言霊に聴く真贋2019年11月27日 18:52

三日前、久しぶりに国立(くにたち)へ向かった。恒例になっている「ギャラリービブリオ」での「よみがえる説経祭文」シリーズが何と最終回を迎えてしまった。鈍い私は、口演が終わった翌日にそのことを知って愕然としている。ちょっと“いかがわしく”て、それでいて胸に“染みる”ような語り芸が聴けなくなるのはとても寂しい。
 「説経祭文」を初めて聴いたのは、もう3年近く前のことだ。馬喰町のArt+Eatという今は閉廊してしまったアートスペースで、前年度の新潟日報に連載された『平成山椒大夫 さまよい安寿』の原画展が開かれた。その会場で、正史のごとく語られる鴎外の『山椒大夫』とは違う、地方に伝えられ様々に形を変えた『安寿と厨子王』の物語の一端を“生声”で聴くことができた。
 その後「説経祭文」は国立の古民家ギャラリーに場所を得て、“よみがえった”芸能の口演を細々と続けてきた。20数人も入れば満席となる小さな部屋が、その場限りの“瞽女(ごぜ)宿”と化す。いや、少し違う所は、霊験(れいげん)あらたかな山伏の祝詞(のりと)が唱えられるところだろうか。江戸の寄席(よせ)に生まれ、形を変えて多摩に伝わった説経祭文が蘇(よみがえ)る意義は大きい。それは巷(ちまた)の人々に深く受け入れられるようになった日本の伝統的な“口説(くど)き”の源流をそこに聴き取るからかもしれない。
 一昨年から始まったシリーズは7回を数えた。前回だけ所用があって行くことができず、残念ながら“皆勤”にはならなかったが、デロレン祭文は吉祥寺でたっぷり聴いたし、“小栗の鬼鹿毛”は亀戸でしっかり聴いたから、その復活の現場にほとんど立ち会ってきたと言っても過言ではないだろう。それを受けて考えたことの一つは、こうした芸能の源流を直接耳にしたきた民人(たみびと)は、コトバに含まれる“言霊(ことだま)”や、それが持つ“重み”というものについて、現代人より遙かに優れた直感で判断することができたのではないかということだ。メディアリテラシーやらオレオレ詐欺などという概念が生まれるよりもずっと前から、耳で聴いた“声”の真贋(しんがん)をその経験から見極めることができたにちがいない。そんな気がする。
 さて、肝心の口演だが、前半は新内節の太夫が名古屋へ持ち帰って広めたという“源氏説経”を基にした「小栗判官照手姫 貞女鏡実道記」より「本陣入小萩説話の段」。名古屋では人形遣いの芝居になっているとのこと。美濃青墓で“水仕”をしていた小萩(照手姫)が、小栗の供養にと餓鬼阿弥(がきあみ)の車を引くために申し出た三日の休みの代わりとして、殿様の宴の酌に出ることになる。主の長右衛門が命じて、店の女達が鶯の糞(化粧品)を入れた布袋で小萩の身体を隅から隅まで洗うという“艶笑譚”(えんしょうたん)で終わる話。涙を誘う“口説き”だけではなく、面白可笑しく脚色したお座敷芸のような雰囲気があった。
 後半はYO-ENさんという大阪の唄い手と八太夫さんのコラボ。民謡「磯節」、姜信子さんの『声 千年先に届くほどに』から「母を想えば」、演歌「瞽女の恋歌」、YO-ENさんオリジナル「流星花」という多彩な4曲。何でもござれの“瞽女宿”に相応しいライブだった。このセッションが生まれるきっかけとなった『越後の瞽女唄』なるレコードのパンフレットには、懐かしいあの斎藤真一の瞽女が描かれていた。