浪曲なないろ2018年09月17日 13:42

 一昨日、午前中に武蔵小杉で元留学生の日本語レッスンを終え、久しぶりに亀戸へ向かった。軽い昼食を済ませ、会場のカメリアホールに向かうと、駅前ロータリーに面した公園にある親子亀の銅像から水が吹き出ている。直近で祭礼があるのかあったのかは知らないが、地元町内の氏子の神輿も飾ってあった。気温もようやく秋らしい風情に追いついてきたというところだろうか。
 昨年「語り芸パースペクティブ」と題して様々な語り芸の来し方を探ってみる取り組みを一年間続けた奈々福さんが、今度は他の様々な芸能ジャンルと交わってみようという新しい会を立ち上げた第1回の公演を聴きに、そして観に行った。能楽師安田登さんの企画上演『イナンナの冥界下り』でも共演してきた人形師の百鬼ゆめひなさんをゲストに迎え「傀儡師と奈々福」と題している。残念ながら口上書きは配られなかったが、コラボレーションと簡単にまとめることができない化学変化(チラシの言葉)が起きていたことは間違いない。自身で創った翻案作の中から「椿太夫の恋」が選ばれて上演された。
 前半は前読みの後、奈々福さんの浪曲「亀甲縞の由来」が演じられたが、開口一番のマクラの中で面白い話を聴いた。大衆演劇の役者が演じる無言の芝居に浪曲を組み合わせた節劇(ふしげき)という口演形式が戦後まもない頃にはあったという。そして何と、九州出身の豊子師匠の父親はその節劇専門の浪曲師だったという。この日、後半で演じられた「椿太夫の恋」はいわば現代の節劇とも言えるものなのだ。
 さて、「亀甲縞の由来」を聴くのは二度目だが、藤堂藩の苦境を救った二代目市川團十郎の義侠が、玉川の家の十八番「天保水滸伝」にも繋がるような、人と人を信頼で結び付ける心意気から出るあたり、本当に見事なもので、終演後、初めてのDVDにサインをもらいながら「奈々福さんは心意気のメディア」などとわけのわからないエールを送ってしまった。
 後半は人形師百鬼ゆめひなさんのオリジナルと、先述の「椿太夫の恋」。題にもある“傀儡(くぐつ)”は、音読みならカイライ。本来思いのままに操られる対象であるはずのものが、操る黒子が頭巾を脱いだ時から、傀儡に迫られる相手ともなって、互いに絡み合いながら演じられていく。浪曲の節と啖呵に合わせた“節劇”の一方、無言の躍りに合わせる豊子師匠の即興演奏は“浪曲”の枠を揺さぶるような手探りも感じさせた。明らかな相乗効果が会場を包んでいた。奈々福さんの浪曲を聴いてまだ2年3ヶ月しか経っていないのだが、その間、大きな変化の過程に立ち会っているように、あらためて思えた一幕だった。