”を掲げる無数の船のようなフナムシを踏みつぶし島から脱出する伝手を失った百合若の末路を語り伝えているように見える。その一方で「私を探さないで下さい」と赤い血で便りを書き続ける主人公の“声”がいつまでも耳に残る不思議な物語だった。
いずれにしても、その空間に身を置かなければ伝わってこないような“語り”というものの怪しい魅力が感じられて、また聴きに行かなければと思うのだ。耳から入れる麻薬なのかもしれない。
『苦界浄土』の中から繰り返し引用される「あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。」の爺さまが、その前節で孫の杢太郎少年へ掛けた言葉の数々が一幕の語りになっている。著者本人が“浄瑠璃のごときもの”と書いた通り、元々それは“歌”とも言えるような文章なのだが、こうして三味線の爪弾きに乗れば、“声”が生き生きと蘇ってくるように聞こえる。
「百合若大臣」は九州に多く伝わる伝説の一つ。蒙古の襲来に立ち向かい、帰国途上で家来に置き去りにされた主人公の復讐譚である。この「異聞」では「船を踏む」という暗示のような言葉が、“正義の旗”を掲げる無数の船のようなフナムシを踏みつぶし島から脱出する伝手を失った百合若の末路を語り伝えているように見える。その一方で「私を探さないで下さい」と赤い血で便りを書き続ける主人公の“声”がいつまでも耳に残る不思議な物語だった。
いずれにしても、その空間に身を置かなければ伝わってこないような“語り”というものの怪しい魅力が感じられて、また聴きに行かなければと思うのだ。耳から入れる麻薬なのかもしれない。