読書の異様な傾向 ― 2020年03月13日 09:12

私の小説体験は、若い頃こそ乱読に明け暮れていたが、30代からは様々なジャンルで特定の著者やシリーズ物を追い掛けてきた。たとえば、“ユートピア”なら井上ひさし、“冒険”なら船戸与一・景山民夫・佐々木譲、“歴史”なら隆慶一郎・池宮彰一郞、“刑事”なら横山秀夫・大沢在昌「新宿鮫」、“探偵”なら京極夏彦「京極堂」・東直巳「ススキノ探偵」あたりだろうか。他にも村上春樹の短編や宮部みゆきの時代小説が好きだった。今でも読み続けている代表格は“ハードボイルド”の原尞と“歴史”の飯嶋和一あたりになる。もちろん、他にもたくさん摘まみ食いはするのだが、上に挙げたような例は長く続いたものであり、それこそ作者が亡くなって物理的に読めなくなった場合も多い。つまり、作品を選ぶにあたっては極めて“保守的”である。
普段、書評はほとんど読まない。ランキングや文学賞にも全く関心がない。逆に皆が読んでいる物を避ける傾向さえある。典型的な天邪鬼(あまのじゃく)といっていいだろう。だから、今でも本屋で出会う楽しみを大事にしているが、このところ知人のすすめる本を選ぶことが少しずつ増えている。新しいモノを探し出す気力が落ちているのかもしれないが、それ以上に、この7年間で急速に変わったことがある。それは小説以外の乱読の中で、社会的なルポや評論の比重が異様に高くなったことだ。“対米従属”の夢を見続けている間は、フィクションの世界に遊んでばかりいる余裕があった。しかし、この怠惰な人間でさえ国会前まで二度も足を運ばなければならないと思うほど、現政権の為政に対して発せられる“身体”からの異議に根拠を求めなければいられなくなっていたような気がする。
昨日、衆院本会議で「緊急事態宣言」の発令を含む新型インフルエンザ等対策特別措置法“改正”案が共産党を除く与野党の賛成多数で可決した。ダイヤモンド・プリンセスの船内隔離に失敗し、最初の感染検査陰性判定後も、下船するまでの感染リスクを管理できないまま公共交通機関での帰宅を促したことから始まり、後手後手はおろか、日本中を混乱に陥れている“時”の為政者に、「私権の制限」を加えることができる“全権委任”を与える法律を認めるという。あわてて作り上げた法案を担当する国務大臣が、わざわざ「“伝家”の宝刀として使わずに済むよう」と述べたそうだ。それこそ開いた口が塞がらない“緊急事態”ではあるが、明らかな人災を自然災害のように捉えるこの“国風”に逆らうだけの気力は私にはもうあまり残っていない。
過日、東京を案内した韓国の大学生にハングルでメールを送ったところ、とても丁寧な日本語で、引き続き日本語の勉強を続け、卒業したら日本に留学したい旨の返信があった。日本の伝統的な文化の基層には朝鮮半島から伝わった物も多く、その中には今の韓国には無いものがある。多くの日本人が目を背けているこのことを最もうまく探し当てることができるのは韓国からの留学生だと私は考えている。この先どうなるかはわからないが、彼女が留学する前に、少しでもまともな為政者に変わっていることを望むばかりである。
ということで、しばしフィクションの世界に遊ぼう。極めて“保守的”に…。
普段、書評はほとんど読まない。ランキングや文学賞にも全く関心がない。逆に皆が読んでいる物を避ける傾向さえある。典型的な天邪鬼(あまのじゃく)といっていいだろう。だから、今でも本屋で出会う楽しみを大事にしているが、このところ知人のすすめる本を選ぶことが少しずつ増えている。新しいモノを探し出す気力が落ちているのかもしれないが、それ以上に、この7年間で急速に変わったことがある。それは小説以外の乱読の中で、社会的なルポや評論の比重が異様に高くなったことだ。“対米従属”の夢を見続けている間は、フィクションの世界に遊んでばかりいる余裕があった。しかし、この怠惰な人間でさえ国会前まで二度も足を運ばなければならないと思うほど、現政権の為政に対して発せられる“身体”からの異議に根拠を求めなければいられなくなっていたような気がする。
昨日、衆院本会議で「緊急事態宣言」の発令を含む新型インフルエンザ等対策特別措置法“改正”案が共産党を除く与野党の賛成多数で可決した。ダイヤモンド・プリンセスの船内隔離に失敗し、最初の感染検査陰性判定後も、下船するまでの感染リスクを管理できないまま公共交通機関での帰宅を促したことから始まり、後手後手はおろか、日本中を混乱に陥れている“時”の為政者に、「私権の制限」を加えることができる“全権委任”を与える法律を認めるという。あわてて作り上げた法案を担当する国務大臣が、わざわざ「“伝家”の宝刀として使わずに済むよう」と述べたそうだ。それこそ開いた口が塞がらない“緊急事態”ではあるが、明らかな人災を自然災害のように捉えるこの“国風”に逆らうだけの気力は私にはもうあまり残っていない。
過日、東京を案内した韓国の大学生にハングルでメールを送ったところ、とても丁寧な日本語で、引き続き日本語の勉強を続け、卒業したら日本に留学したい旨の返信があった。日本の伝統的な文化の基層には朝鮮半島から伝わった物も多く、その中には今の韓国には無いものがある。多くの日本人が目を背けているこのことを最もうまく探し当てることができるのは韓国からの留学生だと私は考えている。この先どうなるかはわからないが、彼女が留学する前に、少しでもまともな為政者に変わっていることを望むばかりである。
ということで、しばしフィクションの世界に遊ぼう。極めて“保守的”に…。
“会見”に潰される報道特集 ― 2020年03月15日 09:13
いくつかのTLを眺めまわしても、あまり指摘されていないようだけれど、このところ続けて開かれている土曜日17時40分頃の安倍首相“会見”は、“政府広報”ニュースの特別枠と重なっていると同時に、私が録画しているTBS『報道特集』の放送時間とも重なっている。そのために、この調査報道を中心とする優れて現場主義を貫く報道番組の貴重な「特集」がその度に潰れている。とても残念であると同時に、何やら仕掛けられているような気がしてならない。政府の見解が、単なる不信を超えて、意図的に煽動するものになっているのではないかと疑うクセが付いている。
さすがにマスメディアではそこまで踏み込むようなことはないが、当番組の金平キャスターは番組の締めのコメントの中でこう言った。「手を挙げても一向に当ててもらえないんで、まぁ放送のために(外へ)出てきたんですが、内容について言うとですね。正直言って新味はありません。首相の記者会見というのが、率直な感想ですけれど、何かこう“やってる感”の演出のために使われている道具のような機能を果たしてしまっているんじゃないかというような思いを強くしました」
ちなみに、生中継の国会記者開館前からは抗議の叫び声が挙がっているのがよく聞こえた。予定通りの“質問劇”終了後、すみやかに中継をやめた番組からは決して伝わらない情報の一つである。
さすがにマスメディアではそこまで踏み込むようなことはないが、当番組の金平キャスターは番組の締めのコメントの中でこう言った。「手を挙げても一向に当ててもらえないんで、まぁ放送のために(外へ)出てきたんですが、内容について言うとですね。正直言って新味はありません。首相の記者会見というのが、率直な感想ですけれど、何かこう“やってる感”の演出のために使われている道具のような機能を果たしてしまっているんじゃないかというような思いを強くしました」
ちなみに、生中継の国会記者開館前からは抗議の叫び声が挙がっているのがよく聞こえた。予定通りの“質問劇”終了後、すみやかに中継をやめた番組からは決して伝わらない情報の一つである。
裁判で終わらない差別 ― 2020年03月21日 09:15
この数日、長い物語を追いかけながらも、一休みするたびに時々刻々の話題に触れることがあった。
これもその一つ。過日、相模原「やまゆり園」殺傷事件の地裁判決が出た。量刑は大方の予想通り死刑だった。事前の取材報告を期待していたTBS「報道特集」の取り組みは“会見劇”で飛んでしまったが、日テレのNNNドキュメント'20でも前日深夜の放送で取り上げていた。北日本放送の制作で、富山市に住む八木勝自さんという重度障害者が植松被告と手紙を交換し接見までしていたという。八木さんと植松との30分の短い対話はお互いに激情することもなく、しかし、その考えは平行線をたどったまま終わったようだ。
裁判の最終陳述で、植松はこう主張したという。『この裁判の 本当の争点は 自分が意思疎通とれないことを 考えることだ』。番組はこの主張へのネット上での共感の声を紹介した後、八木さんの言葉を続けている。
《でも》『このままで終わっていいのかなと思う。それは植松(被告)が死刑になっても《何回も言うけれど》この事件は終わらないし、かえって死刑になることで(差別を)助長するような社会的雰囲気があって、それが怖くて』 (注:『 』内は字幕、《 》内は字幕には出なかった言葉)
この言葉を受けて、ナレーションは「人間の価値ってなんだ。八木さんの問いかけは私たちにも向けられています」と結んだが、《でも》そして《何回も言うけれど》という字幕にならなかった二つの声に重なって、八木さんの“深刻”さがまじまじと迫ってくるように感じられた。
これもその一つ。過日、相模原「やまゆり園」殺傷事件の地裁判決が出た。量刑は大方の予想通り死刑だった。事前の取材報告を期待していたTBS「報道特集」の取り組みは“会見劇”で飛んでしまったが、日テレのNNNドキュメント'20でも前日深夜の放送で取り上げていた。北日本放送の制作で、富山市に住む八木勝自さんという重度障害者が植松被告と手紙を交換し接見までしていたという。八木さんと植松との30分の短い対話はお互いに激情することもなく、しかし、その考えは平行線をたどったまま終わったようだ。
裁判の最終陳述で、植松はこう主張したという。『この裁判の 本当の争点は 自分が意思疎通とれないことを 考えることだ』。番組はこの主張へのネット上での共感の声を紹介した後、八木さんの言葉を続けている。
《でも》『このままで終わっていいのかなと思う。それは植松(被告)が死刑になっても《何回も言うけれど》この事件は終わらないし、かえって死刑になることで(差別を)助長するような社会的雰囲気があって、それが怖くて』 (注:『 』内は字幕、《 》内は字幕には出なかった言葉)
この言葉を受けて、ナレーションは「人間の価値ってなんだ。八木さんの問いかけは私たちにも向けられています」と結んだが、《でも》そして《何回も言うけれど》という字幕にならなかった二つの声に重なって、八木さんの“深刻”さがまじまじと迫ってくるように感じられた。
見事な調査報道 ― 2020年03月23日 09:19

一昨日の「報道特集」で前回放送できなかった「やまゆり園」殺傷事件の取材報告が取り上げられた。「やまゆり園事件が問うもの」と題して、地裁判決直後の被害者遺族の感想、障害者を家族に持つ最首悟氏の会見、障害者の立場から「れいわ新選組」木村英子議員のインタビューのほか、植松被告と手紙をやりとりしていた金平キャスターの3回目となる接見での対話なども詳しく紹介された。期待以上の素晴らしい内容だったのでメモにした。
再放送は無いので、いくつか印象に残った言葉を紹介したい。
最首悟氏 「(被害者の)匿名こそが大きな問題(中略)。名前を明かしたら終わりだという気持ちは生々しくある。それを受け止めて改善するか--あるいはそのままにするかは社会の側にある」
大学時代の同級生 「(植松は)大学3年生の頃から自分を大きく見せるような性格の人に変わってしまった」
記者への植松の返信 「人を殺してはいけない。それは当然。人とは何か考えれば--私が殺したのは人ではありません」
「れいわ新選組」木村英子議員 「事件を聞いたときに私だったかもしれないという恐怖があった。(中略)とうとう起きちゃったんだなという感じ。人間の本質を彼が示している気がしてならない。(中略)誰にでもある感情。誰の心にでも潜んでいるものだと思う。育てるのが精いっぱいで一家心中をしてしまう人もいる。(中略)殺してしまわなければ生きていけない状況を抱えている人はたくさんいると思う」(植松の「意思疎通できない人を選んで殺害」したことに対して)「職員に聞いてしゃべれませんと言ったら刺したと。なんかもう冷静ですよね。悪を成敗している気持ちでやっている--(中略)罪悪感を持ってはいないので、エスカレートしていけば、だんだんああいうふうに」
さらに、今回の接見の一部を字幕から拾った。
K(金平)「あなたが殺傷した人 その家族たちに今言いたいことは?」
U(植松)「申し訳ないんですけれども仕方がない。社会にとっては殺すしかない。文句を言われている方(家族)は精神が病的。障害者の家族は“平気でうそをつく”“話が通じない”“突然泣き出す”“大声で叫ぶ”の4つ」(中略)
K「英雄になりたいという思いはあったんでしょう?」
U「うーん… それは、別に悪い思想ではないと思いますけど」
K「トランプ大統領を崇拝しているのはなぜか?」
U「かっこいいからです」
K「どういうこと?」
U「生き方がかっこいいです。トランプ大統領には世界を幸せにしてほしいし、安倍首相には貧乏人を幸せにしてほしいと思います。かっこ良ければすべてが手に入る」
K「かっこいいとは例えばどういうことですか?」
U「ジャスティン・ビーバーとか大谷翔平とか。かっこいいから全てが手に入っている」(中略)
K「弁護人は控訴するでしょう」
U「取り下げます。(中略)(事件の)問題は僕の中では終わりました。問題の答えは僕の中で出ているので…」
K「それは極刑になって終結する?」
U「え…それは…」
K「ヒーロー・英雄で終わりたいということ?」
U「それ、いやなんですけど…。僕は死にたくない。死にたくないんです。死にたくないんだけど、人の命を決めるというのはそういうこと」
「津久井やまゆり園」の件は、これまでFacebookで4回ぐらい触れている。どうしてこんなに気になるのだろうか。繰り返し思うのは、やはり植松被告が何ら特別な人間ではないということに尽きるかもしれない。45人殺傷という大量殺人事件の実行犯ではあるが、「(接見者に)礼儀正しく頭を下げ」(番組ナレーションから)、一方では「自分の犯行を正当化し、遺族らを中傷する持論を続ける」(同上)態度は、精神が統合している“ごく普通”の人間であることを良く示している。特集のまとめで膳場さんの「実際に植松被告に会ってみてどんな人でしたか?」という問いかけに金平さんはこう答えた。「たった3回しか接見していませんし、手紙の遣り取りはしてましたけれど、敢えて言えばですね。どこにでもいる青年ですね。コミュニケーション能力もあるし、それから、最後まで犯行を正当化していたその主張を聞いていると、幼くて短絡的です」
そして、最後にこう締めくくった。「生きていてもいい人間と生きていてはいけない人間を選別する思想、“生産性”とか“効率の悪い”人間は消去しても良いという優生思想的な価値観が私たちの社会の隅々に染み付いているんじゃないかということを、裁判を見ながら考えました。そこを見たくないんだ、裁判がね。植松被告の言動からは私たちの社会のある種“本音”みたいな、自分は正義を実践しているんだみたいな。僕はそういう考え方を絶対肯定しませんけれど、僕らの社会はそういうあり方みたいな価値観が染み付いているということに向き合うことを忘れちゃいけないと思いました」
再放送は無いので、いくつか印象に残った言葉を紹介したい。
最首悟氏 「(被害者の)匿名こそが大きな問題(中略)。名前を明かしたら終わりだという気持ちは生々しくある。それを受け止めて改善するか--あるいはそのままにするかは社会の側にある」
大学時代の同級生 「(植松は)大学3年生の頃から自分を大きく見せるような性格の人に変わってしまった」
記者への植松の返信 「人を殺してはいけない。それは当然。人とは何か考えれば--私が殺したのは人ではありません」
「れいわ新選組」木村英子議員 「事件を聞いたときに私だったかもしれないという恐怖があった。(中略)とうとう起きちゃったんだなという感じ。人間の本質を彼が示している気がしてならない。(中略)誰にでもある感情。誰の心にでも潜んでいるものだと思う。育てるのが精いっぱいで一家心中をしてしまう人もいる。(中略)殺してしまわなければ生きていけない状況を抱えている人はたくさんいると思う」(植松の「意思疎通できない人を選んで殺害」したことに対して)「職員に聞いてしゃべれませんと言ったら刺したと。なんかもう冷静ですよね。悪を成敗している気持ちでやっている--(中略)罪悪感を持ってはいないので、エスカレートしていけば、だんだんああいうふうに」
さらに、今回の接見の一部を字幕から拾った。
K(金平)「あなたが殺傷した人 その家族たちに今言いたいことは?」
U(植松)「申し訳ないんですけれども仕方がない。社会にとっては殺すしかない。文句を言われている方(家族)は精神が病的。障害者の家族は“平気でうそをつく”“話が通じない”“突然泣き出す”“大声で叫ぶ”の4つ」(中略)
K「英雄になりたいという思いはあったんでしょう?」
U「うーん… それは、別に悪い思想ではないと思いますけど」
K「トランプ大統領を崇拝しているのはなぜか?」
U「かっこいいからです」
K「どういうこと?」
U「生き方がかっこいいです。トランプ大統領には世界を幸せにしてほしいし、安倍首相には貧乏人を幸せにしてほしいと思います。かっこ良ければすべてが手に入る」
K「かっこいいとは例えばどういうことですか?」
U「ジャスティン・ビーバーとか大谷翔平とか。かっこいいから全てが手に入っている」(中略)
K「弁護人は控訴するでしょう」
U「取り下げます。(中略)(事件の)問題は僕の中では終わりました。問題の答えは僕の中で出ているので…」
K「それは極刑になって終結する?」
U「え…それは…」
K「ヒーロー・英雄で終わりたいということ?」
U「それ、いやなんですけど…。僕は死にたくない。死にたくないんです。死にたくないんだけど、人の命を決めるというのはそういうこと」
「津久井やまゆり園」の件は、これまでFacebookで4回ぐらい触れている。どうしてこんなに気になるのだろうか。繰り返し思うのは、やはり植松被告が何ら特別な人間ではないということに尽きるかもしれない。45人殺傷という大量殺人事件の実行犯ではあるが、「(接見者に)礼儀正しく頭を下げ」(番組ナレーションから)、一方では「自分の犯行を正当化し、遺族らを中傷する持論を続ける」(同上)態度は、精神が統合している“ごく普通”の人間であることを良く示している。特集のまとめで膳場さんの「実際に植松被告に会ってみてどんな人でしたか?」という問いかけに金平さんはこう答えた。「たった3回しか接見していませんし、手紙の遣り取りはしてましたけれど、敢えて言えばですね。どこにでもいる青年ですね。コミュニケーション能力もあるし、それから、最後まで犯行を正当化していたその主張を聞いていると、幼くて短絡的です」
そして、最後にこう締めくくった。「生きていてもいい人間と生きていてはいけない人間を選別する思想、“生産性”とか“効率の悪い”人間は消去しても良いという優生思想的な価値観が私たちの社会の隅々に染み付いているんじゃないかということを、裁判を見ながら考えました。そこを見たくないんだ、裁判がね。植松被告の言動からは私たちの社会のある種“本音”みたいな、自分は正義を実践しているんだみたいな。僕はそういう考え方を絶対肯定しませんけれど、僕らの社会はそういうあり方みたいな価値観が染み付いているということに向き合うことを忘れちゃいけないと思いました」
コロナ禍中のOnePiece ― 2020年03月26日 10:29
先週から今週にかけてWebで60巻まで無料公開されている漫画『ONE PIECE』を読んでいた。公開されていることを知らなければ、これから先も読むことはなかったかもしれないこの長い物語が、ギネスブックに載るほど膨大な部数を発行し、日本はもちろん海外でも今なお高い人気を保ち続けていることに、何の関心も持たないままだっただろう。この、一言で云えば“自由”を求める冒険を続けながら仲間をつないでいく“海賊団”の物語に…。
“ONE PIECE”であって“a piece”ではない。ジグソーパズルのような一片であっても、単なる断片ではない。バブル経済が崩壊し企業倒産が進んだ1990年代後半に連載を開始した漫画は、そもそも同調圧力の強いこの国のさらに閉塞した状況に対して、声が挙げられなかった若者たちの代弁者のようなモノだったのだろうか。
成長の物語を共にする仲間たちのキャラクター造形は一見とてもシンプルだが、次々に出てくる海賊・軍人・動物の多種多様な名前・特徴・能力などはとても覚えきれないし、それぞれの関係についても読んでいて時々わからなくなる。併せて、あまりに饒舌な台詞が多いので、読み進めていくのが辛かった。無料の60巻までという制限が無かったら途中で投げ出していたかもしれない。
もちろん、ゲームを含むメディア展開を前提とした時代の連載漫画がそのような仕組み・仕掛けを作ることは良く知っているつもりだ。それでも、所々に表れる“メッセージ”がこの物語を成立させている何か不思議な“突き抜け感”みたいなものと呼応していることだけは良く分かった。そこに見られるのは「世界政府」が掲げる“正義”とは明らかに違う“義”だ。そう言えば、あの『水滸伝』にも“義”を重んじる豪傑があふれていた。そこで少し気になるのは、長い長い連載に反して(?)主人公を含む仲間たちが楽しみながらも刹那的に生きているように思えるところである。今も「ひと(人?)つなぎの大秘宝」を探す旅は続いているようで、海賊たちに宿命づけられたその先は一体どうなるのかわからないが、これは誰かに語り伝えられる物語であることだけは確かだ。そう思う。
“ONE PIECE”であって“a piece”ではない。ジグソーパズルのような一片であっても、単なる断片ではない。バブル経済が崩壊し企業倒産が進んだ1990年代後半に連載を開始した漫画は、そもそも同調圧力の強いこの国のさらに閉塞した状況に対して、声が挙げられなかった若者たちの代弁者のようなモノだったのだろうか。
成長の物語を共にする仲間たちのキャラクター造形は一見とてもシンプルだが、次々に出てくる海賊・軍人・動物の多種多様な名前・特徴・能力などはとても覚えきれないし、それぞれの関係についても読んでいて時々わからなくなる。併せて、あまりに饒舌な台詞が多いので、読み進めていくのが辛かった。無料の60巻までという制限が無かったら途中で投げ出していたかもしれない。
もちろん、ゲームを含むメディア展開を前提とした時代の連載漫画がそのような仕組み・仕掛けを作ることは良く知っているつもりだ。それでも、所々に表れる“メッセージ”がこの物語を成立させている何か不思議な“突き抜け感”みたいなものと呼応していることだけは良く分かった。そこに見られるのは「世界政府」が掲げる“正義”とは明らかに違う“義”だ。そう言えば、あの『水滸伝』にも“義”を重んじる豪傑があふれていた。そこで少し気になるのは、長い長い連載に反して(?)主人公を含む仲間たちが楽しみながらも刹那的に生きているように思えるところである。今も「ひと(人?)つなぎの大秘宝」を探す旅は続いているようで、海賊たちに宿命づけられたその先は一体どうなるのかわからないが、これは誰かに語り伝えられる物語であることだけは確かだ。そう思う。