唸る本!2021年01月08日 18:48

ちょうど一年前、渋谷のユーロライブで浪曲『寛永三馬術 愛宕山梅花の誉』を聴いた。徳川家三代将軍家光が、愛宕山上に咲く梅の花を取ってくるよう並み居る武士たちに命じる。幾人もが、130の石段を馬で駆け登ってはみるものの、途中まで行っては次々に失敗し怪我を負う。これは仕方がないとあきらめかけたその時、一人の武士が進み出で、痩せ馬を見事に乗りこなして登り切ったという話である。
 その翌月、日韓文化交流基金が募集した韓国青年訪日団の参加学生3人をその芝愛宕山へ案内した。彼女らが宿泊した東京プリンスホテルは昔の増上寺北方馬場にあたり、菩提寺に参詣を済ませた将軍が江戸城へ帰る道すがらに愛宕神社はある。その境内に植えられた由来の「将軍梅」の前で、FM放送から録音しておいた浪曲『梅花の誉』の一節を聴いてもらった。玉川奈々福さんと沢村豊子師匠による浪花節の口演である。
 以来ずっと“生”の浪曲を聴いていない。興行自体の感染防止対策には信を置くが、行き帰りの混雑した電車に乗るのがいやで、ずっと聴かずにここまで来てしまった。ようするに臆病なのである。浪曲に出てくる主人公たちの気風(きっぷ)の良さに気後れする。
 その浪花節を題材に、演者その人が本を書いた。『浪花節で生きてみる!』玉川奈々福著(さくら舎)である。「浪花節のココロ」と題した第一章はイマドキの基準とかけ離れた人たちののびやかな世界に流れる価値観を説く。二章で「奈々福」名披露目(なびろめ)までの来し方、三章で師匠との死別、五章でその後から行く末までを書く。四章では言い尽くせぬ先達たちの話を残し、付録の章でこの芸能の歴史を語る。
 読んでいて亡き小沢昭一さんの滋味溢れるラジオでの語り口を思い出し、流れるような“啖呵”に思わず拍手をしてしまいそうになる。ところどころに涙を誘われるような語りも出てきて、これはもう、浪曲そのものではないかと感じた。
 以前Facebookに書き、奈々福さんにもメールで送った文章にこう書いた。少し長いが引用する。
 「“涙”より“笑い”が好まれる現象については思うところがある。そもそも“笑い”が存在するのは、自他を対象化した時に起きる感情の格差による。優越感であったり、時に卑下からくる自嘲が元で人は笑う。それは、自分を取り巻く“まわり”があってこそで、その感情を習得する生まれてこの方の環境が必要だ。その環境に“笑い”の生まれる“ズレ”が生じるのは、“ズレ”ていない状態つまり「常識」や「因習」など何らかの精神的な規制があるからだろう。現代人はそれを自ら進んで習得しているような気がする。強制的ではないにもかかわらず、繰り返し浴びる情報の洪水による精神的な規制の中で、ほんのわずかな“ズレ”に対し、生理的な効果も望めない脊髄反射のような“笑い”を求めて止まない身体性を持つようになってしまった。一方で“涙”には“ズレ”ではなく“同調”が必要なのだ。“同調”はリズムによって生じる。それは、太鼓であれ三味線であれ、身体が十分に反応するだけの長さがなければならない。その長さを確保する余裕が日常生活の中から消えてしまったのではないだろうか。」
 帯の文中にもある言葉。「(浪曲は)涙の芸能。社会の中では比較的下層の人々の、悲しい、痛い、切ない、寒いという、負の感情に寄り添い慰めるものだった。(中略)社会が豊かになるに従って(中略)つらい記憶を積極的に忘れたくなった。(中略)いま、悲痛なうなりの必要が、また生じつつあるのかもしれない」。この数年、段々と閉塞してゆく時代に合って、奈々福さんの声が世の中へ大きく拡がっていることの理由がここに端的に示されている。コロナ禍に火を点すような仕事を続ける中で書き継がれた文章は心を打つ。そこには、浪曲師として生きる矜恃が溢れていた。一読をお勧めする。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://amiyaki.asablo.jp/blog/2021/01/08/9340031/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。