何かにつながるために逃げる?2017年01月02日 22:07


 この数ヶ月小用があって、毎週水曜日は東新宿の近くまで電車で通っているのだが、乗り換えなしに自宅の最寄り駅へ帰ることができ、とても助かっている。乗ってしまえば、もう帰宅したような気分になることもままある。カバンに入れた新書本がその間の時間を埋めてくれるせいだろうか。

 副都心線東新宿駅は急行(私鉄区間はFライナーと呼ぶ特急)の追い越しがあるので、比較的停車時間が長い。先日も通過を待っている電車に乗り込んだら、次のような車内アナウンスがあった。「急行電車の通過待ちにご協力いただきありがとうございました」。長いと言っても数分のことで個人的には全く痛痒を感じないし、ましてや“協力”したつもりもないので、少し驚きながらも何となく違和感を感じた。

 留学生の日本語学習を支援するボランティアを始めてから、言葉への意識が強くなっている。やや過剰とも言える“弁解する公的メッセージ”の蔓延に、彼らはどのように対しているのかを気にすることが多くなった。そうしたこともあって、不思議なタイトルで注目を浴びそうなドラマについても、その概要を知っておいた方が良いかという程度の関心で試しに見始めたのだが、思いがけず時代を象徴する内容で驚いた。『逃げるは恥だが役に立つ』、海野つなみ(?!)のマンガを原作とした連続ドラマだ。エンディングの“恋ダンス”もいつぞやの「恋する…」に匹敵するほど広がっているらしい。

 ただ、昨年末に最終回を迎えた後、留学生からSMAPロスの話は出たが、“逃げ恥”について感想を聞かれることは無かった。相前後して就活に追われていた彼らにとってみれば、それどころの話では無かったのかもしれない。しかし、このドラマに描かれた現代日本の特徴には、私自身とても興味を覚えた。原作にもある「誰かに必要とされる」ことへの息苦しいほどの欲望を、見透かされないように小出しにしたり、「小賢しい」と呼ばれないための“女性”の立ち位置を考えてみたり、繰り返し出て来るテレビ番組をなぞる妄想はメディアを相対化するリテラシーを示しているようだった。したたかな表現で、この時代を映していると感じた。

 タイトルの元になったハンガリーの諺が、東西の迫間で揺れ動いた彼の国の過酷な歴史から生まれた言葉だったにしても、煩悶しながら先を考えようとすることが、今のこの国をとても象徴しているように思えた。予定調和のような最終回にやや不満は残るものの、視聴者を惹きつけた力は本物だった。それにしても、マンガ初回の副題が「秋の日はつるべ落とし」だったとは…。全国の日本語教師、ボランティアにはなかなか悩ましい作品ではある。